2008年09月01日

【列車】ムーンライトながら廃止を検討

今春、寝台急行「銀河」が消えた東海道本線。来春は快速「ムーンライトながら」が消えようとしています。
夜行バスや新幹線に押されて乗客が減る傾向にあるのが廃止の理由だそうな。特に込まない時期であるなら夜行客はバスでまかないきれる程度の数でしかないのでしょう。夜汽車の旅は近いうちに昔話になってしまいます。
以下に朝日新聞の記事を抄録。

夜行「ムーンライトながら」臨時化へ 18きっぷで人気
2008年9月1日3時0分


東京—大垣駅間を結び、かつて「大垣夜行」と呼ばれた夜行快速「ムーンライトながら」の毎夜運行が今年度末で終わる可能性が強まっている。JR東日本とJR東海が取りやめの方向で検討しているからだ。鉄道ファンから旅の手段として重宝がられている人気列車。乗客が多い時期の臨時列車だけはかろうじて残りそうだ。
新幹線や飛行機、深夜バスに押され、ブルートレインなどの長距離夜行列車が次々に姿を消している。JR関係者によると、「ながら」が毎夜走らなくなるのも同じ理由という。
JRによると、「ながら」の前身は、東京—大阪間を結んでいた夜行普通列車らしい。これが68年10月のダイヤ改定で廃止される方向になると、存続を望む声がわき起こり、当時の石田礼助国鉄総裁の決断で、東京から美濃赤坂に至る下り列車と大垣から東京に行く上り列車が残った。翌年10月のダイヤ改定で下り列車の終着駅は大垣に変更され、その後、正式な名前のない列車が「大垣夜行」と呼ばれるようになったとみられる。
JR全線の普通列車が一日中乗り放題になる「青春18きっぷ」と相性がいいのが「売り」だった。鉄道ファンや貧乏学生たちは日付が変わって最初に止まる駅まで近距離切符で乗り、その後は青春18きっぷのメリットを最大限に生かす旅が満喫できた。
例えば東京駅発車が午後11時40分ごろだった頃、東京から出発する時は、横浜までの440〜450円の近距離切符と、1枚2260〜2300円の青春18きっぷがあればよかった。
96年3月のダイヤ改定で快速に。同時に「ムーンライトながら」と命名され、長良川の鵜飼いを図案化したヘッドマークが登場。ただ、一部区間で指定席が導入され、その分の料金がかかるようになったのはファンに不評だった。さらに、07年3月に東京駅発車が30分早まったため、近距離切符は小田原までの1450円分が必要になった。
今年度末に予定されているダイヤ改定で毎夜運行が終わっても、盆や正月など乗客が多い時期だけ運行されている臨時列車は残る方向という。(鈴木剛志)

(記事出典)▼朝日新聞:夜行「ムーンライトながら」臨時化へ 18きっぷで人気

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2008年05月02日

【大阪】おおさか東線(久宝寺〜放出)

おおさか東線

今年3/15に部分開業したおおさか東線の久宝寺〜放出間(9.2km)に乗ってきました。

久宝寺14時53分発の2471S列車に乗ります。関西本線に沿ってしばらく走ると徐々に高架となり右へ進路を変え、右手に生駒山系を眺めながら放出を目指します。発車時点では乗客の数はさほどではなく、次の新加美でも乗ってきたのはわずか2〜3人でしたがその次のJR長瀬から乗客が増え始めました。
沿線は密集した住宅と町工場的な風景が続き、東大阪が中小企業の都市であることがよく分かります。
途中ほとんどの駅で近鉄や地下鉄と連絡しています。JR俊徳道では近鉄大阪線、JR河内永和で近鉄奈良線、高井田中央は地下鉄中央線と地元の方々や沿線企業に用事がある向きには使い勝手が良い路線といえます。新大阪駅とつながって新幹線連絡の乗客をそのまま運べるようになれば沿線地域活性化にきっとつながるでしょう。
貨物線という本来の役目を活かして荷物電車を走らせ、沿線企業様の利便性向上を図ればもっと盛り上がる可能性あり・・・?将来の全通後が楽しみな路線です。

(写真は久宝寺駅奈良方の待機線で2471Sの始業を待つ201系放出行き普通電車<クハ201−139以下6連>)

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2008年05月01日

【大阪】大阪モノレール国際文化公園都市線(阪大病院前〜彩都西)

彩都西駅にて

彩都線に乗り直してきました。昨年3/19に阪大病院前から彩都西までの4.2kmが延伸されていたのですが、乗車はのびのびになっていました。
朝の通勤時間帯に乗りましたので込むかと思いましたが、意外にまったり乗れてしまいました。終点の彩都西駅周辺はまだ宅地開発中のところも多く見受けられました。バイオ研究都市を目指しながら大企業の誘致に失敗してしまい、この彩都という街のあり方に議論が起こっていたりします。付近に予定されている第二名神高速道路が仮に開通すれば少しは風向きが変わるかしら。
陸の孤島とか陰口を叩かれたりもしているようですが、見た目には生活する街としては悪いところではない感じです。ただし車がないとしんどいでしょう。しかしそれはどこのニュータウンにも言えることです。
彩都西駅ではいったん折り返し線に入って再度発車します。モノレール独特のポイント切り替えが俯瞰で見られる楽しい駅です。

投稿者 うえの : 08:39 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月08日

【兵庫】惜別三木鉄道

三木鉄道@厄神駅

3月31日をもって廃止となる三木鉄道に乗ってきました。

同行者は遠路遥々横浜から来訪のご主人(仮名)です。
神戸電鉄乗り潰しを兼ねて、廃止予定の三木鉄道と、まだまだ活躍が期待される北条鉄道を一気に乗ってしまいます。いずれの路線もわしは完乗しているとはいえそれははるか昔のこと。記憶が定かではないこともあって乗り直すべくお付き合いさせて頂きました。

3月31日をもって廃止となる三木鉄道に乗ってきました。
神戸電鉄三木駅を降り、徒歩にて三木鉄道三木駅へ向かいます。着いてみれば駅構内は鉄道グッズなどを販売する露店が出るなど賑やかです。以前、夏の盛りに訪問した時はせみの鳴き声だけが響く静かな駅でした。

三木駅舎

駅舎は国鉄時代からの歴史をそのままに伝えています。現代の小奇麗ではあるが無機質な駅舎なんかより造った人の手の温かみを遥かに感じます。廃止後、この駅舎はどうなるのでしょう。取り壊すには惜しい建物です。

三木駅入場券

駅は開放状態になっていて、みなさん構内に勝手に入って気動車の写真などを撮っています。入場券をきちんと売ればそれなりの収入になろうかと思います。廃止を目前にしたサーヴィスでしょうか。窓口で入場券を発売してくれますが日付も入挟もなし。コレクターさんには有難いのかしら。しかし日付くらいはあった方が良さそうなものです。
11時37分発。124列車はゆっくり動き出しました。乗り場では何人もの人がカメラを構えて撮影しています。沿線各駅にもカメラを持つ人が立っていますが、数が少ないので混乱はなし。住宅が点在する田んぼの中をのんびり走って11時50分、厄神着。
気動車、ミキ300−105を背景に親子連れらが記念撮影。狭いここの乗り場が一番混雑していたように思います。
厄神から加古川線に乗り換えて粟生から北条鉄道に乗ることにします。

往復記念乗車券

最後に、この日使った記念乗車券です。入挟はなく、印が押されます。(三木)という印影なので、三木鉄道に乗りましたという証明でしょう。下車印なら厄神とあるはず・・・。
なお復路は使用していません。その運賃分はご苦労様の気持ちということで・・・。
長い間、ありがとうございました。

投稿者 うえの : 11:54 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月19日

【大阪】JR難波駅

JR難波駅

関西本線湊町駅が地下化され、駅名もお手軽なJR難波駅に変わってからどれだけ年月が経ったでしょう。
思えば地下化されてから、つまり新線になってからは乗っていなかったのではないか。まめに乗車記録を書かないので記憶がおぼろとなればもはや乗ったかどうか分からない。そんなわけで乗り直してきました。
湊町駅の地上時代はこのような区画にまだこれだけ広い空間が残っていたのかと感激するほどの貫禄がありました。地下になってもそれなりの乗り場本数は確保されていますが、暗い雰囲気は否めません。同じ難波駅でも近鉄や市営地下鉄とは大違い。端的に言うと人がいない。
これから発展が見込めるかどうか。駅の上ではなにやら大きいビル建設の最中です。暗い地下駅から外へ出ても建物に囲まれていて空が狭く圧迫感は満点です。ちょっと歩けばそこは連れ込みホテル街というのも大阪らしいといえば大阪らしいですが毎日利用したい駅ではないです。

投稿者 うえの : 15:15 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月09日

【広島】急行みよし号が快速格下げ

この7月1日のダイヤ改正で広島県内の芸備線を走る急行みよし号が快速化されるということです。
最後まで残ったキハ58系を使用する昼行の急行気動車です。乗れるのは6月30日までで、快速格下げを前に6月1日から全みよし号にヘッドマークをつけて運転するそうです。運転最終日の6月30日にはセレモニーが行なわれます。
詳細は西日本旅客鉄道発表のニュースをご覧下さい。

投稿者 うえの : 21:45 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月17日

【18きっぷ】直流化後の敦賀へ

旅仲間と共に敦賀方面へ出かけました。昨年の秋に北陸本線敦賀以南の交流区間が直流化されて以来、初めての訪問です。
まずは国鉄色の113系に乗って京都駅から湖西線経由で北上します。11:56発の堅田行き2826Mは強風のために約2分遅れて発車しました。8両もつないでいるせいか車内は空いていて余裕で弁当を広げることが出来ました。旅仲間と食べる弁当は美味しい。各駅停車でのんびり進みながら食べるのはちょっとした贅沢です。ちょうど食べ終わる頃に終点の堅田に到着しました。後続の列車に乗り換える間に貴重となりつつある国鉄色113系を撮影しますが、列車が遅れるだけあって風が強い上に寒い。適当に切り上げて風が当たらないところに引き上げます。
15分ほど待って8両編成の223系近江今津行きに乗り換えます。走り始めても強風で速度が上がりません。急ぐ旅ではなし。近江舞子付近では琵琶湖の向こうにくっきり見える賤ヶ岳や伊吹山などの雪山をゆっくり楽しむことができました。

いくらか遅れて到着した近江今津駅で途中下車します。冷たい風の中、駅の周りを散策してみました。
駅前の商店街は人気(ひとけ)がなく、虚しくBGMだけが流れています。営業中の店舗を覗いてみてもお客さんはいませんでした。
駅から少し離れたローソンで飲み物などを仕入れます。そばに怪獣を配し何本も三色ねじり棒を組み合わせた賑々しい床屋があるほかは酒屋さんがある程度でやはり寂しい雰囲気でした。
13:45発の敦賀行きは編成を分割して4両となります。車内の座席はほぼ埋まっています。直流化以前はこれほど込むことはありませんでした。直流化されてから日中は毎時1本が永原以遠へ行くことになり、用務客が確実に増えていると言えます。途中、観光地のマキノ駅と北陸本線に接続する近江塩津駅で下車客が目立ったほかは敦賀までほとんどのお客さんが乗り通しました。
敦賀駅では乗車を待つ人が群れをなして待っています。扉が開くとどっと乗り込んできました。降りる人が先だろうと内心不快に思いつつも焦って乗らないと座れないのですから人を押しのけてでもという気になるのは分からないでもありません。が、これでは五輪開催を控え北京でやっているマナー向上運動のことは笑えませんな。
つづく・・・

投稿者 うえの : 19:00 | コメント (2) | トラックバック

【18きっぷ】419系との再会

敦賀駅から普通電車に乗り換えてさらに先へ進みます。
電車は419系という、国鉄時代は寝台特急として使われていたものを改造した編成です。三段寝台を収める車体は屋根が高く、大柄な車体は重厚感にあふれています。その形状と白い車体色から俗に食パン電車と呼ばれています。
車内は旅客用寝台として設計されたため、立ち客が増える通勤・通学時間帯には向かない狭いしつらえになっています。立って乗るにはきつい車両ですがベッド兼用の座席は幅がおよそ1m強あり、ゆったり座って旅を楽しめます。中段の寝台を支持するための分厚く頑丈な座席は向かい合わせ4人がけのボックス席ですが広さには余裕があり、他の近郊電車みたいな窮屈さは感じません。ただ窓は水垢がこびりついて大変汚らしく、車窓が楽しめないのは残念で仕方ありません。次回乗ることがあれば洗浄用のたわしで擦ってやろうかと思うほど汚れています。
大きく重い電車はモーター音を唸らせ駅間距離が適度に離れている北陸本線を快走します。車齢はおそらく30年を超えているでしょう。細かい部分を見れば相応の経年劣化が見られますが乗り心地に関してはまだまだ行けそうな印象でした。
当初はこのまま福井まで乗って行くつもりでしたが、思うところがありまして手前の武生で下車することとなりました。
つづく・・・

投稿者 うえの : 18:59 | コメント (0) | トラックバック

【18きっぷ】福井鉄道武生新駅

武生新で下車して福井鉄道武生新駅へ向かいます。
今日の訪問を前に福井鉄道では旧式車両のほとんどをほぼ引退させました。その代替として名鉄から譲り受けた車両が走り始めました。廃止となった岐阜市内線などで活躍した車両たちです。
という訳で新天地で走る元・名鉄の車両をいくつか観察してみました。

m770_01.jpg

名鉄からやってきたモ770形。

m880_01.jpg

こちらも名鉄から移籍のモ880形。これはコカ・コーラのラッピング車体となっています。

m200_01.jpg

そしてこれは福井鉄道古参のモ200形です。
昔懐かしい湘南型の正面二枚窓が特徴の福井鉄道オリジナルの車です。
新製年度は昭和35年。

つづく・・・

投稿者 うえの : 18:58 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月08日

【切符】春の18きっぷは8000円

国鉄民営化20周年を記念して、今春の青春18きっぷは8000円で発売されます。これは国鉄時代に「青春18のびのびきっぷ」として発売された当初と同じ値段だと思います。
使用に当たっての規則などは通常どおりです。1万円を切る値段だと心理的に購入しやすいと思います。宣伝次第で販売が伸びる商品でしょう。しかしこの切符が売れて長距離客が増えると実質的な収入という面では果たして・・・?
なにはともあれ、乗り鉄やスローな旅好きがちょっと足をのばしたい、そんな方々には嬉しい企画乗車券です。

▼西日本旅客鉄道発表の告知

投稿者 うえの : 23:00 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月25日

【九州】58654号機復活宣言

老朽化のため豊肥本線から引退した蒸気機関車、8620形式58654号機が4年後に九州新幹線が全通することもあり、再来年の夏をめどに復活させたいもようです。
九州旅客鉄道の発表によりますと、台枠の新製やボイラー修復などを施した上で平成21年夏に運転開始としたい由。車輌に負担が少ない鹿児島本線熊本〜肥薩線人吉間で運行する予定です。古い車体でなければループ線の走行を期待したいところですが、それは身勝手で過大な夢というものでしょう。大事に使って出来るだけ長い間活躍していただきたいです。

投稿者 うえの : 10:02 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月24日

【鳥取】若桜鉄道が一部区間値上げ

朝日新聞オンライン版を見ていると若桜鉄道の話題が載っていました。
若桜鉄道は国鉄若桜線を引き継いで鳥取県内の郡家〜若桜の19.2kmを結ぶローカル線です。地方路線といえば運賃が高いと思いがちですが、この路線は郡家と次の駅、八頭高校前の0.9kmに限っては学生に配慮して初乗り運賃が60円と日本で一番安く設定されています。新聞記事では「日本一安いと鉄道ファンらに知られている」そうです(余談ながら一番運賃が安いのはこれまでずっと北大阪急行の初乗り80円だと思っていました)。
しかし累積赤字が嵩むなどしてこの4月からは100円に値上げせざるを得ないということです。それでも一駅が100円玉一枚で乗れるとは安いです。関西圏で一区間100円で乗れたのは遥か昔のお話です。
以下に朝日新聞オンライン版から当該記事を抄録しておきます。

日本一安い運賃60円を4月から値上げ 鳥取の若桜鉄道
2007年01月24日08時00分

鳥取県の第三セクター「若桜鉄道」は23日、「日本一安い」として鉄道ファンらに知られる八頭高校前—郡家(0.9キロ)の運賃60円を、4月から100円に値上げすると発表した。
通学の生徒が利用しやすいようにと97年、高校前から主要駅の郡家間を100円から60円に値下げ。これまで2度の運賃値上げでも、同区間だけは据え置いてきた。
しかし、累積赤字は1億円を超えて廃線も検討される状況。「やむを得ない措置ですが、サービスの心は日本一でいます」と同鉄道。

投稿者 うえの : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月23日

【列車】1月20日のまとめ

1月20日土曜日に乗った大阪市営地下鉄のまとめです。

  1. 第2号線:谷町線 千林大宮〜大日 4.0km
  2. 第5号線:千日前線 南巽〜野田阪神 13.1km
  3. 第7号線:長堀鶴見緑地線 大正〜西長堀 1.0km
  4. 第8号線:今里筋線 井高野〜今里 11.9km

谷町線はこれで未乗区間が平野〜八尾南間の5.1kmに減りました。千日前線は南巽〜鶴橋間が未乗だったと思うのですが記憶が定かではないので全線乗ってみました。長堀鶴見緑地線は横堤〜門真南の2.5kmと西長堀〜京橋の6.9km、計9.4kmが残存区間となりました。その他、堺筋線動物園前〜天下茶屋の1.5kmが未乗。中央線の長田から大阪方は乗ったか乗っていないか記憶がこれまた定かではないため、いずれ乗りなおすつもりにしています。仮に本町〜長田間とすれば8.5kmを残していることになり、都合24.5kmが乗車対象営業キロ数です。総営業キロ数が129.9kmなので約80パーセントが片付いた計算です。
これまで地下鉄は用事で利用するのみでしたから末端区間ばかりが残ってしまっています。

投稿者 うえの : 14:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月20日

【大阪】市営地下鉄今里筋線

いくら鉄道が好きとはいえ地下鉄は敬遠して乗らないほうです。それでも京阪神三都市の地下鉄のうち、京都市と神戸市は全部乗ってしまい、大阪市営も乗り残しが少なくなってきました。そこで旅仲間と連れ立ってたまには地下鉄でも乗ってみようという話になり、昨年末の12月24日に開業した今里筋線を中心に乗ってみることにしました。
今里筋線は地下鉄第8号線として開業した路線で大阪市北東部の井高野から淀川を潜り、蒲生四丁目からは今里筋に沿って南下し終点の今里までの11.9kmを結びます。車輌は小型の4両編成で駆動方式は鉄輪式リニアモーターです。
北浜から堺筋線に乗り、天神橋筋六丁目から谷町線へと乗り継いで連絡駅の太子橋今市で今里筋線に初乗車です。起点となる井高野まで乗ったあと折り返します。
せっかくなので井高野駅を出てみます。地上へ上がる途中に地下駐輪場の設備があります。土曜日ゆえかあまり止まっていませんでした。外に出ると周辺に見えるのは団地です。駅入り口は路線のイメージカラーである柑子色で縁取られていて少し浮いた印象を受けます。しかし駅であるのはひと目で分かります。わずかではありますが田んぼも残っていて昭和時代の気分に束の間ながら浸れました。
待つほどもなくやってきた折り返しの列車で今里を目指します。この路線は規格統一の面では完璧といってよいでしょう。どの駅も同じ体裁で新幹線の駅を見るようです。もっともそうすることで建設費の節約が出来て好都合なのでしょう。車体断面も小さく抑えてあります。それでも1kmあたり230億円近くかかっています。お客さんは各車輌の座席が埋まる程度には乗ってきます。通勤・通学時間帯にはもっと込むのでしょうか。動きを見ていると大体2駅程度の利用が多いように思いました。
ほとんど変化がない車窓を見るうちに眠くなります。睡魔と闘いつつ20数分で終点の今里に到着しました。新規路線に乗れる嬉しさよりも退屈さに負けた今里筋線でした。
完乗達成後は千日前線で大正区に向かい、市バスに乗り換えて平尾で沖縄そば、ソーキそばを食べて遅い昼食。一緒に軽く飲んだオリオンビールが程よく回って酔い(?)気分です。千歳の渡船を楽しみ、日が沈んで赤提灯が恋しくなる頃、大阪駅のガード下にて一杯ひっかけます。
一人旅も楽しいけれど同好の士と一仕事終えて飲むヱビス麦酒は格別でした。

投稿者 うえの : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月10日

【列車】1月5日のまとめ

1月5日金曜日のまとめです。

  1. 名古屋鉄道蒲郡線 吉良吉田〜蒲郡 17.6km
  2. 名古屋鉄道豊川線 国府〜豊川稲荷 7.2km
  3. 名古屋鉄道本線 豊橋〜新安城 38.3km

今回でようやく名古屋本線を征服しました。
3000円払って一日乗り放題のきっぷを買いましたが、果たしてモトが取れているのかどうか。怖くて運賃計算をしていません・・・・。

投稿者 うえの : 18:06 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月05日

【愛知】名古屋鉄道蒲郡線

新春は名鉄蒲郡線で始まりました。吉良吉田駅から蒲郡駅まで三河湾沿いに17.6kmを結ぶ路線です。
西尾駅10時45分発の蒲郡まで直通する2両編成のワンマンカーで出発です。姿を消しつつある国鉄の113系という近郊電車によく似た顔つきをしています。西尾線は軽便に見えて電車はなかなか軽快に走ります。田畑と温室を車窓に眺めるうちに程なく蒲郡線の起点となる吉良吉田駅に到着しました。駅がある吉良町は忠臣蔵の吉良上野介ゆかりの地で、吉良家菩提寺である華蔵寺は吉良吉田駅の少し手前にある西尾線上横須賀駅が近い。
2分ほど停車した後、左に曲がって蒲郡線に入ります。西尾線と比べてゆっくり走ります。幹線ではあまり聞けなくなった線路の継ぎ目を踏む音が心地よく響きます。それは子守唄のようにも聞こえ瞼がとろんとしてきます。
しばらく続いた田畑の風景が三河鳥羽を過ぎればがらりと変わり、右手に三河湾が広がります。太陽の光が海面に反射して眩しくしばし眠気を忘れます。とりわけ東幡豆のあたりは風光明媚です。蒲郡線沿線は温泉あり、海水浴場あり、潮干狩りも出来る。少し山手に向かえばこどもの国というキャンプも可能な娯楽施設があるなど風景以外にもあれこれ楽しめる路線といえましょう。
適度な速度と綺麗な海の景色を楽しむうちに路線はやがて高架となり左手に東海道本線が寄り添ってくると終着の蒲郡です。数ある名古屋鉄道の中でも、もう一度乗ってみたくなる路線でした。
以下、名鉄豊川線につづく・・・

投稿者 うえの : 19:00 | コメント (0) | トラックバック

【愛知】名古屋鉄道豊川線

蒲郡から東海道本線を挟んで豊橋へ向かいます。豊橋からは再度名鉄に戻り豊川線に乗ってみました。豊川線は国府(こう)駅から豊川稲荷駅を結ぶ7.2kmの単線です。
国府駅で岐阜方面から直通で乗り入れる6両編成の急行電車に乗り換えます。座席は全て埋まり、ちらほら立ち客がいる込み具合です。乗客はほとんどが夫婦や家族連れなので豊川稲荷へ初詣に出かけるものと思われます。
座れなかったので運転席後ろに立って終点まで行きます。国府を出てほんのしばらく本線に沿います。やがて左へ折れると高架の近代的な八幡駅がある一方で時には住宅地の間をかすめるように走ります。ウィキペディアにある『豊川線はその前身は路面電車であり、名鉄に残る唯一の軌道線』という記述が納得出来るこじんまりとした印象です。しばらく前まではお正月には本線から特急も入っていたそうな。豊川稲荷参拝後、麦酒を片手に特別車から見る車窓は違って見えることでしょう。稲荷口駅にあるバネで一方向に常に開いている簡便なポイント設備は作動音がよく聞こえて楽しい。
名鉄は中京地区の大手私鉄という一面的な見方が変わる豊川線の短い旅でした。

投稿者 うえの : 18:50 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月24日

【列車】12月22日のまとめ

12月22日金曜日のまとめです。

  1. 大阪高速鉄道国際文化公園都市線 万博記念公園〜阪大病院前 2.6km
  2. 能勢電鉄日生線 山下〜日生中央 2.6km
  3. 北大阪急行電鉄 千里中央〜江坂 5.9km
  4. 泉北高速鉄道 中百舌鳥〜和泉中央 14.3km
  5. 南海電鉄加太線 紀ノ川〜加太 9.6km

乗り残し35kmを片付けるために乗車した他線区の距離は294kmでした。
関西圏では、今後は細切れになっている大阪市営地下鉄千日前線、谷町線、長堀鶴見緑地線と新規開業の今里筋線、神戸新交通魚崎〜住吉が残された課題です。基本的に鋼索線やロープウェイはリストには含めていませんが時間とお金次第でいずれは乗ってみるつもりです。

投稿者 うえの : 07:19 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月22日

【大阪】大阪高速鉄道国際文化公園都市線(彩都線)

大阪高速鉄道1000系

大阪高速鉄道国際文化公園都市線故・岡本太郎による「太陽の塔」がよく見える万博記念公園駅から阪大病院前まで2.6kmの枝線です。通勤客で込み合う大阪モノレール線とは違い、医師や看護婦らしき乗客が目立つ車内は適度に空いていました。
列車は万博記念公園の外周をなぞるように走り、5分ほどで終点に着きます。「太陽の塔」の後ろ側もよく見える面白い路線でした。来年3月19日に阪大病院前から彩都西までの4.2kmが延伸開業の予定です。事業予定の図を見ると彩都西からさらに東センター(仮称)まで延びる計画のようです。
能勢電鉄日生線につづく・・・

投稿者 うえの : 23:00 | コメント (0) | トラックバック

【兵庫】能勢電鉄日生線

能勢電鉄1700系

能勢電鉄日生線1700系日生線はさきほど乗った彩都線と同じく2.6kmの枝線です。阪急日生ニュータウンに住んでいなければ利用することはおそらくないでしょう。住民の足としての実用路線です。妙見線との分岐駅山下から数分で終点の日生中央駅に着きます。途中駅はありません。コンクリートに囲まれた飾り気のない駅でした。
走る電車は阪急から譲渡されたものです。阪急と経営が一元化されてから車体色が阪急電車と共通のマルーンとなりました。以前のクリーム色よりは落ち着いて見えます。
泉北高速鉄道につづく・・・

投稿者 うえの : 22:00 | コメント (0) | トラックバック

【大阪】泉北高速鉄道

泉北高速鉄道3000系

泉北高速鉄道3000系泉北高速鉄道は中百舌鳥と和泉中央の14.3kmを結ぶ第三セクターの路線です。運営は大阪府などが出資する大阪府都市開発が行なっています。駅間距離が長く踏み切りもないなど線路条件が良い高規格の路線です。列車はほとんどが南海高野線と直通で運転する準急です。高野線内は新今宮、天下茶屋、堺東に停車し、堺東から中百舌鳥を経由して泉北高速和泉中央まで各駅に停車します。
食わず嫌いで長らく乗るのをためらっていましたが、実際に乗ってみると機能的に街と街を結ぶよく出来た実用路線だと分かりました。その分車窓と車両は面白みには欠けます。さすがに復路は退屈して眠ってしまい、気がついたら天下茶屋を発車するところでした。
日本一運賃が高い。そんな噂が泉北高速鉄道にはつきものですが、調べてみると実際は南海電車の方が高いくらいです。光明池〜和泉中央間で運賃20円が加算されるにせよ、線内相互利用に限れば国内の私鉄水準といってよい値段ではないでしょうか。初乗り160円を基準にして2kmごとに20円ずつ加算される運賃体系です。おそらく南海との乗り継ぎで両社の運賃が別々にかかるために高いと思われているのでしょう。
南海電鉄加太線につづく・・・

投稿者 うえの : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

【和歌山】南海加太線

南海加太線紀ノ川駅

紀ノ川駅南海電車は歴史が長い。純民間資本の鉄道として日本最古とされるほど由緒あるものです。それだけに普通電車しか停車しない小駅であっても日本を感じさせるものが散見されます。とりわけ和歌山県内の駅や沿線風景はどことなく味があります。時間さえ許せばゆっくり普通電車で旅をしてみたいです。
本線から加太線へと分岐する紀ノ川駅の駅名標です。あり合わせのフォントを使ってパソコンから打ち出したような文字の駅名標が増える中、こうした毛筆体を見ると心が和みます。

南海加太線2200系

2200系加太線は紀ノ川から加太までの9.6キロを結ぶ単線のローカル線です。2両編成の電車が住宅地と工場の煙突を眺めつつゆっくりと小さな駅を辿って行きます。八幡前駅で上下線の列車が交換します。磯ノ浦駅を出てしばらくすると左手に海が開けます。ゆっくり眺める間もなく海と別れ、薄が揺れる平地を走って終点の加太です。乗り場は千鳥のような配置で駅本屋側に1番線、少し離れて2番線があります。列車は1番線に発着します。段差がある乗り場から改札を抜けて眺める駅舎はやや洋風っぽい造りになっています。まさか開業当初からの姿ではないと思いますがかなり年季が入った姿です。

南海加太線出發反應標識

出發反應標識中松江駅で旧字体の標記を見かけました。他の駅でも歴史の跡がいくつも見つかるかもしれません。
加太には神功皇后の三韓征伐に縁がある淡嶋神社や日本軍用地だった友ヶ島など、鉄道以外の歴史に関しても面白いものが数々残っています。名産は鯛だとか。再訪の価値がありそうです。

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2006年12月05日

【南海】高野線・鋼索線の駅

11/18に乗った南海高野線の主要駅を写真でご紹介します。

橋本駅

南海高野線橋本駅接続駅である和歌山線橋本駅を望んでいます。
駅の近くに煉瓦造りの銭湯らしき建物を見かけました。今度途中下車して探索してみたいです。

高野下駅

南海高野線高野下駅山あいの集落にある駅です。
こじんまりとして味わいある静かな駅です。

極楽橋駅

南海高野線極楽橋駅鋼索線との接続駅、極楽橋駅の改札口です。
あまりに貧弱ですがこれも味のうち・・・?

鋼索線高野山駅

南海鋼索線高野山駅極楽橋とはまるで違う立派な構えの高野山駅です。ここが霊場への玄関口で駅前はバスが何台も行き来できる広さです。駅舎二階には南海電車の歴史が鉄道備品や写真などと共に展示されています。展望が出来る待合室もあって窓の外には錦秋の山の風景が広がっていました。
昭和5年の建造という歴史ある駅舎です。

参考:▼街の駅再発見 高野山駅(大阪日日新聞)

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2006年12月04日

【近鉄】生駒鋼索線

先日乗ってきた車両の紹介です。まずは11/18の生駒鋼索線の各車両からどうぞ。

ミケ(宝山寺線鳥居前駅にて)

生駒鋼索線車両「ミケ」

スイート(山上線宝山寺駅にて)

sweet.jpg

ブル(宝山寺線宝山寺駅にて)

bull.jpg

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2006年12月02日

【兵庫】神戸電鉄三田線・公園都市線

久しぶりの神戸電鉄です。今日は乗り残している公園都市線を楽しもうと思います。横山〜ウッディタウン中央間はわずか5.5kmの路線ですが、それに乗るために神戸からは何度も乗った有馬線で約30kmの山登りをします。
11時46分発の小野行き粟生線準急電車で出発します。どこかかび臭く古い型の電車です。
湊川から鈴蘭台までは準急運転です。50パーミルの急勾配が続くためか3両編成の準急は苦しそうに走り、源平の合戦で名を知られる鵯越などいくつか駅を通過しますが各駅停車でも所要時間はあまり変わらないと思える鈍足ぶりです。が、急ぐ旅ではなし。これも味わいのうちでしょう。険しい路線に沿う住宅地を車窓に眺め、10分ほどで鈴蘭台駅に着きます。構内に車庫を備える2面4線の大きい駅で、ここから粟生線は左、有馬線は右へとYの字型に分かれます。乗ってきた準急は粟生方面行きなので乗り換えます。
曇った空から雨が降ってきました。天気は予報通り下り坂です。次の電車まで駅をぶらついて待っていると再び古い型式の電車がやってきました。4両編成の車両は意外に乗客が乗っており、ちらほら空席が見える程度に座席が埋まっています。生活路線として立派に機能しているのがわかります。
山を行く電車なので景色がよいかと思うとさにあらず。沿線に見える風景は住宅や店舗がほとんどで高速道路の脚もあちこちに見えます。天気の加減で霞がたなびく時に乗ると車窓は面白いのですが、誰しもがその時を狙って乗れるものではなく沿線風景は基本的に単調です。
40分ほど走って終点三田に着きます。駅前に降りてじっくり見たのは20年以上も前になります。並行する福知山線がまだ国鉄だった頃で、のんびりした間隔で古い客車や気動車がゆっくり走っていました。扉を手で開け閉めするぶどう色や青色の客車が健在だった時代です。今は道路に車があふれ、高い建物が増えて喧騒が似合う街になっています。
三田から折り返してウッディタウン中央行きの電車に乗ります。行きは昭和生まれの電車でしたが、こちらは平成生まれの新しい電車で、2000系というらしい。
発車時点はがらがらだった車内は三田線と分岐する横山駅から高校生を大量に拾い、3両編成がほぼ満員になりました。
電車は発車するとポイントを踏み分けて公園都市線へ入ります。すぐに短いトンネルをくぐり、北西へと方向を変えつつしばらく走るとフラワータウンという外来語名の駅に着きます。その次は南ウッディタウン。終点はウッディタウン中央。かろうじて「南」と「中央」という漢字が入っていますが基本的に横文字です。外来語っぽい名称にすれば響きは確かに良さそうですが、その一方で実感が伴わない感じもします。文字の上では花や木にあふれた街であっても実質的にはコンクリートとアスファルトで固められた人工の住宅街と商業スペースです。しかし今は冬。春、夏に訪問すればまた違う印象を受けるかもしれません。
単線の軌道を挟んで両側には一般道路が方向別の上下線で走っています。時速約70km/hで走る電車をぼろい作業用のワゴンでさえ簡単に抜き去っていく。どの車も速度違反は先刻承知で80km/h以上は出しています。都市高速的に使われているらしく、近隣の目的地へは電車より格段に早く着けるでしょう。自動車の方が便利さと移動にかかる時間の面でかなり優位に立っているようです。
南ウッディタウンでまとまった下車があり、終点のウッディタウンへはほぼ回送列車状態で到着しました。
駅を出てみます。住宅街へ通じる道のほかはざっと見渡しても歩いていける範囲内には商店もなさそうです。
同じ電車で折り返し沿線を今一度眺めてみます。
大きい商業施設などは駅から外れたところに建っています。賑やかそうな区画は幹線道路沿いに見えます。綺麗に整備された街なのに、人は全く歩いていない。逆に車は多い。何をするにも自動車の利用が前提になっています。しかしそれも無理はないでしょう。勾配が多い、山の土地を切り開いて街を作ったのだから。
ちょっと買物にでも行こうか。そんな毎日の気軽なお出かけに電車の出る幕はあまりなさそうです。
以下、神戸市営地下鉄につづく・・・

投稿者 うえの : 19:59 | コメント (0) | トラックバック

【兵庫】北神急行北神線/神戸市営地下鉄西神・山手線

神戸電鉄で谷上まで戻って北神急行電鉄北神線に乗り換えます。神戸市営地下鉄と相互乗り入れしていますが経営は線名のとおり北神急行電鉄という別会社で独立した路線です。
谷上駅は沿線では随一といってよい規模を誇り、改札内でファーストフードなどちょっとした食事も出来るようです。ゆっくり駅を探索する暇もなく、すぐの接続です。神戸市営地下鉄から乗り入れている電車が動き出すともう北神トンネルです。六甲の山を7180mの長さで貫くトンネルは私鉄の中では最長クラスといえます。北神急行の営業キロは7.5kmなのでほぼ全てがトンネルという地下鉄路線です。なお第三セクターを私鉄に含めるならば最長は北越急行ほくほく線赤倉トンネルの10472mでしょうか。神戸市営地下鉄の始発駅となる新神戸まで途中駅はなく、延々とトンネルを下っていきます。時間にしておよそ10分で新神戸です。運賃は350円です。ここからは神戸市営地下鉄の運賃が加算されますから、結構高価な乗り物といえます。これだけの距離を掘り抜いたのですから相当の建設費と時間がかかっていることは確かです。頭でそう理解はしても相対的に高い印象は否めません。それでも当初の430円から少し値下げしたのだそうです。
無味乾燥となりがちな地下路線を少しでも楽しく乗ってもらおうという意図からか、トンネル壁面にはところどころに列車と並行して飛ぶカモメらしき鳥や何かわからない赤い模様の電飾が設けられています。車内の人たちはどれほど見ているだろうかと観察してみましたが、寝る、友人とおしゃべりをする、携帯電話の画面を見るなどして誰も見ていないようでした。
新神戸からは神戸市営地下鉄となります。ここから妙法寺までの区間内は友人宅への訪問や観光などで幾度か乗りましたが、そこから先はただ地下鉄という理由だけで敬遠していました。初めて乗る西神中央まではどのような区間なのでしょうか。
やや疲れた体で既乗区間に乗ったこともあり、いつしか眠っていたようです。ふと気づいたら板宿(いたやど)を出るところでした。次が妙法寺なので危ないところでした。板宿駅はその名をもじってか、構内の壁面が木目をプリントしたパネルで覆われています。地下鉄駅にしては珍しい装飾なので一見の価値ありです。
しっかり目をあけて妙法寺を過ぎると電車は明るい空の下に出ます。雲の切れ間から弱いながらも夕陽が見えています。急に視界が開けるような気がしたら名谷駅の構内でした。2面4線の余裕をたっぷり取った駅です。とても地下鉄とは思えない。車両基地があるからだけではなく巨大なニュータウンに住む人たちの通勤・通学需要をこなすにはこれだけの広さが必要なのでしょう。
プロ野球オリックスの本拠地、スカイマークスタジアムがある総合運動公園を過ぎ、西神中央駅に到着。ここも名谷駅と同様大きい造りになっています。反対側の乗り場に北神急行の車両が止まっているのを見つけ、何とか乗れないかと連絡階段を走ってみましたがあとわずかというところで発車してしまいました。
なんだか疲れが出てしまい、改札の外に出ることもせず乗ってきた電車で折り返します。新長田まで行って今度は海岸線に乗ってみましょう。
以下、神戸市営地下鉄海岸線につづく・・・

投稿者 うえの : 19:45 | コメント (0) | トラックバック

【兵庫】神戸市営地下鉄海岸線

海岸線は新長田から三宮・花時計前までの7.9kmを市道高松線を辿るように走ります。開通は2001年7月。まだ新しい路線です。駆動方式は車輪を使って走る接地式(鉄輪式)のリニアモーターです。関西では大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線がすでに同じ方式で開業しています。
時刻表を開くと新長田から1分で海岸線に接続しています。ただし乗り場が隣接していればのはなしです。
新長田で降りると乗り換え通路は西神中央よりの一番端です。中ほどの車両に乗っていたので、その時点でもう無理です。通路も曲がりくねっているうえに少々距離があります。乗り換えには3分ほどかかるでしょう。
待つほどもなく折り返しの小さな電車が入ってきました。建設費を節約するため小型の規格でトンネルが掘られているのです。小さな車体の4両編成は発車時点ですでに席の大半が埋まりました。
ドアが閉まり定刻に走り始めます。出足や走行中のショックは少なく、乗り心地は小型車量であることを考えると悪くはありません。さすが新しいだけに出来栄えは良い感じです。ただ、途中の和田岬、ハーバーランド、旧居留地・大丸前、そして起終点となる三宮・花時計前それぞれの駅で他社線へ乗り換えが可能なのにその案内はなく、アナウンスはテープの音声が停車駅を告げるだけでした。アナウンスを減らして静かな車内を心がけているのか、それとも単に聞き逃していただけなのか。もっとも山陽本線の支線、和田岬線にわざわざ乗り換える人は少ないでしょう。自分が乗り降りする駅の情報をきちんと持っていれば、停車駅の案内だけで充分ではあります。もっとも乗車に関するご注意のアナウンスはなにやら頻繁に流れていたように思います。
14分で終点の三宮・花時計前です。駅名の由来となった花時計はもちろん存在するそうです。駅は市役所の近くにあり繁華街に位置する東海道本線や阪急電車、地下鉄の三ノ宮(三宮)駅からは少々離れています。改札を出るとそこはさんちかという地下街になっており、既存の駅へはウィンドウショッピングなど楽しみながら向かうことができます。
帰路は久しぶりに阪急電車神戸線に乗ってみます。梅田まで先頭車に乗ったら携帯電話電源off車両でした。スイッチを切って過ぎ行く景色を眺めていると岡本、夙川と停車します。岡本は停車するようになってからしばらく経っていると思いますが、夙川にも停車するようになっていたとは。JTBの私鉄時刻表では通過の表記ですが調べてみたところ今年10月28日の改正から停車しているそうです。どうやら東海道本線に出来るさくら夙川新駅に対抗する措置らしい。
西宮北口駅も昔とは見違えるほど大きくなり、神戸線と十字クロスで今津線が走り抜けていた頃の面影はありません。

(了)

(時系列順に上から読めるよう投稿時刻を修正いたしました)

投稿者 うえの : 19:15 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月30日

【岐阜】神岡鉄道きょう限り

神岡鉄道おくひだ1号

国鉄神岡線を引き継いで営業を続けていた神岡鉄道が今日をもって廃止となりました。過去に一度だけ乗ったことがあります。猪谷という今にも猪が出そうな山あいの駅を出るとトンネルがいくつも続きます。単行の気動車は座席に飾り物の囲炉裏がしつらえてあり、日常の足とは趣が違うという雰囲気があります。
大きな収入源であった貨物輸送がなくなったことから廃止を余儀なくされてしまったと聞きますが、一方で観光路線としての存続を図る案も浮上しています。以下に引く共同通信配信、中日新聞社の記事によれば三井金属鉱業がまとまった金額を寄付するとのことです。全くの廃止とはならない。そんな希望がまだ残されています。

神岡鉄道廃線で別れ惜しむ
営業最終日に住民やファン

岐阜県飛騨市神岡町と富山市猪谷を結ぶ第三セクター「神岡鉄道」(19.9キロ)が30日、最終営業日を迎えた。奥飛騨温泉口駅には、朝から大勢の市民や鉄道ファンが詰め掛け、“地域の足”との別れを惜しんだ。
1984年に国鉄神岡線を引き継いでスタートしたが、自家用車の普及で利用者が年々減少。コスト削減などの効果も上がらず、赤字が拡大し、昨年8月の株主総会で運行継続の断念が決まった。
廃線後は、筆頭株主である三井金属鉱業が鉄道存続に向けて十数億円を寄付する意向で、地元の飛騨市は観光鉄道としての再利用を目指している。
(共同)
(2006/11/30)

(引用記事は一部略しています。また漢数字をアラビア数字に直しました)

また、同じく中日新聞の30日付け別記事では以下のように記されています。

【飛騨】神岡鉄道ありがとう
駅で住民らセレモニー

30日を最後に廃線を迎える飛騨市神岡町の第三セクター「神岡鉄道」奥飛騨温泉口駅で29日、俳優の関口知宏さんを招いた「ありがとう神岡鉄道 ふれあいセレモニー」が開かれた。神岡小学校の3年生77人が同鉄道について調べた成果を発表し、これまでの運行努力に感謝した。(島崎諭生)

(中略)
最後に児童たちが、おくひだ号の写真を丸く切り抜いて、裏に感謝の手紙を張ったメダルを社員にプレゼント。社員からも、レール文鎮や硬券セットなどを贈った。鹿江政二社長は「みんな感激している。休まず走らせることが、どれだけ大変か分かってくれたと思う。まだ鉄道の未来に向けて検討しており、皆さんのために何とかしてあげたいと思っている」と感謝した。

前回乗ったのは夏でした。次に乗れるとすればぜひとも冬に乗ってみたいです。車窓はきっと素敵な雪景色となっていることでしょう。

投稿者 うえの : 22:04 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月18日

【奈良】近鉄けいはんな線

きょうは近鉄けいはんな線と南海高野線に乗ります。けいはんな線は今年の3月27日に開業した新線です。もっと早く乗るつもりが延び延びになっていてようやく機会に恵まれました。長距離の乗車となりますのできっぷはスルッとKANSAI・3Dayチケットを用意しました。
始発の近鉄京都線に乗り、乗換駅の生駒駅まで行きます。東の空が明るくなり始めています。新線は生駒から学研奈良登美ヶ丘までの8.6kmをおよそ10分で結びます。途中駅が二つしかないとはいえ、地下鉄車両としては比較的速い運転です。
この区間が開通するまでは生駒〜長田間が既存路線で、線路名称は東大阪線でした。大阪市営地下鉄中央線と相互乗り入れする関係上、別線扱いなのか近鉄奈良線から改札内で乗り換える際も中間改札を通る必要があります。
空がかなり明るくなった午前6時38分、定刻に大阪市営地下鉄の編成が入線します。早朝の車内はがらがらですが先頭に立ちます。2分停車ののち発車した電車はやや速度を上げ、奈良線東生駒駅の横を左へ逸れて通過すると長いトンネルに入ります。しばらくは胸がすくような直線が伸び、そののちは緩やかな曲線となります。真新しく、見るからに規格が高そうなトンネルであり、その分かなりの建設費がかかっていそうです。
ようやくトンネルを抜けると最初の停車駅、白庭台に停まります。乗る人はほとんどいません。発車すると再びトンネルです。こちらはすぐに走り抜け、丘陵地をしばし走ると学研北生駒駅に到着です。拾う乗客はここでもわずか。いくつかトンネルを抜けて終点の奈良登美ケ丘駅には6時49分の到着でした。
改札を出て駅の北側へ行ってみます。駅前には続々と自家用車が乗りつけ、車から生徒が降りてきます。土曜日とはいえ学校があるのでしょう。
駅前の道から見下ろす位置に国道163号線が走り、あとわずか数キロ東へ行けば京都府に入ります。近鉄京都線の高の原駅と接続するのは難しくない距離ですが簡単に事を運べない事情もあるようです。
折り返しは7時1分のコスモスクエア行きで、来たのと同じ電車です。ただし座席がほどよく埋まるほどには乗客があり、通勤、通学列車の役割をしっかり果たしているのが分かります。駅を辿るに従って乗客が増え、往路は全く込み具合が違う通勤電車本来の車内風景となりました。
以下、近鉄生駒ケーブルに続く・・・

投稿者 うえの : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

【奈良】近鉄生駒鋼索線

生駒駅を出て今度は近鉄生駒鋼索線というケーブルカーに乗ります。まずは鳥居前駅から宝山寺駅までの宝山寺線です。営業キロは0.9kmです。
大正7年に開業した日本最古の鋼索線で、2000年までコ1形という国内最古参のケーブル車両が活躍していました。現在は犬と猫を題材にした新型ケーブルカーが導入され、山上遊園地「スカイランドいこま」へ行く子供たちが楽しく乗れる路線となっています。
始発の鳥居前駅は近鉄奈良線生駒駅から駅ビルの遊歩道を通って乗り換えます。早朝という時間帯でもあり、駅内は閑散としていました。発車まで時間がありますがすでに一両停まっています。前面が猫の顔をした「ミケ」という車両です。首には鈴がついた蝶ネクタイを結んでいます。大人が乗るにはやや気恥ずかしさを感じますが遊びに来る幼い子供にとっては面白い車なのだと思います。
山岳路線ゆえか扉は車内保温のために半自動扱いで乗客は開閉ボタンを押して乗降します。
発車時刻が来て若い運転士が乗り込むと乗客がほとんどないままケーブルカーは7時20分定刻に発車しました。駅をゆっくり発車し、そのまま加速するでもなくのんびりと上がっていきます。軌道は複線でゆったりしており、勾配が緩やかであれば中型車でも余裕で走れそうな印象です。沿線に見える風景はすべて住宅地であり、よくぞこのような険しい土地に家を建てたと思います。駐車場の車は全て窓が白く、気温の低さが下界と違うことがわかります。途中駅はなく、わずか5分ていどで中間駅の宝山寺に到着します。
生駒山上まで行くにはここで乗り換えです。が、次の発車まで50分ほども時間があるため生駒聖天寳山寺へお参りします。宝山寺駅は改札があってないようなところで、一昔前に田舎で見られたようなローカル駅みたいな風情があります。どこからともなく汲み取り式の時代を思い出させる便所の臭いも漂ってきます。なお鳥居前〜生駒山上間の乗車券がある場合は宝山寺駅での途中下車が可能です。
参詣路ともなっている駅前には宿屋が並んでいます。残飯にありつけるのか野良猫が矢鱈と多くいます。猫写真を撮ってみたい人には面白い街でしょう。案内板の地図に従って歩き、灯篭がずらりと並ぶ参道を抜けると寳山寺に到着しました。早朝にもかかわらずお寺はお参りの人が多く見えていて活気があります。本堂で手を合わせ紅葉が綺麗な境内を簡単に一回りした後、御朱印を頂きます。日頃はろくにお経も唱えない不信心者ですが、御朱印を頂くときはさすがに神妙な気持ちになります。
駅へ戻って今度は生駒山上までの1.1kmを結ぶ山上線に乗ります。こちらの車両も賑やかに装飾されており、あとで調べてみると「スイート」と名乗る車両のようです。車体上部にラッパを吹く天使が向き合い、下部はピンク地に白い飾りがついています。モチーフはケーキらしい。これも子供が喜びそうな柄なのでしょうか。ここまでされるとよく分かりません。車内にはすでにおっさんやおばさんが乗り込んでいます。この時間から遊園地へ行くとすれば職員の方々なのでしょう。
発車するとしばらくは排水溝のようなトンネルの中を走ります。出だしから味気ない路線と思ったのも束の間、トンネルを出るとちらほら見える紅葉と眼下に広がる雲がたなびく風景に目を瞠りました。梅屋敷、霞ヶ丘と味わいある名前の駅に順に停まり、7分かけて生駒山上に到着します。複線の宝山寺線とは違い、こじんまりとした単線軌道は短い乗車時間ながら旅情がわく面白いものでした。雪景色の中を昇れば紅葉の今よりも美しい車窓が楽しめるのではないでしょうか。
以下、南海高野線に続く・・・

投稿者 うえの : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

【和歌山】南海高野線

近鉄生駒から快速急行に乗って難波へ出たあと、南海難波駅で友人2人と合流します。高野山へお参りに行くのです。そして南海高野線で乗り残している北野田以遠を始末するつもりです。高野線は汐見橋−岸里玉出−極楽橋の区間が正式らしく、難波−岸里玉出は南海本線です。しかし実質的には汐見橋と岸里玉出の間は「汐見橋線」と呼ばれる、いわば支線のような扱いで、軌道敷はところによって雑草すら生えているローカル線です。
午前10時2分発の極楽橋行き快速急行に乗って出発です。通勤車両にもかかわらず車端部にボックスシートを備えた電車ですが、さすがに大人が座るには窮屈な寸法です。馬鹿話をしつつもみな視線はさりげなく車窓に注がれています。南海の駅は私鉄ではありながら旅の雰囲気を感じるものが多く、見ていて楽しい。けれども「狭山遊園」という駅が最寄の遊園地閉鎖に伴って「大阪狭山市」駅に変更されたのは少々情けない。隣にはすでに「狭山」駅があるので新駅名がうまく思いつかなかったのかもしれませんがもう少し智恵を絞って欲しいところです。
山を抜け田園を走って林間田園都市駅からは各駅停車となります。平坦路線と山岳路線の境界となる和歌山線との接続駅、橋本駅には10時50分頃に到着。
橋本からは段々と勾配が強くなり、急な曲線も増えてきます。後ろ4両を切り離して短尺4両編成となった電車はゆっくりと足元を確かめるように進んでいきます。歩みがのろいため車窓がゆっくり楽しめます。山を彩る鮮やかな紅葉が楽しく、普通の路線であれば腹が立つような速度が却って嬉しいのは身勝手というべきでしょうか。
高野下で難波行きの快速急行と交換します。静かな山あいの小さい駅です。まわりに住宅が多く地域の根幹となる駅ですが味わい深さでは高野線の中でも一、二を争うと思われます。時代を感じる書体の駅名標、木製のベンチ、構内踏み切りと、好きな人にはたまらない駅でしょう。
終点の極楽橋は鋼索線との乗り換え駅になっています。そのため構内は比較的広いつくりになっています。しかし駅の外へ出て駅舎をみると果たしてこれが本当に駅なのだろうか。首を傾げたくなるほど貧弱な姿をしています。駅から出なければ良かった。
高野線の終着駅にはちょっとがっかりしましたが橋本駅からの沿線風景は特に魅力たっぷりでした。
いつ熊が出てもおかしくない雰囲気の軌道。急曲線で響く車輪の音色。時間さえあれば何度でも乗りたくなるほどの趣があります。他の大手私鉄の路線ではあまり持たない印象です。
以下、南海鋼索線に続く・・・

投稿者 うえの : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

【和歌山】南海鋼索線

南海鋼索線、高野山ケーブルに乗り換えます。これまで写真でしか見たことがなかったケーブルカーです。実物を見て圧倒されました。幅が広くて長い。いや、長いというより「高い」と言うべきか。2両編成の車両はそれぞれが10mほどだから合わせて20mです。ふだん見かける電車と寸法上の長さはほとんど変わりません。しかしこの20mが横たわっているのではなく、立ち上がったその姿は圧巻です。車内は満席で立ち客があふれています。定員は260人なので、ちょっとした高さのビルが中で働く会社員らを乗せて移動するようなものです。その巨大さと比べるとさきほど乗った生駒ケーブルが可愛く見えます。先頭に立って前面を展望したければ階段を40段も50段も上がらないとたどり着けない。高野山は修行の霊場ゆえ文明の利器ですら利用するには苦行を要します。
息を切らせて乗り込むとほどなく発車しました。世界遺産に指定されたからでしょうか、独逸語を話す外国人観光客のグループが乗っています。登るにつれて眼下に広がる山の紅葉風景は他ではなかなか見ることが出来ない。美しさに感動してか外国人観光客のおばさんが嬉しそうにカメラに風景を収めています。
ケーブルカーは終点までのおよそ0.8kmを5分ほどかけて登ります。最急勾配は566パーミルをわずかに超え、高低差はおよそ330mあるとされます。景色も車両も勾配も、いずれもが大きいスケールです。
充実した5分の旅を終えて終着高野山駅に到着しました。こちらの駅舎は極楽橋駅とは対照的に寺院を模した立派な建造物です。駅前はバスが何台も待機して賑やかでみやげ物屋もあります。ここが高野山への本当の玄関口という意味なのでしょう。駅の二階には南海電車の歴史が残されています。時代を超えて残る待合室も一見の価値があります。訪問の際にはぜひ覗いてみてください。
南海りんかんバスに乗り換えて奥の院、金剛峰寺へと向かいます。あふれる乗客を運ぶためバスは臨時ダイヤで臨機応変に走っています。時刻表にはないバスの便が多く、フリー切符を持っている人にとってはかなり便利に乗れると思います。
紅葉はほぼ終わりかけとなった高野山内を参拝し、そのまま逆ルートで大阪まで帰ってその夜は少し早めの忘年会です。久しぶりに仲間で飲むビールはうまい。他愛ない話題で盛り上がり時間は瞬く間に過ぎていきます。仲間の一人ゆ爺(仮名)氏は確か昔は飲めなかったはずなのにいつしか酒豪となっている様子。慶賀の至りであります。
3dayチケットはあと2回分残っています。次に乗り残しているのは神戸電鉄や能勢電鉄の枝線、大阪と神戸の地下鉄など。どれにしようかと楽しみではありますが、正直なところ地下鉄にはあまり乗りたくないです。

(了)

(時系列順に上から読めるよう投稿時刻を修正いたしました)

投稿者 うえの : 23:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月31日

【東海】来夏、東海道区間から500系が引退

いつかは引退の時が来るとは思っていましたが、こんなに早いとは残念です。もっとも山陽区間では走りつづけるので、全く姿が見られなくなる訳ではありません。引退というより登場当時の原点に戻ったというべきか。
穏やかな顔つきの0系から100系、300系と進化して、まさに超特急に相応しい容姿と実力を持って生まれた500系は見ても乗っても楽しい列車のひとつです。
下の読売新聞オンライン版の記事には窓際席の居住性云々とありますが、品川、新横浜とうじゃうじゃ乗ってずらりと立っている乗客の居住性はいかがなのでしょうなどと小言の一つも言いたくなりますな。

読売新聞オンライン版の記事から。

世界最速は居住性不評、500系「東海道」から引退へ


世界最速300キロを誇る東海道・山陽新幹線の500系が、来夏の新型車両N700系の投入を境に東海道区間から引退する。
1997年のデビュー以来、「高速化追求のあまり、居住性を犠牲にした」と批判され続けてきた。今、新幹線には快適性も強く求められ、技術の粋を集めた名車も、時代に逆らえなくなった。
15メートルもある飛行機のような先頭形状、ウナギのようなかつてない斬新な車体が話題になった。97年8月、「世界最速の列車」としてギネスブックに載った。
スマートな先頭の形を維持するため、最前、最後部の乗降扉を犠牲にした。丸い断面の車体は「窓際席で圧迫感を感じる」と、不評を買った。
N700系の車体傾斜システムで可能になる東海道区間の曲線270キロ通過に対応できないのも、引退を強いられる理由の一つだ。
JR西日本は07年度末までにN700系を8編成製造し、順次、9編成保有する500系と交代させる。
JR西日本が用意する「第二の人生」は、「300キロひかり」構想で、8両編成の「ひかりレールスター」並みに短くして使う案が浮上している。
(2006年8月31日14時51分  読売新聞)

以下はわしの寝言です。
山陽区間で「ひかり」運用に就くのであれば、いっそのこと新大阪と小倉または博多の間を無停車で走り切るダイヤを組んでみてはどうでしょう。走る時間帯にもよりますが、もし新大阪と博多をノンストップで走れば1時間55分〜2時間丁度くらいで結べるでしょう。ならば航空機を利用する乗客を奪える可能性が大きいです。あちこちに急行よろしく停車する名ばかりの「のぞみ」が増え、同時に区間急行と化した「東海道ひかり」などとは一味違った「山陽ひかり」として再起して欲しいです。
グリーン車は編成組替えの際に外されるのでしょうか。半室開放席、半室個室という改造でもして1両くらいは残して欲しいところ。「のぞみ」から締め出されているジャパンレールパスジパング倶楽部、フルムーン夫婦グリーンパス、ナイスミディパスなど割引運賃でお得という売り言葉に釣られた乗客救済のためにも。

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2006年08月26日

【滋賀】湖西線〜北陸本線

滋賀県の琵琶湖北側を北陸本線と湖西線が弧を描くように走っています。この二つの幹線は近江塩津駅でつながっています。しかし線路はつながっていても両線は電気方式が直流と交流とに分かれており、直流の湖西線内の駅から交流の北陸本線近江塩津駅を経由して湖北地方の木ノ本や長浜方面へ直通電車を走らせるのは難しい状態でした。このため湖西線と北陸本線の交流部分を直流化して琵琶湖環状線を実現しようとの運動が続けられ、その結果ようやく永原〜近江塩津間(湖西線)と虎姫〜敦賀間(北陸本線)の直流化工事が完了するに至りました。この9月23〜24日の夜間に切替工事が行なわれます。
現在、交流から直流に変わる(またはその逆の)区間では電車が走りながら電流を切り替えています。この区間には電気が流れていないダミーの架線が張ってあり、その架線下で電車の機器を直流または交流仕様に切り替えるわけです。古い電車だと切り替え区間内を走行中は非常灯を除く車内の照明やエアコンは切れてしまい、夜間だと停電したようになります。この切り替え区間は交直セクションまたはデッドセクション(死電区間)と呼ばれ、その区間がこの狭い地域内で二箇所も集中しています。これほどの密度は日本国内では稀です。
うまい具合に日にわずか何本かの電車が湖西線の近江今津から北陸本線の長浜までこれらの区間を跨いで走っていますので一挙に二つの交直セクションを味わうことができます。今日は乗り納めとしてそのうちの一本、近江今津発14:47の電車に乗ってみました。
国鉄の581系という寝台昼行兼用特急電車を近郊用に改造した419系を期待して湖西線を北上しましたが、乗り継いだ近江今津で待っていたのは475系電車でした。419系は寝台車特有の高い丸屋根をそのまま残しているためその断面形状から食パン電車と呼ばれています。長距離を坐臥して過ごすための車ゆえ通勤用としては快適ではない居住性です。しかしながらまったりとした雰囲気は捨てがたい。特急用としては不評を買った向かい合わせのボックス席は登場した昭和40年代の水準で考えると破格のゆったり仕様であったと思います。
475系は元は急行に使われていた車で、普通電車用に格下げとなって車端部は通勤時間帯のことを考えてロングシート化されています。大部分のボックス席はそのまま残り、国鉄時代の汽車旅の姿を今に伝えています。一部の編成は国鉄時代のピンクとクリームのツートンカラーに戻って元気に働いています。419系、475系のどちらも交直両用なのでここでは便利に使われていますが、直流化後は別の系列の電車に役目を譲ることになっています。よって今日は交直セクションの見納めだけでなくこれら国鉄時代の遺産に乗り納めという小旅行にもなります。
この路線にしては少し多いかなという乗客数で近江今津を定刻に発車します。田園風景が広がる中、近江中庄、マキノと停まり、国道161号線を右手に見ながらトンネルを越えると永原駅です。駅を出てしばらくすると右側に琵琶湖が見えのどかな風景が広がります。よく晴れた空の下にぽっかりと浮かぶように見える琵琶湖の姿が小さな入り江の漁村のようで思わず降りて散歩したくなるような雰囲気です。電車はやがて小さな鉄橋を渡り最初の交直セクションに入ります。蛍光灯がぱらぱらと消え、エアコンが止まり、モーターの唸る音がやや小さくなります。ものの十数秒ていどで照明などが復活すると交流区間に入ったことがわかります。電車は徐々に速度を落とし、右側から北陸本線が寄り添ってくると近江塩津駅の構内です。
5分ほど停車して向きを変え、右へ別れ行く高架の湖西線を横目に交流の北陸本線にゆっくりポイントを踏んで分け入ります。
近江塩津を出るとしばらくは山肌を行くトンネル路線で、木々の間を走って平地に下り余呉湖を車窓右手にみると余呉に停車します。余呉を含めて長浜までの各駅は直流化工事に合わせて改修が進み、乗り場は雑然としています。いつぞやまではあった古い駅舎の面影は徐々に消えています。しかしこれら新しくなった駅も時を重ねてやがては良い味を出す日が来るのでしょう。
余呉から虎姫のあたりまでは車窓左手に田園が広がり、東北かどこかで見たような景色となります。遠くに見える伊吹山は山肌が少し削れているようで、この山は疵を隠してくれる雪が積もる冬に眺めるのが一番よいと思います。さすがは元急行用電車だけあってモーターの音も快調に飛ばして行きます。細かい部分を見ればさすがに約30年以上走りつづけた車齢相応の草臥れ具合ながら、さほど乗り心地は悪くなくこのままどこまでも乗っていきたい気分になってきます。
木ノ本あたりからはだんだんと乗客が増え、やはり駅舎や乗り場に手が加えられている高月、河毛と過ぎて虎姫に着きます。虎姫駅はプロ野球セ・リーグの阪神タイガースが優勝したおりには「虎」に因んだ入場券を売り出して好評を得ました。駅を発車すると線路に並行する住宅地を左手に眺めほどなく二つ目の交直セクションです。ここを過ぎると再び直流区間に入ります。二度目はそのままあっさりやり過ごしたという感じで、何のために乗ったのか分からない。間もなく乗り納めなのだから少しくらいは感動してもよさそうなものです。
車窓が雑然としてくるともう終点の長浜駅構内です。長浜駅も改修中です。これまで北陸本線の折り返し便は新快速が発着するのと同一の島式乗り場に新快速と隣り合わせで停まっていましたが、今は乗り場の北側に切り欠きが設けられて3番線となったところに北陸本線緩行が停まります。この位置には跨線橋の階段があり、時間帯によっては橋を渡る乗降客と列車の乗降客がぶつかり合って混雑します。乗り換えに余裕がない場合は要注意です。
長浜には着いたもののとくになにか当てがある訳でなし。商店街や観光に力を入れている黒壁などを適当に徘徊し、ふらりと入った店で不味いラーメンを食べて帰路に就きました。
帰りの新快速では京都までほとんど寝て過ごしました。

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2006年07月22日

【関西】快速などに指定席

読売新聞記事の画像読売新聞大阪版22日付け朝刊の社会面に載っていた記事によりますと、東海道・山陽本線の快速列車などに指定席を連結する可能性について西日本旅客鉄道の社長が触れました。
これは阪急と阪神が統合することをにらんでの措置だそうです。福知山線脱線事故を受けてゆとりダイヤを導入したところなので速度を落とすことは出来ないが高齢者ら着席を必要とする乗客の利便を図るために指定席車両の設置を考えるとのことです。具体的な実施時期やその可能性自体がまだ不確かですが、そうした動きがあるようです。
新快速電車をみると特に京阪神間はかなり込んでいますから、指定席車を連結すると座れる可能性は高くなります。ここで考えるべきは指定券発券の手間ですね。予めみどりの窓口や自動発券機で指定を受けるのか、それとも飛び込み乗車で車内発券も可能なのか。東京のようにグリーン車自由席にしてしまうと距離に従って料金が嵩むためチな関西人には嫌われそう。
指定席車両を導入する考えは結構であると思う反面、本当に混雑を減らすのであれば原点に帰って停車駅を整理するのも効果的ではないかと思います。もっとも一度止めた駅を再度通過扱いするというのは速度を上げて運転するよりも手痛い反発を受けそうではあります。

投稿者 うえの : 19:56 | コメント (2) | トラックバック

2006年06月13日

【汽車旅】列車の窓

山陽本線にて近頃の列車は空調設備が整っています。その結果、通勤電車であっても簡単に窓が開かない構造になっています。
ひと昔前なら窓がこの通り全開になる列車はいくらでも走っていました。当時はほとんど全ての車両で煙草が吸えましたが、窓を開けて走っている限りは車内から煙が逃げていきます。いわゆる煙害なるものは少なかったような気がします。
風を受けて汽車旅をする。もはや昔話です。
山陽本線宮島口付近にて。

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2006年04月20日

【北海道】池北線が最期の運行

タイトルは池北線としましたが、正式に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線と書くと長くなりすぎるためで他意はありません。さて、北海道の北見と池田を結ぶこの第三セクター鉄道は今日をもって運転が終わり廃止となります。140kmに及ぶ長い距離のローカル線。何度もそばに行っていながら乗ることがなかった鉄道だけにちょっとした憧れのような気持ちが残っています。
廃止のあとはバスが代わりに走り、やがて高速道路も整備されていくのだとか。ご立派な高速道路を作っても鉄道よりも赤字がたくさん出てくる可能性が高いのではないか。これからは生活できる年金額が期待できない高齢者社会ゆえ高額な利用料が発生する高速道路を運転する能力が衰えたじいさんやばあさんが果たして使ってくれるのかしら。そもそも車を維持していけるのか。
公権力を使った高速道路へ運転者を押しやる汚いやり方としては一般道での速度違反検挙を厳しくして、逆に高速道路をゆるゆるにすれば少しは乗ってもらえるだろう。ま、冗談みたいな話です。忘れてください。

■ニュース記事
▼毎日新聞「サヨナラ・ふるさと銀河線:/下 歴史の1ページ心に刻み /北海道」
▼毎日新聞「サヨナラ・ふるさと銀河線:/上 車窓の風景まぶたに… /北海道」
▼読売新聞「「銀河線」20日廃止、首都圏なみラッシュを初体験」

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2006年03月17日

【列車】特急雷鳥

関西と北陸を結ぶ特急雷鳥。485系が引退して68x系に編成が統一されるとこの愛称は消滅するとされています。2006年をめどとするそうなので今年中にはなくなるのでしょう。かわりに使われるのがサンダーバードという名前です。
この愛称統一ははっきり言って馬鹿化た行為なのではないか。北陸または関西のどこにサンダーバードという名称の由来があるのでしょうか。まさか雷鳥=雷の鳥ということでサンダー+バードという安易な思い込みがあるのではなかろうか。横文字にすればどことなく格好良い感じもするし。
日本でサンダーバードといえば英国が1960年代に作った人形劇のドラマを思い浮かべる人が多い。国際救助隊という私的な組織が高度な航空機などを用いて救難活動に携わる物語です。そういえば北陸特急のサンダーバードが登場した時に宣伝の一環としてこの国際救助隊が使われたし宣伝のビラでは隊員のスコットが温泉につかっている写真も出ていました。悪乗りしすぎですって。ところでこのサンダーバードは欧米ではそれほど一般化した単語ではなく辞書の見出し語としては大きい辞書を引かないと載っていないことが多いくらいです。言葉の意味は『北米インディアンの神話に出てくる鳥で、大きい鷲に似ている。雷鳴や雨を呼ぶことが出来る(ランダムハウス大辞典)』らしい。つまりは実在しない鳥ですから立山連峰にいるライチョウとは全然関係がない。ライチョウは英語でptarmiganという。Thunderbirdとは言わない。
どうしても雷鳥の愛称をなくすのですかね。サンダーバードと比べてそんなに雷鳥という言葉は格好悪いですか。横文字偏重は怪しからんと思いますが、それに徹するならせめて西日本のお偉い方々は辞書くらい引いて下さい。思いつきで作った語呂合わせ的な和製英語名の列車が走るなんて、とても情けない。
以下、国鉄時代〜民営化初期に撮影した雷鳥六変化。

雷鳥号(1)スカートが交流60Hz区間用に塗り分けされているボンネット型の編成写真。以前のエントリーで既出。

雷鳥号(2)ボンネット型式の100番台。

雷鳥号(3)月光型同様の貫通扉を持つ200番台。

雷鳥号(4)貫通扉をなくした300番台。

雷鳥号(5)本州〜北海道〜本州へと転々とした1500番台。

雷鳥号(6)583系の雷鳥。民営化後もしばらく活躍。

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2006年03月15日

【列車】夜行列車

夜行列車某月某日。深夜の京都駅にて。
左側にいるのは臨時快速ムーンライト山陽+高知+松山の三階建て編成で、右側は当時単独編成で運転されていた特急富士です。
間もなく客車の特急出雲が廃止となります。こうした夜行列車もいずれなくなる日が来るのでしょう。寂しい気持ちはありますが、設備が古いくせに割高な寝台料金では贅沢に慣れた現代人なら敬遠したくもなります。鉄道会社側の目が向いているのは新幹線であり、料金の見直しや新しい車を作る気配はなさそうです・・・。

投稿者 うえの : 04:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月14日

【列車】急行かすが

急行かすが某月某日。柘植駅にて行き違う202D急行かすが名古屋行き。257D加茂行きの車内から撮影。
今週末のダイヤ改正で消滅する昼行急行です。昼間に走る急行列車自体が珍しくなった昨今、またひとつ急行が消えていきます。もう乗れる機会がないし関西本線を優等列車で旅した経験もないので何度か乗りに行こうと思いましたが、惜別の感情がわくほど愛用していたわけではないし結局乗らないことにしました。乗りたい気持ちはあるのですがね。

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2006年03月13日

【山形】奥羽本線関根駅

奥羽本線関根駅某月某日。奥羽本線関根駅にて。
新在直通特急を通すための標準軌化工事が進み、客車列車が廃止される直前の頃の様子です。
客車列車は遅いと思いがちですがわずか2両や4両の編成ですと機関車にはかなり余力があるらしく、電車並みの俊敏な走りに驚きました。牽引機は板谷峠専従のEF71です。冷静に考えると3700psに近い高出力の普通列車が日常の足だったとは、運用の都合とはいえかなり贅沢なものですね。

投稿者 うえの : 04:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月06日

【列車】急行立山

急行立山

某月某日。京都駅7番線に入る急行立山1号大阪行き。

471系という交直両用の急行用電車です。車体の裾に見えるクリーム色の帯は60Hz区間用であることを示しています。学校が終わると市バスや徒歩で家から京都駅まで出かけて飽きずに列車をよく眺めたものです。幼児が犠牲になる昨今を思えばよくぞ誘拐などされなかったものだと思います。
この系列の列車は博多発の急行玄海に京都から大垣まで乗ったことがあるだけで、京都駅に遊びに行くとよく見かけた「立山」には乗らずじまいでした。
年によってわずかに違いはありますが昭和50年頃の立山1号は京都駅には13:20前後の発着だったようです。写真右手に見えるのは入れ換え用として構内で活躍していたDD13。ブレてますが前照灯が一つの初期型です。

投稿者 うえの : 04:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月04日

【京都】叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅

叡山電鉄鞍馬駅

某月某日。叡山電鉄鞍馬駅にて。牛若丸で有名な鞍馬寺の最寄駅。

元々は京福電鉄の路線だったのですが経営上の理由から京福本体から切り離されて叡山電鉄となり、現在は京阪電鉄の子会社となっています。叡山電鉄の設立は1985年ですから路線自体は大正から昭和にかけての開業と古いですが会社としてはまだ若い。日頃はのんびりしていますが秋になると鞍馬線は紅葉見物で賑わいます。
写真のデナ21は平成の始めに引退し現在鞍馬駅に運転席部分が保存されています。

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2006年03月02日

【長野】飯山線飯山駅

飯山線飯山駅

某月某日。飯山線飯山駅にて。
以前ご紹介した戸狩野沢温泉駅と同じ日の旅です。

普通気動車でゆっくり旅をしつつ暮れゆく窓外を眺めるのは楽しくもあり寂しくもある。少し複雑な気持ちですがこんな旅がいつまでも続けられたら良いなと写真を見て改めて思います。

投稿者 うえの : 04:19 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月28日

【長野】信越本線軽井沢駅

軽井沢駅

某月某日。信越本線軽井沢駅にてEF63を連結する特急「あさま」上野行き。

信越本線の軽井沢〜横川間には碓氷峠という在来線区間では最も急な66.7‰の勾配がありました。列車が安全に峠を上下するには強力な装備を持つ電気機関車EF63の力を借りなければなりません。機関車の連結・切り離しの作業のため忙しい現代にあっても軽井沢、横川では特急電車といえども何分か停車していました。横川ではおぎのやの「峠の釜めし」がよく売れました。
1997年にの急勾配区間は廃止され、代わりに北陸新幹線が輸送の任についています。

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2006年02月26日

【列車】ホームライナー関ヶ原

ホームライナー関ヶ原

某月某日。ホームライナー関ヶ原に乗りました。
写真は大垣駅に入線しているところです。

東海旅客鉄道が通勤時間帯に運転しています。どこをうろついていたのか忘れましたが青春18きっぷで東海道を下る時にたまたま乗った乗車定員制の快速列車です。キハ85という高山本線などで走る特急用の気動車が使われています。名古屋駅の自販機で買った整理券を確かめて座席を探すと運転士のすぐ後ろというかぶりつきには最適のところでした。車内はほぼ満席状態でしたから我が身の幸運を真剣に神様に感謝しました。あんまり嬉しそうな顔でもしていたのでしょうか。勤め帰りらしい女性がこちらを不思議そうに見てから立ち去りました。『鉄オタはキモい』とか思っていたのかも知れません。しかしこれで料金が310円とは安い。速度は特急並みとはいきませんが前方視界、乗り心地ともに満足出来るものです。車内に聞こえるエンジン音も静かです。名古屋を出る頃はそこそこ乗っていた車内は大垣、垂井までで結構人が降りてしまい終着駅の関ヶ原で降りた人は全車両を含めてわずかでした。暗いながらも前面展望をしっかり楽しんだあとふと手元の整理券を見ると号車番号が違っていて本来座るべき座席ではありませんでした。とすると名古屋発車前にわしの方を見ていたあの女性は・・・。

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2006年02月25日

【福井】北陸本線敦賀駅

北陸本線敦賀駅某月某日。北陸本線敦賀駅にて。
冬のある日、青春18きっぷで日帰りの汽車旅をした時のスナップです。列車の窓から撮りました。
北陸本線は特急列車が高速で行き交う日本海側の動脈路線です。しかし普通列車は特急とは全く逆にのんびり走っていて、大きい駅では浮世離れしていると思えるほど長い間停車することすらあります。その理由は大まかに2つあります。一つは特急待ちをするのともう一つは時刻表の上では列車番号が変わって別の列車になるものの車両はそのまま米原方面へ行くためそのまま次の発車までじっと待機するためです。
使われている車両には寝台特急を改造した妙な形の電車や国鉄の時代からほとんど姿を変えていない元・急行用電車もあって旅する雰囲気は満点です。ちっとも前に進まない古き良き鈍行列車時代の気分を味わっている変人がいる一方で列車に興味ない人は早く進め、おんぼろめ!と思っているかも知れません。しかしこのおんぼろさがまたたまらない訳で、用事がない以上は高い特急料金を払って急ぐこともなかろうと思います。そんな金があるならビールを飲む方がよい。
駅の売店で弁当やビールを買い込んでゆっくり発車を待つのは楽しい時間の浪費です。

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2006年02月24日

【富山】富山港線岩瀬浜駅

富山港線

某月某日。富山港線岩瀬浜駅の近くにて。
国鉄末期に施された美的感覚を疑う赤葡萄酒色の455系3連です。

美しい雪山を背景に走るこの路線は残すところあとわずか、今月28日限りで廃止されます。4月29日からは路面電車化され富山ライトレールとして生まれ変わります。開業日から来年3/31までは平日昼間時間帯と土・日・祝日の運賃(均一)は通常200円のところが100円に半額となるそうです。

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2006年02月23日

【熊本】熊本市交通局

熊本市交通局

某月某日。水前寺公園付近にて。

雨が降る中、なんとなく熊本の街を彷徨っていたときに撮ったスナップです。電車の正面に出ている「2」という番号は2号系統という意味でしょうか。何度か乗っている路面電車ですがなぜかあまり記憶にないのです。今は低床車が導入されるなど使いやすい電車になっているようですね。

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2006年02月22日

【京都】宮津線網野駅

宮津線網野駅

某月某日。宮津線網野駅にて。

今は北近畿タンゴ鉄道として現存する第三セクター路線です。写真は今からおよそ17年前、第三セクター化される直前のものです。

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2006年02月21日

【富山】氷見線能町駅

氷見線能町駅

氷見線能町駅にて。

加越能電車の駅から乗り換えた時のスナップ。国鉄民営化後間もない頃でまだ古い気動車が主役で働いていました。簡素な駅ではありますがどことなく味があります。

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2006年02月20日

【千葉】小湊鐵道上総中野駅

小湊鐵道上総中野駅某月某日。小湊鐵道上総中野駅にて。
構内がかなり広いのが特徴です。

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2006年02月19日

【長野】飯山線戸狩野沢温泉駅

飯山線戸狩野沢温泉駅

某月某日。飯山線戸狩野沢温泉駅にて。

国鉄分割民営化後間もない頃のスナップ写真です。当然ではありますがまだ国鉄型気動車が主役でした。経年劣化が激しいよれよれのキハ52で飯山線を走りぬけたのも今では良い思い出となっています。

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2006年02月18日

【福岡】鹿児島本線南福岡駅

鹿児島本線南福岡駅

鹿児島本線南福岡駅にて通過列車を待つ。

鹿児島本線は九州の動脈幹線ですが、夜が遅くなると賑やかな博多駅に近い区間でも駅によってはひっそりとしています。いつもは特急で慌しく通り抜ける区間をたまには普通列車で旅してみるのも楽しいです。
鹿児島本線南福岡駅は1966年に雑餉隈駅から改称。

【雑餉隈】  ざっしょのくま

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2006年02月17日

【青森】下北交通大畑線

下北交通大畑線田名部駅にて

某月某日。下北交通大畑線田名部駅にて。

元・国鉄大畑線。国鉄民営化に際して下北交通が引き取って運転を続ける。写真のキハ85−2は国鉄のキハ22−150を手直ししたものだそうです。2001年3月31日を持って運転終了、廃止。
日本エアシステム(当時)の機長さんらが中心となって出来たNPO法人が大畑線キハ85動態保存会を主催して気動車、列車施設の保存に努めていらっしゃいます。

【1990年3月10日改正の列車時刻(日本交通公社版時刻表1990年3月号参照)】
1D 下北 642 → 田名部 649 → 大畑 712
0D 大畑 610 → 田名部 634 → 下北 640
19D 下北 2030 → 田名部 2037 → 大畑 2100
18D 大畑 1955 → 田名部 2019 → 下北 2025
下北〜大畑 営業キロ 18.0km 運賃 350円(同キロ程の地方交通線運賃は当時310円)
2001年廃止

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2006年02月16日

【京都】京都駅山陰のりば

急行丹後

某月某日。京都駅山陰本線の乗り場から発車する急行丹後。

民営化後間もない頃、駅ビルが出来る前の時代です。山陰のりばは国鉄の頃と比べて機関車の機回し線が撤去され、乗り場にはアスファルトが敷かれるなど少し改装されています。関空特急はるかもまだない頃でした。
京都駅では比較的遅くまでグリーン車を組み込んだ国鉄色のキハ28・58系急行編成を見ることが出来ました。

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2006年02月14日

【福岡】筑豊本線/桂川−原田

筑豊本線・桂川−原田

某月某日。筑豊本線桂川〜原田間にて。
現在、客車列車による運転は行なわれていない。

【1990年3月10日改正の列車時刻(日本交通公社版時刻表1990年3月号参照)】
2837レ(直方から2839レ) 門司港 1413 → 直方 1537 → 桂川 1618 → 原田 1647
若松〜原田 営業キロ 66.1km 運賃 1260円(同キロ程の九州内地方交通線運賃は現在1430円)
桂川〜原田 営業キロ 20.8km 運賃 390円(同キロ程の九州内地方交通線運賃は現在450円)

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2006年02月09日

【大阪】京阪電鉄交野線

京阪交野線私市駅きょうのお昼頃、少々時間があったので京阪電車交野線に乗ってきました。
交野線は京阪本線枚方市駅から東南方向へ折れ、交野市の私市まで行く全長6.9kmの枝線です。ミニ路線とはいえ平日の朝には淀屋橋へ向けて「K特急おりひめ」が走り、夕方には天満橋から「準急ひこぼし」が走ります。愛称の「おりひめ」と「ひこぼし」は列車が走る交野に七夕伝説があることからついたとか。また路線としての歴史も古く、昭和の始めに開通した信貴生駒電気鉄道がその前身です。
この交野線には子供の時分以来、全線乗りとおすのは30年ぶり以上です。枚方市駅で本線から乗り換えると交野線乗り場である6番線で待っていたのは1900系という、その昔は特急電車として本線上を京橋〜七条間を無停車で飛ばしていた名車です。車内に入るとほどなく発車しました。お昼の時間帯ということもあり乗客数はまばらです。ポイントを踏み分けゆっくりと天野川の短い橋梁を渡るとすぐに最初の駅、宮之阪です。天野川とはさすが七夕伝説がある土地らしい川の名前です。
50km/h程度でのんびり進み国道1号線をくぐると星ヶ丘に着きます。このあたりまでは京阪電車らしい曲線の線路でしたがこのあとは河内森駅までのおよそ4kmは上下はあるもののひたすら直線です。線形は良いのですが駅間距離が短いため速度は出ません。路盤も感覚的に弱そうです。束の間とはいえ交野市から河内森の間で80km/h出た時は嬉しかった。村野、交野市とどんどん人が降りて行き、発車時点から空いていた車内がなお寂しくなっていきます。
片町線を跨ぐと間もなく河内森駅に到着です。さきほど跨いだ片町線の河内磐船駅と連絡しています。ただし駅同士は少し離れていて河内森駅からは京阪に沿って枚方市方向へ数分歩いて戻らねばなりません。河内森駅を出るとすぐに右へ曲がりゆっくり走ると終点私市駅です。ここまで枚方市から15分ほどでした。
子供の頃降り立った駅の印象は今では忘却の彼方です。イチゴ狩りが目的で連れて訪れたこの小さな駅は年月を経てモダンな三角屋根の駅舎となっています。
駅周辺はハイキングコースがたくさんあってシーズン中は賑わうそうですが、きょうは真冬の平日でしかも寒い昼下がりとあって、用務客以外に人の姿はまばらな私市駅でした。

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2006年01月24日

【九州】「はやとの風」に新編成

九州の特急気動車「はやとの風」に新しい編成が加わったようです。1/16に公式発表が出されています。もとは汎用の国鉄製気動車を改造した車両ですが、手を加えればかなり立派になるものですね。九州へ行く機会(と金)がないためまだ「はやとの風」には乗っていないのですが、車内騒音はどれくらい抑えられているのでしょう。デッキがない客室ゆえエンジン音がかなり聞こえてきそうな雰囲気です。音は別にして九州の特急列車は車内のつくりに凝っているのが多いですね。中にはちょっと感覚的に合わない車もありますが概ね面白い視点で作られていて他社の列車に比べ乗車時間が楽しめるようにうまく出来ていると思います。

24日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録します。

JR九州:特急「はやとの風」新車両が登場−−内装を一新 /鹿児島

JR九州の特急「はやとの風」に新車両が登場し、鹿児島中央−吉松間を1日2往復している。内装に木材を使用し、バリアフリー対応の作りにするなど、よりくつろげる空間を演出している。
新車両は21日から導入され、黒色の外観は従来と同じだが、内装を一新。全席指定で、壁や窓の日よけには高級家具やバイオリンなどに使用される木材「ホワイトシカモア」が使われている。また、車両中央部には座席が窓側を向いた展望席もあり、トイレには手すりやベビーシートが設置されている。
(後略)【松谷譲二】
毎日新聞 2006年1月24日

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2006年01月23日

【熊本】上熊本駅舎が市電の駅舎に

古い駅舎が残るのは良いことです。
鹿児島本線上熊本駅は93年の歴史があるそうな。九州新幹線建設のために駅舎は解体されることになっていましたが地元の有志各位の運動が実って熊本市電の上熊本駅舎として再び活用されることが決まったそうです。
小泉八雲、夏目漱石ら文人縁の駅だけにその姿が残るのは嬉しい話です。わし自身は上熊本の駅に残念ながら降りたことがありません。汽車に乗るばかりの旅も楽しいですが、歴史を調べて駅を訪ねる旅もせねばと反省しています。
23日付毎日新聞オンライン版が上熊本駅移築のニュースを伝えています。

上熊本駅旧駅舎:93年の働きに感謝 集いに100人、コンサートなどで別れ /熊本

九州新幹線建設に伴う駅舎移築のため93年の歴史に幕を下ろした熊本市上熊本のJR上熊本駅旧駅舎で22日、「感謝の集い」があった。約100人が集まり、ジャズコンサートなどで別れを惜しんだ。
上熊本駅は1891(明治24)年に池田駅として開業。小泉八雲の「停車場にて」の舞台や、旧制五高(現熊本大)に赴任した夏目漱石が降り立ったことで知られる。旧駅舎は梁や柱など一部を生かし、ほぼ同じ外観で市電の上熊本駅舎として再利用される。
(中略)
旧駅舎は1913(大正2)年完成。漱石や八雲がいた時期の駅舎ではないが、明治・大正期の建築様式を今に残す建物として親しまれてきた。九州新幹線建設に伴い同駅前後が高架化されるため解体が決まったが、市民から保存・活用を求める声が上がっていた。【高橋克哉】
1月23日朝刊
(毎日新聞) − 1月23日17時45分更新

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2006年01月21日

【兵庫】山陽電車で新年会

この日は仲間内の新年会。わしと友人の2人だけでひっそり執り行いました。当初横浜からも参加者ありの予定でした。この日関東は雪が降ったために残念ながら次の機会にということになりました。
午後に大阪駅で待ち合わせます。どこへ行こうかと話し合うと、友人は山陽電車の本線に一部乗り残している区間があるそうです。出来れば乗ってみたいとのこと。北海道の辺鄙な国鉄線には足跡をたくさん残している彼が足元の路線に穴があいているとは意外でした。わしは完乗していますが最後に乗ったのがいつか分からないほどの年月が経っています。記憶を新しくする願ってもない機会ゆえ賛成しました。
梅田からは阪神、山電乗り放題の阪神・山陽シーサイド1dayチケット(2000円)が発売されています。まさに乗り潰しのための企画乗車券です。今日はこれを利用して山陽電車の旅を楽しむことにします。
シーサイドとはハイカラな名前です。確かに須磨の辺りで沿線に海を臨む区間があるものの最初はなぜシーサイドなのかわからなかった。帰宅した後で山陽電車のサイトを見ると山陽電車という漢字の上に英語でSEASIDE EXPRESSと読み仮名が振ってあります。なるほど。納得はしていないけれど理解は出来ました。ところで「海岸急行」ではだめなのだろうか。海産物で有名な明石を通るから「蛸急行」でもよかろうに。なんでも英語っぽく表現すれば格好良く見えるだろうという考えはいかにも安っぽい。しかし「蛸急行」を「オクトパスエクスプレス」とすると「オリエントエクスプレス」っぽく聞こえなくはない。「蛸急行」よりはやはり格好いい。自論に自信がなくなってきた。
サンドウィッチと飲み物を仕入れて乗り場へ。梅田を13:30に発車する直通特急は阪神の車でした。転換式クロスシート車に腰を下ろすと心はすでに旅気分です。ただ居住空間は狭く安い作りの座席も京阪や阪急に慣れた体には少し物足りない。こうした文句を平然と言えるのはおっさんになってしまった証拠で、紅顔の美少年の頃は乗ることだけで楽しかった。今はすっかり厚顔の老醜親爺です。
それでも動き出せばやはり嬉しい。見慣れた尼崎などの沿線すら眺めて楽しい。阪神電車は比較的高架の割合が高く近代的な鉄道路線に思えます。11年前の大震災で大きな損害を蒙ったもののよくぞここまで復活しました。
特急とはいえ急行並みの停車駅で30分近くかけて三宮、元町の地下線へと入り、神戸高速鉄道東西線を経由していよいよ山陽電車の区間に入ります。神戸高速は線路だけを保有して山電と阪神、阪急が車両を走らせる珍しい形態の鉄道会社です。
特急なので山電の起点である西代駅は通過します。流れ去る駅名標を横目に乗り場のお客さんの数を数えると10人程度でした。板宿を過ぎて地上へ出ると山肌にへばりつくようにしてゆっくり走ります。適度な速度は適度な眠気を誘い、酒は飲んでいないのにほろ酔い気分です。この辺りが友人の乗り残していた区間だそうで、無事に完全乗車が出来ました。
沿線の中では比較的大きい明石を出ると田舎らしい風景になり、電車の速度も特急らしくなります。最高速度では山陽本線の新快速には及ばないにしても体感的には明石以西は結構速い。とんとんと東二見、大塩を経て飾磨に到着。飾磨駅からは網干線という新日鉄の工場がある広畑を経由して網干に至る長さ8.5kmのローカル線が分岐しています。友人が網干線を再訪するのはン十年ぶりとのこと。当時の記憶と今とを比べてどんな違いがあるのでしょうか。
よく見るまでもなく飾磨駅は前回に来た時とは少し様子が違っています。駅の出入り、乗り換えなどは構内踏み切りで行なっていたはずなのに今は陸橋を経由して線路を渡らずに移動するようになっています。網干線の電車は本線の上下線に挟まれる形で止まっています。構内を通っていた頃は本線が中寄りだった気がします。位置が変わったことによって本線から網干線への乗り換えが楽になりました。昔とはちょっと変わっていますな、などと昔話に花を咲かせつつ駅の周辺を少し散策してのち網干線電車に乗車します。3両編成の車内はほどほどに座席が埋まっています。
15:14に発車。単線の上を電車は飾磨の車庫を右手に眺め次の西飾磨までは高架を走って地平に降ります。夢前川を渡ると沿線は長閑の一言。住宅街や新日鉄の社宅らしき団地が点点と見えるほかは普通の田舎風景が続きます。途中、山陽天満で少々長めの行き違い待ちがあったほかは淡々と進み終点山陽網干に到着しました。友人曰く、昔とはあまり記憶に間違いはないそうです。半世紀を超えてあまり違和感がない沿線風景は貴重です。
山陽網干の駅前には簡便なバス乗り場があります。ここからは神姫バスが発着しています。バス停名は昔ながらの山電網干です。以前来た時はここから海が見えるところまでぶらりと乗ってみたことがあります。記憶はすっかり薄れていてどのバスでどこをどう走ったのかは忘却の彼方です。
このあとは姫路で姫路モノレールの遺構などを見て歩いたあとで明石にてようやく新年会となりました。明石で玉子焼きを肴にヱビスビールを飲むと少量でもすっかり酔い気分です。
山陽路は大抵新快速で急いで下る旅をしてしまいがちですのでこうしたのんびり旅行は新鮮でした。次回は同じ区間を普通電車で乗り通してみようと本気とも冗談ともつかない約束をして家路につきました。

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2006年01月17日

【列車】出雲の雄姿にカメラ放列

寝台特急「出雲」の廃止が決まってからというもの、日本海新聞オンライン版によると撮り鉄が多数山陰の地に来ているようです。

鳴り響く「出雲」の汽笛 最後の雄姿にカメラ放列

JRが三月のダイヤ改正で廃止することを発表した、山陰と東京を結ぶ寝台特急「出雲」が疾走する雄姿を写そうと、鉄道写真の愛好家が連日、湯梨浜町内の撮影スポットでカメラのレンズを向けている。限られた時間を惜しむように、週末には県外からも大勢のファンが訪れ、「出雲」の汽笛とシャッター音が静かな田園にこだましている。

−湯梨浜の青崎踏切−
愛好家で連日にぎわっているのは、同町原の青崎踏切。東京駅を出発した「出雲」は、午前八時半ごろに、同踏切に差し掛かる。
踏切の手前は倉吉駅方面に向かって緩やかな左カーブになっているため、「DD51」と呼ばれる赤いディーゼル車両でけん引するブルートレインが、ファインダー越しに迫って来る迫力のある写真が撮影できる。周辺は水田や畑が広がり、障害物もないため、鉄道ファンの間では有名な撮影スポットだという。
今月七−九日の三連休中には、踏切近くの道沿いに「横浜」「三河」「相模」「神戸」など県外ナンバーの車がずらり。連日二十人近くの鉄道愛好家が集まった。
東京都練馬区の会社員、内藤一暁さん(35)は、「廃止になる前に撮影しておこうと思い来た」と、カメラ二台とビデオ一台を用意して「出雲」が姿を現すのを待ち構える。「新幹線網の発達でブルートレインは年々廃止され、赤いDD51のディーゼル車両でけん引しているブルートレインは出雲が最後。なくなるのはやはり寂しい」と存続を願う。
「出雲」に二度乗ったこともある兵庫県香寺町の会社員、橋本秀樹さん(56)は「懐かしい車両で昔通りの景色が頭をよぎり、乗ったら愛着も出る。以前から廃止のうわさはあったが、それが現実になってしまった」とぽつり。
三重県明和町から祖父と一緒に訪れた高校三年生、永富健介さん(17)も「何と言っても青の車列をけん引している赤い車両が魅力。もっと走ってほしいけど、残念」と肩を落としながらも、真剣な表情でシャッターを切っていた。

「新幹線網の発達でブルートレインは年々廃止され、・・・。なくなるのはやはり寂しい」
廃止と聞くとずいぶん沢山撮影に来るようですが、そのうちの何人が実際に当該列車に乗って廃止阻止に向けて貢献したのかしら。記事だけ見れば県外からの車がいっぱいだという。車で来る金とヒマがあるなら列車に乗って来ることは考えないのかな。撮影現場が不便だから車でないと無理。そんな理由もあるでしょう。が、別に「出雲」に乗らなくとも他の列車でもよい。鉄道は乗客を運んでなんぼである。眺めてもらうために走っているのではない。今回の「出雲」に限らず、格好いい汽車の写真がいつまでも撮りたいのであればそれを被写体として残せるよう何らかの貢献はしたほうが良い。列車に乗るに越したことはないが近くの駅で記念に切符を買っても良い。いくらかでも鉄道側にお金を落とすことをしないと線路そのものが存続の危機に陥るのはすでに歴史が証明していることです。お金は落とした結果存続につながらなかったとしても気分としては何か良いものが後に残ると思います。

■参考リンク
▼日本海新聞:永田町の風−「出雲号」への思い −石破 茂−(12/11)
▼日本海新聞:永田町の風−続「出雲号」への思い −石破 茂−(01/15)

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2006年01月16日

【長崎】松浦鉄道・福井川橋梁は竹筋橋の可能性

耐震強度を偽装して喜ぶ反社会的人間がいるかと思えば、知恵を絞って独特の建築物を作る人もいます。前者は恥ずべき犯罪者として後世に名を留め、後者は知恵者としてその功績が語り継がれます。
長崎県でこのたび大東亜戦争中に作られた鉄道橋に意外な材料が使用されているのが分かりました。戦争遂行のための資材が不足しており、軍が鉄の供出を命じていた頃です。
橋の上を重い列車を走らせるには頑丈なコンクリートと鉄筋が不可欠と思いがちのところをこの長崎県の松浦鉄道にある福井川橋梁は竹が鉄筋の代用とされているらしいのです。
松浦鉄道にはずいぶん昔に乗っていますがそんなことは当時はもちろん知らないことでした。假令知っていたにせよビール片手に昼行灯よろしく車窓を眺めているようでは全く気付くこともなく旅を終えていることでしょう。生まれてこの方、乗って撮って楽しむだけの鉄道旅行が多かった点を反省して歴史的な側面もいろいろ調べて汽車旅を楽しみたくなってきました。
以下、16日付け産経新聞オンライン版の記事から抄録します。

竹でできた橋!?大丈夫 長崎・佐世保 戦時中に建設

≪「先人の工夫」調査へ≫
長崎県佐世保市のコンクリート製の鉄道橋「福井川橋梁」に鉄筋の代用で竹が使われている可能性のあることが分かり、列車を運行する第三セクターの松浦鉄道工学院大が二月上旬に橋に小さな穴を開けて「先人の工夫」について調査することになった。安全性に問題はないといい、松浦鉄道は、竹であることが確認されれば“竹筋橋”としてPRしたい考えだ。
橋は物資不足の太平洋戦争中に旧鉄道省が造ったもの。工学院大の研究者によると、同時期に鉄道省が造った熊本県小国町の幸野川橋梁も同様の“竹筋橋”だが、路線が廃線となり列車は走っていないという。
福井川橋梁は、佐世保市吉井町の福井川に架かり、長さ七十九メートル。川からの高さは二十二メートルで、美しい三連アーチ橋として鉄道ファンの間では知られている。
地元の地域おこしの一環として鉄道に関する話題を集めたところ、昭和十七年の建造時を知るお年寄りから「鉄筋ではなく竹を組んでいた」との証言が寄せられた。
建造の前年には金属類回収令も公布されており、竹で鉄筋の代用をしたとみられる。調査に協力する工学院大の玉井孝幸さんは「建築資材がない時代の技術者がいかに困難を克服したかを調べたい」と話している。
【2006/01/16 大阪夕刊から】
(01/16 16:24)

■参考サイト
▼土木学会図書館「3.鉄道、トンネル」
▼土木学会図書館「戦前絵葉書 4.鉄道省−1」
▼土木学会図書館「戦前絵葉書 4.鉄道省−2」

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2006年01月13日

【九州】来年春をめどに喫煙席を廃止

13日付け読売新聞の記事から。

JR九州が喫煙席全廃へ、一部特急は喫煙ブース検討

JR九州は、2007年3月をめどに列車の喫煙席を全廃する方針を明らかにした。
健康志向の高まりに加え、車内での煙害を指摘する乗客の要望に応えることにした。JRグループではJR北海道に続き2社目になる。
普通列車と、乗車時間が約40分と比較的短い九州新幹線「つばめ」と特急「はやとの風」はすでに全席禁煙となっているが、大半の特急には最低1両の喫煙席が残っている。
ただ、小倉、大分と宮崎を結ぶ特急「にちりん」は乗車時間が比較的長いため、「ゆふいんの森」といった観光列車などと同様、デッキに喫煙ブースなどを設けるか検討している。
(2006年1月13日14時49分 読売新聞)

煙草を吸う人にとっては哀しいお知らせです。
九州旅客鉄道では来年の春をめどに喫煙席を全廃する方針だそうです。国鉄分割民営化後他社に先駆けて九州は特急列車のほとんどを禁煙車主体の編成にしてしまった会社です。分煙化が徹底されて10有余年の歴史があるため比較的容易にこうした方針は受け入れられそうに思います。しかしながら「全面的に」という規則は時に破られやすいものでもあります。列車は航空機のように厳しい規制の下に運転されていない面もあり禁煙車で喫煙する確信犯が出てくる可能性はあるでしょう。記事にあるように運転時間が長い列車と観光列車だけに喫煙所を設けるのではなく、どの列車にもこれまでの喫煙車の車端にでも喫煙空間を設けて逃げ道を作っておくと要らぬ摩擦も避けられるでしょう。民営化後に走り始めた783系(ハイパーサルーン)のように車の中央部に出入り口を設けて左右の客室で喫煙・禁煙と分けてしまうようなやり方など有効に思えます。
世の中は禁煙志向に流れているがゆえに企業としてそれなりに対応せねばならないのは分かりますが、願わくはやりすぎぬように・・・。逆に萌えキャラのハイパーレディ的接客嬢が旅のお供をして「お客様、お付けいたします」と煙草に火をつけてくれるようであれば、いや、それは妄想というものです。

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2006年01月12日

【山口】下関駅から振鈴が見つかる

身勝手な放火常習犯によって燃え盡きた下関駅。燃えた跡から貴重な品が見つかりました。列車が発車する際に使われた振鈴(しんりん)という手で振る鐘で、開通当初は私鉄だった山陽鉄道の時代から伝わるものなのだそうです。残念ながら木で出来ていた取っ手部分や収めていた箱は焼けてしまいました。復元されることになっており、さらに後世に鉄道の歴史を伝えてくれる名品となりそうです。
以下、12日付け毎日新聞の記事から抄録します。

下関駅放火事件 明治後期のハンドベル「振鈴」見つかる

山口県下関市の下関駅放火事件で焼失した駅舎のがれきの中から、明治時代後期に列車の発車を知らせていたハンドベル「振鈴」が見つかった。木製の箱や取っ手は焼失したが、金属製の鐘部分は黒焦げになりながらも「ガラーン」と再び心地よい音を響かせ、関係者をほっとさせた。
振鈴は高さ39センチ、直径19センチ、重さ3.4キロ。1901年、山陽鉄道の神戸−下関間開通当初、馬関駅(翌年、下関駅に改称)に用意された。発車5分前に待合室で、1分前にはプラットホームで「ガラーン、ガラーン」と大きな音で鳴らされた。乗客が少なかった明治時代には「『客足らん、客足らん』に聞こえた」と伝わる。電気ベルが導入された12年ごろまで使用された。現在、実際に使われていた振鈴はほとんど残っておらず、極めて貴重だという。
普段は、全焼した駅舎北側の駅長室に保管していたが、火の回りが早く、持ち出すことができなかった。駅員らは警察の実況見分が終わった10日午後、駅長室付近を探し、1〜2メートル積もったがれきの下に、30センチほど堆積していた灰の中から振鈴を見つけた。同駅は専門業者に修理を依頼し、元の姿に戻す予定という。
「下関駅物語」などの著者で元下関駅員の斉藤哲雄さんは「見つかって何よりだが、木箱が燃えてしまったのは残念。大切に保管して欲しい」と話した。下関駅長も務めた下関地域鉄道部の中山五郎部長は「元の姿に戻し、市民の皆さんに見ていただきたい」と語った。【青柳聡史】
(毎日新聞) − 1月12日10時11分更新

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2006年01月11日

【宮崎】高千穂鉄道から高千穂神話鉄道へ

高千穂鉄道に関してその後の動きを11日付毎日新聞が報じています。

高千穂鉄道:受け入れ会社、社名は仮称「高千穂神話鉄道」 /宮崎

存続を断念した第三セクター「高千穂鉄道」の受け入れ会社設立のための「走れトロッコ列車準備室」の2回目の会合が10日、高千穂町であり、会社名を仮称「高千穂神話鉄道」とすることを決めた。また、町商工会▽同観光協会▽高千穂地区農業協同組合▽西臼杵森林組合▽高千穂地区建設業協会▽町旅館業組合——の6団体の長による発起人会を19日に開くことも決めた。
1月11日朝刊
(毎日新聞) − 1月11日17時51分更新

仮称からみてこの鉄道の使命は観光目的に絞るということでしょう。通勤・通学目的なら効率が良いバス輸送に任せてしまう。ここはひとつゆとりある大人が「味わい」を感じられる観光鉄道として甦って欲しいところです。神話の里という立地を活かして日本の未来を考えるための政治的、経済的シンポジウムの開催地として使えるような場所であってもよい。
なにはともあれ良い方向へ動くといいですね。

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2005年12月31日

【福岡】日田彦山線のめがね橋がライトアップ

いよいよ今年最後の大晦日に当たりまして、当ブログをご覧頂きました皆様に深く御礼申し上げます。新年も元日から変わらず営業の予定です。よろしくご愛顧賜りますよう御願い申し上げます。

さて九州から年末年始にほっとする「明るい」話題が入っています。福岡県を走る日田彦山線の橋がこのあと1/9までライトアップされているそうです。この路線は気動車で走るばかりで沿線に下りたことはほとんどありません。こんな面白いところがあるなんて恥ずかしながら知りませんでした。
30日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録です。

めがね橋 JR日田彦山線でライトアップ

山腹を縦断する福岡県東峰村宝珠山の日田彦山線に架かる「めがね橋」が、ライトアップされている。暗闇の中に浮かび上がった橋を走る列車はさながら「銀河鉄道」のようで、写真愛好家にも人気のスポットとなっている。
名物の橋を村おこしに活用しようと、合併前の旧宝珠山村が4年前に始めた。県道八女香春線沿いにあるめがね橋は大小五つあり、このうち岩屋地区の橋など3橋が橋脚の下に置いた投光器で照らされている。1月9日までの午後6〜10時にライトアップされる。【柳瀬成一郎】
毎日新聞) − 12月30日10時49分更新

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2005年12月30日

【沖縄】那覇〜名護間に鉄道建設案が浮上

今年もいよいよ後りわずかとなりました。このまま2005年が過ぎていくかと思いきや、楽しい意味での驚きのニュースが入ってきました。
政府、与党はアメリカ軍の普天間飛行場移設に伴う振興策として那覇空港の新滑走路建設のほか、那覇から名護まで鉄道路線建設を検討するというのです。現在、沖縄での鉄道といえば那覇市内をモノレールであるゆいレールが走るだけです。昔は沖縄にも鉄道があったのですが、大東亜戦争の終わり頃には衰退し、その後アメリカによる統治が始まってからは自動車道路が中心に整備されたため復興しなかったとされています。
今回の話は提案という段階ですので実現するかどうかは全く不明です。しかし鉄道関連では殺伐としたニュースが多かった今年だったため年末に夢のあるお話が聞けてちょっと明るい気持ちになりました。
30日付け読売新聞オンライン版の記事から抄録します。

普天間移設の新振興策、那覇—名護に鉄道を検討

政府・与党は29日、米海兵隊普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設について、地元の理解を得るため、同県北部の新たな振興策を策定する方針を固めた。
目玉事業として、名護市と那覇市とを結ぶ鉄道の建設、那覇空港への新滑走路建設などの交通基盤整備計画を検討している。在日米軍再編の最終報告が来春策定された後、新振興策をまとめる考えだ。
日米両国は1996年、普天間移設を決定。政府は代替施設を辺野古沖に軍民共用空港として建設することとし、2000年度から10年間、年100億円規模の北部振興策を実施する予定だった。
しかし、辺野古沖への移設が頓挫し、10月の在日米軍再編中間報告で、移設地がキャンプ・シュワブ沿岸部に変更されたため、政府・与党は新振興策を検討することにした。軍民共用空港の計画も白紙となったことから、鉄道計画はその代替手段の意味を持つ。
沖縄県では、那覇市にモノレールがあるが、鉄道はない。那覇市から約60キロ・メートル離れた名護市を訪れる観光客はタクシーなどを利用している。政府・与党は鉄道建設で北部への観光客を増やし、沖縄市などに駅を設置して沿線の利便性向上を目指す。06年度にも、調査に着手したい考えだ。
(略)
このほか、新振興策には、道路整備、情報通信機能強化、港湾などの海上交通機能整備なども盛り込まれ、全体では数千億円の規模となる見通しだ。
(2005年12月30日3時4分  読売新聞)

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2005年12月28日

【関西】関西おでかけパス

西日本旅客鉄道では、来年1/7から3/12まで、土曜、休日に限り有効の関西おでかけパス(PDFファイル)を発売します。主として京阪神や奈良、和歌山の大阪近郊区間が乗れる一日乗車券で、大人2000円です。
発売は乗車日(予め日を指定のこと)の1ヶ月前〜3日前まで。新幹線以外の在来線優等列車の普通車は特急券、急行券で乗れます。
この企画乗車券は今年12/18まで売られていた同じ名称のきっぷを前売り条件を少し緩和して再度発売するものといえそうです。これまでは最低でも乗車予定日の7日前までに購入しなくてはなりませんでした。おそらく批判を受けての規則改変かと思いますが、それでも3日前までに買わなくてはならないというのは、ふと思い立っての気まぐれ旅や買物には使えないきっぷです。それも乗車日を指定しなくてはならない。一般客は必ず決められた予定に従って動くものと思い込んでいるのなら大間違い。
果たして乗って欲しいのか、或いは乗って欲しくないのかどちらなのでしょうか。西日本旅客鉄道には割引乗車券が少ないという批判をかわすために存在するきっぷか。せめて乗車日前日まで発売されるならもうちょっとは使いやすいきっぷではないでしょうか。
どういう市場調査を行なってこのきっぷにこうした規則を当てはめたのかは凡人の知るところではありません。が、西日本旅客鉄道の側に、「我が社はこれがお客様に対しまして可能な限りの便利さと安さをご提供する乗車券と考えております」という根拠があるのならぜひともご高説を賜りたいものであります。
一応は安い値段できっぷの配給は行なうが人民は基本的には定価で乗るべきであると、本当はお考えなのでしょうか。そんなことではスルッとKANSAIの豊富なお得チケット群にしてやられますぞ。
などと文句ばかり並べるのも大人気ないので、これまでの規則が準用されると仮定して利点をとりあげると、在来線であれば特急、急行列車の全ての車両設備(もちろんA寝台個室なども!)が料金券さえ揃えれば特に乗車券を別に買わなくてもそのままで乗れるということです。たとえば寝台特急「あかつき」のシングルデラックスで京都から三宮まで殿様気分に浸ることも可能。寝台特急「はやぶさ・富士」の試し乗りだって出来そうですが、果たしてこれは近郊区間の終電車までの列車という範疇に入るのかどうか。などと頭を悩ませるのも楽しいです。大阪から京都に帰る人で電車が込み合うのを避けたい場合は寝台特急「日本海」や急行「きたぐに」の各種寝台やグリーン車を使うことだって出来ます。京阪間わずか43キロ弱の距離とはいえ夜汽車の旅気分は満点です。
いえ、わしはそんなこと金があってもやりませんけどね。ま、これから新年を迎えることですし、『夢見るきっぷ』ということにしておきましょう。

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2005年12月27日

【埼玉】秩父鉄道が受験生を応援

以前のエントリーで受験生の合格祈願のために列車が車輪の滑り止めに使う砂がお守りとして配布される話題を取り上げました。
各地の鉄道会社で同じような試みが散見されるようで、埼玉県からは秩父鉄道が滑り止めのお守りを販売するという話題が入りました。
500セット限定ということです。関東圏で興味ある受験生諸君は一つお守りにいかがでしょう。
27日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録します。

秩父鉄道:「すべり止め砂」で合格祈願 元日から記念切符発売 /埼玉

秩父鉄道は1月1日から、受験生向けに「合格祈願鉄道すべり止め砂付記念入場券」を発売する。長瀞町の宝登山神社で合格祈願を受けた砂と長瀞駅の硬券入場券、宝登山神社と満開の桜の写真の台紙付きで1セット160円で、500セット用意する。
同社によると、列車は鉄のレールと車輪で走るため、急な上り坂ではレールの上で車輪が空回りすることがある。その際、レールと車輪の間に砂をまき、摩擦を大きくして滑り止めの役割を果たす。「すべり止めの砂」が祈願を受けた秩父三社の一つ、宝登山神社では、学問の神様の菅原道真公もまつられている。
長瀞駅で発売し、本社営業推進課で通信販売する。駅窓口の販売では、硬券の刻印日付けは購入日になる。通信販売の場合は「18・—1・—1」で刻印するが、受験日など希望日でも申し込める。電話048・523・3313秩父鉄道営業推進課記念入場券係。【畑広志】
12月27日朝刊
(毎日新聞) − 12月27日16時25分更新

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2005年12月26日

【宮城】くりはら田園鉄道に一級史料

宮城県内を走るローカル鉄道、くりはら田園鉄道。電車が走っていた頃を見てみると関西人のわしには近江鉄道のような雰囲気に思えます。今はやはり関西人には北近畿タンゴ鉄道で馴染みがある型(KD951型)の気動車が運転されています。中には名鉄で走っていたような型の気動車(KD11型)もあるようです。
2007年度には廃止となる方針のこの鉄道で、創業から現在に至る体系的な会社の史料が多数見つかったそうです。ひとつの鉄道会社としては非常に珍しいこととされ、特に経営史料はかなりの価値があるものだとか。
いやはや、あるところにはあるものです。
25日付け河北新報オンライン版の記事から抄録します。

くりでんの史料超一級 研究者5人が栗原で確認

2007年3月に廃止方針の第三セクター・くりはら田園鉄道に、国内では例のない貴重な鉄道史料が、多く残っていることが分かった。23、24の両日、国内鉄道史の第一人者である老川慶喜立教大教授、高嶋修一立正大講師ら研究者5人が現地調査して確認。老川教授は「超一級の鉄道史料で国内的に非常に価値がある。行政とも協力して史料保存を働きかけたい」と話している。
老川教授らは、約90年前からそのまま残る木造駅や整備工場を視察したほか、本社にある各種文書記録を確認した。
最も注目したのは、営業報告書、重役会議議事録といった経営関連の文書や整備工場の設計図など。会社設立の1918年から現在まで87年分が完全に残っていた
鉄道関連の経営史料は自然災害や戦災で散逸している場合が多く、一鉄道会社の変遷を示す史料が体系的に残るのは、国内ではすでに廃線となった加悦鉄道がほぼ唯一の例。交通博物館の岸由一郎学芸員は「史料点数は加悦鉄道を大きく上回ると予想される。鉄道史だけでなく、地域経済史、技術史の点からも、極めて貴重な史料ではないか」と指摘した。
(後略)
河北新報) − 12月25日7時4分更新

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2005年12月25日

【列車】夜行特急「利尻」と「オホーツク」が季節列車に

先ごろ来春のダイヤ改正概要が旅客鉄道各社から発表されました。このうち北海道旅客鉄道でも夜行特急が縮小となりました。
札幌−稚内を結ぶ特急「利尻」と札幌−網走間の特急「オホーツク9・10号」がそれぞれ運転期間が短くなります。前者は夏季の運転、後者は冬季の運転に限定されるとのこと。民営化発足当時、上野−青森間の急行「津軽」が季節列車に格下げとなったのちに消えたように、利用実績がないとこれら特急もいずれは削減されてしまうことでしょう。道内では夜行列車利用による割安なきっぷが発売されていますが、それでも日常の足としては利用客数が芳しくないのでしょう。観光特急として運転するのであれば、いっそのことC11を使った蒸気機関車牽引の夜汽車として生まれ変わればそれなりにお客さんが呼び込めるのではなかろうか。などと、妄想にふける今日この頃。

▼北海道旅客鉄道「平成18年3月ダイヤ改正について」(PDFファイル)

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2005年12月24日

【列車】京阪7200系

京阪7203F

7200系の7203F編成です。京阪電車などが導入を進めている運賃後払いのシステムPiTaPaを宣伝するラッピング電車として活躍しています。外観だけみると普通の通勤電車ですが京阪9000系や阪急の一部の形式と同様、客室窓の開閉にはパワーウィンドウを採用しています。
昔、友達と電車にも車みたいにパワーウィンドウが付かないのかな、と冗談交じりで話していたものですが現実のものとなってしまいました。

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2005年12月23日

【近鉄】京都駅に乗り場増設、他

近鉄京都駅に乗り場が増える。言われてみれば一番北側の部分は確かに工事中です。この乗り場は割合昔のままという感じで、大きい改良工事などはほとんどなされないままだったように思います。
現在の乗り場は新幹線の高架下にあるため、朝から晩まであまり日が当たらない暗い印象があります。新しい乗り場が出来たらそこはきっと明るいので特急の専用発着番線になるかも・・・。京都駅ビルからも近鉄特急の勇士が見えてよい宣伝になると思いますが、まぁ、そんな面倒な仕掛けはなしでしょう。
後掲の記事によれば乗り場増設によって<列車の出入りを効率化する>とのことですが、編成両数はこれまで通り6連が最長なのでしょうか。もっともこれからは少子化社会と言われていますから、7連や8連を考えずとも良さそう。
乗り場の完成は2010年度だそうです。
23日付け京都新聞電子版の記事から抄録します。

京都駅に新ホーム
近畿日本鉄道、中期経営計画

近畿日本鉄道は22日、2006年度から4年間の中期経営計画を発表した。京都駅のホーム新設と改札の統合に着手、あべの橋駅の商業開発などで毎年約100億円の新規投資を行い、最終の09年度に連結売上高1兆円(05年度比6・3%増)、当期利益250億円(同56・2%増)を目指す。
(略)京都駅では、2010年度中に4番ホームを完成させ、列車の出入りを効率化するほか、利用の少ない1階改札を廃止して2階改札に統合。1階の商業ゾーンの全面リニューアルに着手する。
あべの橋駅では、近鉄百貨店あべの本店を全面改装し、同店南側で新たな商業施設を07年秋以降に開業。来年3月に奈良市西部と東大阪市を結んで開業する「けいはんな線」では、始点の学研奈良登美ケ丘駅などで商業ビル開発を進める。同線の京都線高の原駅への延伸は「近未来的には無理」(山口昌紀社長)として、計画に盛らなかった。

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2005年12月22日

【列車】来春3月のダイヤ改正概要発表

来年3月のダイヤ改正について、概要が発表されました。稼げる列車は増殖しますが、売れない列車はどんどん切り捨てる方向がはっきりし始めたダイヤ改正のようです。
寝台特急「出雲」の廃止についてはずいぶんと話題になりました。鳥取県の知事さんらは働きかけを強めたいような姿勢だったようですが、すでにスジは引かれていたわけで是が非でも「ご理解いただく」ことになりました。また、大阪〜青森・函館を結ぶ寝台特急「日本海」が、青森〜函館間の運転を取りやめるようです。廃止区間には特急「白鳥」が増発されるとのこと。もともと「日本海」は青森で長時分停車していましたから乗り換えはさほど苦痛ではないでしょう。気になるのは特急料金の計算ですかね。本州から函館乗り換えで道内の特急に乗り継ぐのと、本州内で一旦乗り換えてさらに道内で乗り換えるのとでは料金に差が出る。今のままだと{本州内発駅}(特急料金正味){青森駅}(特急料金半額){函館駅}(特急料金正味){道内着駅}となるわけで、{本州内発駅}(特急料金正味){函館駅}(特急料金半額){道内着駅}だったのを考えると実質値上げです。
儲かってないんですな。客車自体、出雲と同様ご老体ですからもはや長駆1000kmの旅路は耐えられない可能性だってあります。寝台特急「日本海」も乗るなら今のうちです。ただし、供食はないものと覚悟するか予め非常食を備えてご乗車下さい。
ほかには名古屋〜奈良間の急行「かすが」も廃止となります。これで奈良に優等列車が来なくなります。特急「あすか」よりは活躍の機関は長かったですが。
では、共同通信社の記事から抄録します。

JR春のダイヤ改正発表(共同通信)

JR各社は22日、来年3月18日から実施するダイヤ改正の概要を発表した。東海道・山陽新幹線は東京〜博多直通の「のぞみ」を19本増発、1時間当たり2本となる。山陽新幹線の各駅に止まる「こだま」は乗車率が10〜30%と低調なため18本の運転を取りやめる。寝台特急「出雲」(東京〜出雲市)は廃止、大阪—函館を走る「日本海1号」「4号」は大阪〜青森の運転に変更する。
[共同通信社:2005年12月22日 18時30分]

▼東日本:2006年3月ダイヤ改正について(PDFファイル)
▼西日本:平成18年春のダイヤ改正(PDFファイル)

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2005年12月21日

【宮崎】高千穂鉄道廃線へ

台風被害で運休が続いている宮崎県の高千穂鉄道。存続か廃止かを巡る昨夜の取締役会で廃止が決まってしまいました。
大変残念ではありますが、後でご紹介する新聞記事によれば、高千穂町長が町単独で部分運行を模索したいとするなど、再開の望みが完全に消え去ったわけではなさそうです。今しばらく希望を持って再開を待ちましょう。
21日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録します。

高千穂鉄道:廃止決まる 沿線住民にショック 台風災害が追い打ち /宮崎

宮崎県などが出資する第三セクター「高千穂鉄道」の廃止が決まった。9月の台風14号災害が追い打ちをかけた「悲運の廃線」に、沿線住民や地元観光業者らは落胆の表情。一方、この日の取締役会後に涙ながらに会見した黒木睦郎社長(高千穂町長)は、今後町単独で部分運行を模索したいとするなど、関係者の同線にかける思いをのぞかせた。【甲斐喜雄、中尾祐児】
■利用者
9月の運休後も、路線バスに乗って日之影温泉駅の駅舎内の温泉に通っている同県延岡市中三輪の無職、中島ツルさん(85)は「多くの人がお湯に入りに来て、にぎわっていたのに……」と肩を落とした。(後略)
■観光業者
2年前に導入した観光トロッコ列車の人気が高まっていただけに「神話の里・高千穂町」の町旅館組合会長の中藪紘三さん(61)の落胆は大きい。運休のため、トロッコ列車が目玉だったツアーのキャンセルが続出した。「福岡の旅行業者から『もう客は送らない』と断られた」という。(後略)
■鉄道関係者
台風14号が通り過ぎた直後、五ケ瀬川沿いの流出した鉄橋の残がいを見た時「あまりにも無残な姿に『もう、だめだ』と涙が流れた」と同鉄道の運転手、竹本良一さん(40)。
関西の私鉄の車掌を辞め、古里の鉄道の運転手になって10年。鉄道存続を願ってきただけに「(会社に)言いたいことは山ほどあるが、今は胸にしまっておきたい」と、悔しさをかみしめた。
◇「経営見通しからやむを得ない」−−安藤忠恕知事の話
(略)
◇「断腸の思い」謝罪−−黒木社長
「断腸の思いですが、経営を持続出来ない。断念することといたしました」。黒木社長は記者会見で目頭を押さえながら、声を絞り出した。
沿線住民には「今日は八戸地区(日之影町)のみなさんが5000人以上の署名を持っておいでになりました。本当に申し訳ありません」と頭を下げて謝罪した。
一方、現在の三セクとは別会社として、高千穂町が民間と協力して部分運行を目指すことに「(民間の名前は)言える段階ではない。現在の三セクという枠組みでの経営は断念しましたが、町として新たな道を探りたい」と述べた。
(後略)
12月21日朝刊
(毎日新聞) − 12月21日17時51分更新

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2005年12月20日

【列車】出雲の廃止は確定している

<寝台特急「出雲」の廃止は確定している。早く伝えられれば良かった。>
支社長の言葉は冷たかった。新聞記事の内容を見る限りでは、関連自治体とじっくり話し合ったような印象は感じられず、やはり廃止ありきであとは「ご理解いただく」いつも通りのやり方に終わりそうです。とはいうものの、値段が高い名ばかりの特急では誰も乗ってくれない。鉄道側では割引運賃・料金で乗車出来る方策や車両のグレードアップなども勘案したという噂も聞きますが、おそらく割引で乗れるようにするとしたら今の車を若干手直しして使うほうが安く上がるでしょうし、新しい車を作ったら今の値段で今以上のお客さんを乗せないととても割に合わない。国鉄車両をうまく改造すればトワイライトエクスプレスみたいに人気が出る可能性がありますが、山陰という地方は「北海道」ほどには惹きつける何かはない。たまにしか旅行しない人はカニか砂丘くらいしか思い浮かばないだろう。
こうなれば以前にも書いたとおり、どうしても走らせたいのであれば自治体で車両を作り西日本のエリア内だけ運転して新幹線か航空機に連絡するスジを買うくらいの思い切った方策を採るべし。
同じ19日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録します。

寝台特急:「出雲」廃止へ 不採算など理由−−JR西日本が鳥取県に伝達 /島根

出雲市と東京を結ぶ寝台特急「出雲」について、JR西日本長谷川富夫・米子支社長は18日までに、同特急の「廃止」を鳥取県に伝えた。近く正式発表する。
鳥取県議会でこのほど報告された。長谷川支社長は不採算などを理由に「廃止は確定している。早く伝えられればよかった」と話したという。これに対し、片山善博・同県知事は「公益性を考えているのか。憤りを感じる」と再検討を求めた。
鳥取県によると、出雲の乗車率は約3割。同社は長距離夜行列車の不採算路線の見直しを進めているが、同県は代替機関がないとして11月、島根、兵庫両県知事との連名で、運行継続を求める要望書を提出していた。【松本杏】
12月19日朝刊
(毎日新聞) − 12月19日17時15分更新

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2005年12月19日

【宮崎】有志が高千穂鉄道の気動車を清掃

宮崎県の高千穂鉄道は台風による自然災害から鉄橋が流されるなどして、再建の道がほぼ絶たれた感が強くなっています。当ブログでも折に触れて動向を見ていますが、そんな中、有志の方々が気動車を清掃して存続を求めました。こうした熱心さが関係機関などを動かしてくれればと思います。しかし万事がお金で動く世の中ゆえ「資金不足」は動かしがたい事実として廃止の決定は変わらないかも知れません。不特定多数の有志が寄付し合って観光鉄道として保存する形も考えられますが、それとて実現は難しいのでしょう。すでに関係者各位がありとあらゆる知恵を出しておられるのでしょうし。それでもなおただの汽車旅好きの観光客の立場としては東洋一の鉄道橋、高千穂鉄橋があるこの路線はたとえ部分開通ででも残して頂きたいものであると思っています。
18日付け共同通信の記事から抄録します。

廃線に反対し車両清掃 高千穂鉄道の沿線住民

台風14号で激しい被害を受け、廃線の見通しとなっている高千穂鉄道の沿線地域で18日、廃線に反対するため住民らが車両などを清掃するイベントを行った。
高千穂駅では、存続支援に取り組む高千穂町出身の作家高山文彦さん、沿線の日之影町出身の漫画家赤星たみこさんや地元住民ら約250人が参加。前日からの雪も残る寒空の中、ブラシやぞうきんなどを持ち寄り、観光用車両「トロッコ神楽号」など4両を洗った。
9月の台風以降運休が続いているが、この日は駅構内で参加者を乗せて約3カ月ぶりの“再開運転”も実現。運転士の斉藤拓由さん(31)は「これで終わりにしてはいけない。どんな形でも残してほしい」と訴えた。
(共同通信) − 12月18日18時17分更新

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2005年12月17日

【滋賀】京阪電車が受験生を応援

大学入試センター試験を間近に控えるシーズンとなりました。大学を受験する諸君はもちろん、まだ遊び盛りの小中高生らも気の抜けない日々を送っていることでしょう。そんな中、京阪電車では受験生の合格を祈願して面白いものを無料で配布すると京都新聞が伝えています。記事のタイトルには合格を<「砂」ポート>という言葉が。果たしてどのようなおまじないなのでしょう。鉄道関連で合格祈願といえば、縁起の良い駅名の入場券というのがすぐ頭に思い浮かぶのですが・・・。
16日付け京都新聞電子版の記事から抄録します。

合格を“砂”ポート
京阪電鉄が大津4駅で 滑り防ぐ砂配布

受験生たちの志望校合格を願って、京阪電気鉄道は、電車の車輪空転を防ぐ砂を袋に入れた受験応援グッズ「勝利を砂(サ)ポート」1500個を、19日から大津市内の石山坂本線の4駅で初めて無料配布する。
滑り防止の砂は、同社では線路が車道と併用で坂が多い石山坂本線のみで使用している。「滑らない」という砂の験を担ぐ初の試みで沿線の受験生を励まし、利用増にもつなげることにした。
応援グッズは、実際に使っている滑り防止砂約6ミリグラムをお守りの形にしたビニール袋に入れた。利用者が多い京阪石山京阪膳所、浜大津、皇子山の各駅で配布用の箱に入れて、自由に持ち帰れるようにする。1月31日まで配布し、好評であれば追加する。
(後略)

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2005年12月16日

【列車】寝台特急「出雲」は来春限り?

以前のエントリーで書いた寝台特急「出雲」の廃止がどうやら具体化の動きです。国鉄がいくら民営化したといってもまだまだ根本は役所でしょうから、廃止するといえば廃止するわけで、あとは「ご理解頂きたい」という決まり文句で逃げ切るという形が見えています。
自治体のほうでどうしても残したいというのであれば、発着駅は「東京」という固定概念を捨てること。自治体が協力し合って自前で立派な客車を作り走らせるという考えがあってもいい。また、前にも書きましたが、寝台列車の種別は特急や急行にこだわらないことも大事だと思います。快速化にしてもいいではないか。大体廃止する理由のひとつに車両が老朽化したからという以上、偉そうに「特別急行」を名乗る編成ではなかろうに。「特急」のくせに車内販売すらまともに行なわれていない。
「出雲」は東海道本線の米原から西は全て西日本旅客鉄道の域内を走ります。それなら東京〜米原間を廃止し、米原駅を発駅にして東京発最終のひかり号から米原駅で、またのぞみ号から京都駅でそれぞれ連絡し、京都を大体零時頃に発つダイヤでゆっくり山陰本線を走っていくのもよいし、どこかの駅で停泊して乗客にゆっくり眠っていただくのもよい。寝台特急だからといって高速で限りなくぶっ飛ばす必要はない。いかに快適に夜を過ごしてもらえるか。眠ってもらえるか。腹が減ったときに食べてもらえるか。目的駅に着いたときに少しでも満足感を持ってもらえるか。何かというと速度の議論がすぐに出てきますが、それも場合や列車によりけりです。などといろいろ妄想を書いてもなくなるものはなくなるのだろうな。
廃止の理由に乗客減が必ず上がりますが、寝台列車に関しては「二度と乗りたくない」気持ちにさせるよう会社側が結果的に仕向けているとしか思えない。少しくらい客車がボロくても「汽車」が好きな職員が「きちん」と手入れして運行すれば乗る人はいますよ。合理化が進んでそうした職人さんが少なくなってしまったのでしょうか。
16日付け産経新聞(共同通信配信)の記事を抄録してみます。

寝台特急「出雲」廃止も JR西、乗客減で検討

JR西日本は16日、来年3月のダイヤ改正で、東京と出雲市(島根県)を結ぶ寝台特急「出雲」の廃止を検討していることを明らかにした。
飛行機や高速バスに押され、乗客の減少が続いているため。同じ区間を岡山経由で結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」は存続させる。
「出雲」は1972年3月にデビュー。東海道線、山陰線経由で1日1往復し、出張や観光のほか、年末には帰省にも利用されている。最近は乗客が平均約80人と、ピーク時の3分の1に落ち込んでいる。
JR西日本の幹部は「運行が非効率な上、車両が老朽化しており、東京の車両基地も手狭になっている」と廃止検討の背景を説明。既に沿線の自治体にも伝えた。
兵庫、鳥取、島根の3県はJR西に存続を要望。国鉄出身の澄田信義・島根県知事は「山陰と東京をつなぐ貴重な交通手段。国鉄時代にかかわりもあり、思い入れがある」と話している。
JRの寝台特急は、ことし10月のダイヤ改正で「彗星」(京都—南宮崎間)がなくなるなど廃止が相次いでいる。(共同
(12/16 08:29)

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2005年12月15日

【千葉】いすみ鉄道がBDF車の実験へ

環境問題というと必ずといっていいほど悪役になるのがディーゼルエンジンです。もっとも、ディーゼルエンジンそのものが悪いとは言い切れず、日本の場合は軽油の脱硫が西欧の水準まで成されていないがために汚い黒い煙(パティキュレート)が出やすいのだとか。ディーゼル車に日が当たらないのは、はっきり言って軽油の質が悪いのと、ディーゼル車なのだからこんなものでよかろうと自動車メーカーらがまともにディーゼルエンジンと燃料の開発に取り組んで来なかった結果が招いたことではなかろうか。自動車評論家の一部が日本ではお目にかかれないような素晴らしいディーゼル自動車が西欧ではわんさか走っていると言います。日本は今やアメリカと肩を並べる自動車生産大国とはなりましたが、本当にいいものを作るためにはまだまだ欧米から勉強すべきことが沢山ありそうです。たとえばコモンレールという高い効率の燃焼システムを実用的に発展させるきっかけとなったのはデンソーの技術者だということもあり、たくさんある可能性をみすみす日本は国内で捨てているような気がするのです。
さて、ディーゼルエンジンを利用する乗り物としては鉄道の気動車もその仲間です。千葉県のいすみ鉄道(前・国鉄木原線)では廃食油を再利用する植物性の油を用いて気動車を運行する実験を始めるようです。この油はバイオディーゼル燃料、BDFなどとも称されます。軽油に比べて黒煙はおよそ3分の1で硫黄分は排出されないとされています。ただし、現状では品質管理やコスト面で難しい点があり、どれだけ普及するかはこれからの環境施策やディーゼルエンジンを比較的よく使う企業などの取り組みいかんにかかっています。
すでに地方自治体の中には試験的にバイオディーゼル燃料を使って路線バスを運行している例がいくつかあります。鉄道でこうした取り組みの姿勢を見せるのはいすみ鉄道が初めての例だそうです。バスや鉄道で使われるディーゼルエンジンの排気量は結構大きいのできれいな排出ガスが望めるというのは環境面での効果は大きいはずです。いすみ鉄道の動きが広まって、ただの一実験例で終わることがないよう成功を祈っています。
15日付け毎日新聞がこの動きを伝えています。

いすみ鉄道:廃食油を再利用し運行 千葉の3セク実験開始

千葉県大多喜町などが出資する第三セクター「いすみ鉄道」が15日から、ディーゼル列車の燃料に廃食油を再利用したバイオディーゼル燃料(BDF)を使う実験を開始する。BDFはバスなどに使われるが、鉄道への利用は初めてという。07年度にもBDFによる営業運転を実現させたい考えだ。
いすみ鉄道は外房線の大原駅を起点にする全長26.8キロのローカル線。BDFは植物や動物の油脂から作られ、エンジンを新調する必要もない。
実験は終列車後の夜に行う。まず軽油にBDFを5%混ぜて加速時間を調べ、軽油だけの場合と比較しながらBDFの量を増やしていく。
大多喜町は昨年、揚げ物などで残る廃食油を一般世帯や給食センターから回収する仕組みを作った。実験期間中は民間企業からBDFの無償提供を受けるが、運行にめどが立てば自前の製造プラントも用意するという。町は「資源循環型社会のモデルケースにしたい」と意気込んでいる。【寺田剛】
毎日新聞 2005年12月15日 3時00分

▼<Google検索/いすみ鉄道+bdf>

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2005年12月13日

【香川】琴電に女性専用車両復活

女性を痴漢被害などから守るために、女性専用車両の導入を進めている鉄道会社が多くなっています。女性専用車両については今でも賛否両論あるようで、専用車両導入によって女性の乗車マナーが悪くなったという意見や、中には専用車両導入によって、痴漢の冤罪被害に泣く男性が減る可能性があって一安心という極端な意見さえあります。それを言うなら「男性専用車両」を設けてからの話だろうと突っ込みたくなりますが、仮に男性専用車両を作ると女権論者から鉄道側に攻撃の火の手が上がるかも知れない。
四国からそんな女性車両導入の話題です。一度は混雑すると批判されて立ち消えになったのですが、忘年会シーズンをにらみ主として酔客予防のために導入するようです。今回は利用者自体が少なくて反発が少ないとか。
13日付け朝日新聞がこの話題を伝えています。

2両編成の「ことでん」に女性専用車両 高松

2005年12月13日09時26分
高松琴平電気鉄道は、忘年会シーズンの週末深夜に運行している増発便に「安心して乗りたい」という女性客の声に応え、女性専用車両を設けた。
02年にも導入したが、2両編成だけに、混雑した車両に乗った男性客が反発し中止に。だが痴漢や酔っぱらいを気にせず乗れる車両を望む女性客は多く、復活した。
今回は今のところ利用者が少なく、反発も少ないという。利用者減で経営再建中の同社担当者は「胸をなでおろしていいのか、頭を抱えるべきなのか……」。

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2005年12月12日

【車両】207系通勤型電車

207系通勤型電車

207系西日本旅客鉄道が平成3年から量産を始めた通勤用電車です。これまでの国鉄が作った通勤車両の置き換えとして増備され、京阪神の主な路線で日常的に見ることが出来るほどの勢力となっています。運転士による速度超過から2005年4月25日に福知山線の曲線区間で脱線事故を起こし不幸にして100人を超える死者を出す惨事を招いた車両として、悪い意味で有名になってしまいました。
分割・併合があまり必要ではない東海道・山陽本線などからは321系の登場によってやがて少数派となっていくでしょう。脱線事故後、いろいろ批判を受けた207系ですが、乗り心地のよさや広い窓による開放感などにより、これまでの国鉄車両を凌ぐ車だとわしは思っています。なお、車体の帯色などの装飾デザインは事故の遺族や負傷者各位の感情に配慮して321系と同じようなものになるそうです。

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2005年12月10日

【千葉】房総特急183系が引退

183系特急「かいじ」房総特急として親しまれた183系電車が昨日、引退しました。国鉄色の編成で最後までよく頑張りました。今後は定期運用こそ外れますが、臨時列車の仕事でしばらくは生き残るとか。ご苦労様でした。
今にして思えば、183系は眺めたことがあるだけでたぶん一度も乗っていないと思います。似たような形をした189系の「あさま」にはたくさん乗ったので個人的には良しとしておきましょう。
ヤフーニュースに配信された9日付け毎日新聞オンライン版の記事から抄録。
(写真は183系特急「かいじ」号です)

特急183系:総武・成田線に新型車両、きょう“ラストラン” /千葉

◇33年間、お疲れ様/あしたから、よろしく
JR東日本千葉支社は10日のダイヤ改正で、総武線特急「しおさい」、成田線特急「あやめ」に新型車両「E257系」を導入する。これに伴い、(略)1972年のデビュー以来、「房総特急」の名で知られた「183系」は9日限りで県内の特急定期運転の第一線から退く。今後は臨時列車などに使われる。
新型車両は01年導入の中央線特急「あずさ」「かいじ」用がベースとなっており、昨年10月導入の内房線特急「さざなみ」、外房線特急「わかしお」と同型。大きな窓と高い天井が特徴で、スムーズに加減速ができるため、乗り心地もよい。最高時速は183系に比べ10キロアップの130キロ。
また183系の車体は肌色をベースに、側面の窓周辺を赤い帯で強調した旧国鉄時代の塗装を続けてきたが、新型車両は房総半島の海の「ブルー」、菜の花の「イエロー」、砂浜の「ホワイト」を使ってデザインされている。【木下豊】
12月9日朝刊
毎日新聞) − 12月9日16時26分更新

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2005年12月09日

【宮崎】高千穂鉄道前途多難

以前のエントリーで取り上げた高千穂鉄道(旧・国鉄高千穂線)のその後です。ヤフーニュースへ配信された共同通信社の記事では部分的な再開すら厳しく、廃止へと動き始めているようです。望みがある報告としてがんばれ! 高千穂鉄道!と沿線の町!さんの12/9のエントリーに対するコメントでは今月20日に改めて取締役会を開き、部分運行するか全面廃止かを決めるそうです。
過去のニュースを見てみますと、たとえば11/18付け日経の記事によりますと、仮に全線を復旧させた場合には今後10年で40億円を超える資金が必要になるらしく、細々とした観光鉄道という性格では経営的見通しは暗そうです。10年で40億。ということは1年で4億円。悪徳公務員が税金を何百億円というお金を私利私欲のために無駄遣いしているニュースを目にするたびに、地方の鉄道路線を救うための経費として使うことが出来ればどれだけ役立つ(お金)だろうかと思います。
#このエントリーは一部本家散歩写真のエントリーと内容が重複します。

以下はヤフーニュースへ配信された共同通信社の記事の抄録です。

高千穂鉄道、廃線へ 部分運行も断念

9月の台風14号で線路が寸断され全面運休が続いている宮崎県の第三セクター、高千穂鉄道が廃線となる見通しであることが9日、関係者の話で分かった。同社内で検討していた被害の少なかった区間での部分的な運行再開も断念する見込み。
高千穂鉄道は9日、取締役会を開催。社長の黒木睦郎高千穂町長は記者会見で「経営ということで言うなら厳しい」と語り、高千穂−槙峰間の約20キロの部分運行についても、実現は厳しい状況であることを明らかにした。
これに加えて、同鉄道の筆頭株主である宮崎県が部分運行に難色を示し、出資している沿線自治体の大半が廃線論に傾いており、廃線が不可避の状況となった。
(共同通信) − 12月9日22時0分更新

こちらは11/18付け日本経済新聞オンライン版の記事を抄録したものです。

高千穂鉄道社長、全面復旧は困難との見方

台風14号で鉄橋が流されるなど線路が寸断され、全面運休が続いている宮崎県の第3セクター、高千穂鉄道は18日、延岡市で取締役会を開き、全線を復旧した場合、今後10年間で40億1000万円の資金が必要になるとの試算を明らかにした。取締役会後の会見で、同社社長を務める黒木睦郎・高千穂町長は「経営としてみれば厳しい数字だ」と述べ、全面復旧は困難との見方を示した。
同社の試算によれば、利用者は今後も減少を続け、10年後の2015年度には23万3000人(04年度比36.2%減)となる。この結果、運賃を改定するなどの経営環境の改善をしても、赤字は年々拡大し、06−15年度の累積赤字は5億6000万円まで膨らむという。
また、鉄道設備の維持では、経費を抑えるため、車両を2両減らし、残る5両も更新をせずにエンジンなどの交換で対応しても2億5000万円が必要になるほか、車両検査に8000万円、鉄橋の塗装に4億8000万円など計8億1000万円かかるとしている。

■その他メディア
▼毎日新聞『高千穂鉄道:存廃問題で知事「部分復旧も困難」−−県議会 /宮崎』
▼徳島新聞『12月にも会社存廃の結論 台風被害の高千穂鉄道』

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2005年12月04日

【列車】寝台特急「出雲」よ、お前もか

今春のダイヤ改正では寝台特急の代名詞的な「あさかぜ」や「さくら」が廃止されるなど、縮小、廃止の動きが顕著に見られるようになってきました。
マイナーな存在ながら食堂車(非営業)を連結してしっかり残っている特急「出雲」も廃止に向けて具体的な議論が始まっているようです。
経路は一部異なるものの、東京からは同じ目的地に向けて快適な電車寝台特急「サンライズ出雲」も運転されていることから、採算性などを考えると古い客車列車のほうは廃止してもやむなしというところなのでしょうか。
いつも思うことですが、寝台特急は競争相手とされる夜行バスと比べて定時性では優位に立つものの、それ以外では運賃、居住性などを含めてかなり劣っている面が多々あります。
寝るだけのベッド使用料(B寝台で¥6300)は快適なビジネスホテルより高価。しかしベッドメイキングは乗客の仕事です。乗ってしまえば供食の便は皆無。車内販売は無い、或いはごく限られた区間と時間に行なわれるだけ。乗車前に食べ物を色々仕込んでおくのも乗客の仕事です。走り始めたら深夜帯ゆえほとんど停車しない(そのくせ山陰本線はディーゼル機関車牽引により、足は遅い)し、したとしても買い物の時間はわずか。もっとも店自体開いていないでしょう。よほど寝台列車に乗りたい、または乗らざるを得ない人以外は敬遠するのは当然です。
これで特急を名乗るとは片腹痛いわけで、かなり前から議論されているように「寝台列車」という種別を作って利用しやすい運賃で乗れるようにするか、座席車を併結したうえで思い切って快速化してしまうかすれば、まだ延命は図れるかと思います。
いずれも理想でしかないのは分かっていますが、関連する自治体さんのほうでどうしても残したいのであればこうした提案も一つの方策かとは思います。
使われる客車自体が大変古く、一回に走る距離も長いために劣化も相当なものと思います。新しい車がほしいところではありますが、もともと乗車定員が少ない寝台列車で乗客も少ない路線で運行させるには床面積当たりの売上げという点だけ考えても鉄道側は首を縦には振らないでしょう。なにしろ、運行区間が旅客鉄道3社にまたがっているのですからそれぞれの利益配分を考えると尚更です。
輸送の主役が鉄道であった時代はもうとっくに終わっています。これだけ乗り物が多様化した現代なのですから、多様化に見合った乗り物相互間の連携、融合というものを考えた方が良さそうです。

特急「出雲」廃止のニュースを11/30付けで日本海新聞が伝えています。抄録しておきます。

特急「出雲」廃止を検討 JR、年内にも結論

東京と山陰を結ぶ寝台特急「出雲」について、JRが廃止を含めた運行の見直しを検討していることが、28日の鳥取県議会企画土木常任委員会で明らかになった。JRは12月中にも運行を打ち切るかどうか結論を出す方針。は観光面への影響などを懸念し、鳥取、島根両県と連携して存続を訴えていく構えだ。
JRの長距離夜行列車は年々、利用者が減少。今年3月には「さくら」(東京−長崎)と「あさかぜ」(東京−下関)が、10月には「彗星」(京都−南宮崎)が相次いで廃止されており、出雲も利用者はピーク時の三分の一以下に落ち込んでいる。
JR西日本広報室によると、運行の見直しは▽非常に悪い採算性▽車両の老朽化▽ライフスタイルの変化によるレジャー型利用へのシフト−などが主な理由。共同運行するJR東日本JR東海とともに三社で存廃を含めて検討を進め、結果については12月中に公表する方針だ。
この動きに対しでは、今月下旬に入って鳥取・島根の両県と合同でJR三社を訪れ、出雲の永続的運行を求める要望書を提出した。特に、余部鉄橋の架け替えや両県内の高速化など、多大な地元負担を前提に路線整備を進めている点を強調したという。
県交通政策担当課長は「多大な地元負担をして余部鉄橋を架け替え、利便性を図ろうという中で、採算が悪いというだけで廃止するような、逆行する動きはどうか」と指摘。現在、但馬地方と東京を直結する路線はバス・飛行機を含めて出雲しかなく「地域の重要な足として今後も存続を訴えていく」としている。
出雲は1947年6月、大阪−大社間の準急として運行開始。61年10月に東京発着となって以降は、山陰方面へのブルートレインとして定着している。朝の余部鉄橋を通過する勇姿は現在でも多くの鉄道ファンをひきつけ、撮影ポイントとしてアマチュア写真家らに親しまれている。

東日本西日本のいずれの車両紹介ページにも客車の「出雲」が掲載されていないのは来る日の前触れか?
後日、ゆっくり捜してみたら西日本の寝台特急のページに掲載されていました。失礼致しました。

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2005年12月03日

【新車】321系通勤形車両

321系D2編成

12/1から営業運転を開始した321系電車です(撮影12/2)。
写真は京都15時05分発西明石行き199C列車、D2編成でした。この先頭車の車番はMC’320−2です。
発車の際に聞こえたモーター音は音質的に柔らかい印象がしました。外観は正面が黒色で締まって見えるため通勤電車には勿体無いような高級感が出ています。
時間の都合で試乗は叶いませんでしたが、これはイケそうな通勤電車です。
新造車両に限って言えば、500系新幹線を始めなかなかのデザイン力があるのに、旧来の国鉄車両に施す妙な細工の感覚は一体どう理解したらよろしいのでしょう。デザイン陣の奮闘を切に願います。

113系C11編成 113系3800番台

湘南色を廃した俗称カフェオレ塗装の113系(画像左)と113系3800番台の中間車から先頭車に改造したもの(画像右)。乗る気がしない色とデザインの代表格。

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2005年12月02日

【地図】関西日帰りおでかけ道路地図

関西日帰りおでかけ道路地図車でお出かけの時はどんな地図をお使いになりますか。今ではDVDやHDDを搭載した電気仕掛けの道路地図を装備している方も多いと思いますが、わしはまだまだ紙の地図派です。今日は一冊面白い道路地図をご紹介します。近郊の観光道路地図を一冊と思い、10万分の1という使いやすい縮尺というだけでたまたま買い求めたのが昭文社の「関西日帰りおでかけ道路地図」です。
(昭文社による簡単な概要などはマップルショップのメニューから【[地図]++→[道路地図各種(ブックタイプ)]→目的別各種地図】の順でご覧下さい)
大して内容も見ずに買った訳ですが、これが大当たりでした。各地の名所、名産品、温泉地などが具体的に示されているのはもちろん、隠し味として鉄道の「廃線跡」が載っているのが秀逸です。これは車の旅行者のみならず鉄道旅行者にとっても好都合な一冊と言えましょう。姉妹書として「関東日帰りおでかけ道路地図」が出ているようです。こちらは中身を見たことがないため廃線跡が記載されているかどうか不明ですが、同じ編集方針であるならば載っているはずです。
本体価格は800円+消費税。企画の段階で鉄道好きな方がいらしたのか、或いは単に歴史的な観点から載せておこうということになったのか・・・。経緯はどうであれ、今時1000円でお釣りが来る値段でこれだけ手間のかかった地図というのは大変有難い。逸品です。

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2005年11月29日

【滋賀】信楽高原鐵道でサンタ列車

そろそろ12月。早いもので一年がもうすぐ終わろうとしています。
毎年この時期に運転されるサンタ列車は小さな子供達が楽しみにしているジョイフルトレインですね。滋賀県では信楽高原鐵道(旧国鉄信楽線)がサンタ列車を12/3から運行します。午前中に2往復の運転がが予定されています。関連の報道記事を時系列に二本、抄録します。まず京都新聞オンライン版です。

サンタと一緒にXマス楽しもう
信楽高原鉄道、12月3日から列車運行

信楽高原鉄道は、年末恒例の「サンタ列車」を、12月3日から24日まで信楽駅−貴生川駅間で運行する。
1998年から続けており、列車内をモールやリースで飾り付け、クリスマスソングを流す。サンタ役は昨年に続いて滋賀大教育学部の学生が務め、一緒に歌を歌うなど楽しい企画を準備している。往復乗車した子どもにはプレゼントもある。
期間中、信楽駅午前10時21分、11時21分発と、貴生川駅午前10時50分、11時50分発の計4便を運行する。保育園や幼稚園など、団体で乗車する場合は予約が必要。(後略)

続いて中日新聞オンライン版です。

「サンタ列車」3日から運行
信楽高原鉄道

信楽高原鉄道のサンタ列車が、12月3日から運行開始する。モールやリースで飾り付けをした専用車両にクリスマスソングを流し、サンタクロース姿の滋賀大教育学部の学生らボランティアが、子どもに無料でプレゼントを手渡す。
(略)
プレゼントは、原則として信楽−貴生川を往復乗車した子どもに渡す。
(略)
問い合わせは、同鉄道=電0748(82)3391=へ。 (野條 茂)

その他、兵庫県の北条鉄道(旧国鉄北条線)でもサンタ列車が走る予定です。詳しくは▼サンタ列車申し込みの受付及びボランティアサンタの募集をご覧下さい。
こうした催しはさほど混雑しないローカル私鉄ならではのものですね。季節によってビール列車や鍋列車などもあったりして、開催のニュースを聞くだけでも楽しくなってきます。

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2005年11月28日

【国鉄】湘南色の電車

昨日のエントリーで湘南色に関する内容を書きました。その湘南色とは具体的にどんな色でどんな電車に使われていた(いる)のか。手元に残っている写真を元に湘南色で活躍する主な形式をご紹介します。

クハ86

湘南電車に使われた色だから湘南色とは大変分かりやすい話ですが、その湘南電車とは昭和25年に登場したこのクハ86を先頭車とする80系電車が原型です。写真の先頭車は大阪の交通科学博物館に保存されている正面3枚窓の初期型ですが、後に2枚窓のデザインとなり、それ以降各社の電車デザインに深い影響を与えました。

113系700番台

東京口では引退となる113系。その寒冷地仕様である700番台です。車内保温のため扉が手で開け閉めできる半自動の装置がついています。
京都駅にて。

サロ110−1270

関西圏にはない113系のグリーン車。ちょっと古風な雰囲気がいい味を出しています。
大船駅にて。

115系

115系電車。勾配線区で効率よく走らせるため抑速ブレーキがついています。

155系

修学旅行用として作られた電車で、「ひので」や「きぼう」の名で学生を乗せて東海道を走りました。始めは赤と黄の鮮やかな色でしたが、修学旅行の任務を外れてのちに湘南色に改められました。車両のおでこがやや角張っているのが外観上の特徴です。

165系

165系は前身の153系と同様、直流区間の急行電車として広く使われました。東海道本線でも急行「東海」として1996年まで走っていました。

荷物電車

荷物電車。型式はクモニ83だと思います。トラック輸送が今ほど盛んではなかった頃、荷物や郵便は鉄道で頻繁に運んでいたものです。荷物電車だけで走ることもあれば、定期旅客電車の頭にくっついて業務に就いていたこともありました。
神足(現・長岡京)駅にて。

こうしてみれば、湘南色というのは国鉄直流区間ではごく当たり前に見られた「直流色」とでも言うべき普遍的な色だったのですね。
古い写真ばかりで色が変ですがお楽しみいただけましたでしょうか。こうして並べてみると旧型電車も個性ある面白い乗り物だと思います。

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2005年11月27日

【東京】113系が来春引退

113系という近郊型電車が東京発着の東海道本線から引退します。直流区間であれば全国どこでも見られたほどの主力車両でしたが、寄る年波には勝てないようです。来年の3月をもって姿を消すとのことですので、写真を撮るなら今のうちですね。
初期の113系は車体幅は3m近くあるのにシートが狭くてあまり乗りたくなかった車ですが、後に居住性が見直されてからはちょっとした距離を乗っても疲れにくくなりました。関西圏ではまだ湘南色の113系や仲間の115系が走っています。これからもしばらくは使われるでしょう。引退の心配は薄い一方で座席などのリニューアルにあわせて車体色が変更された編成が増えています。湘南色が「かぼちゃ」電車と呼ばれるのに対して塗色変更編成は「カフェオレ」と俗称されていたりします。一言言わせていただくならこれは陰気で汚らしい車体色です。まともな色彩デザイナーがいないのか、色を採用するにあたって決定を下す人間の感覚が変なのか。いずれにせよどうせ改めるなら乗りたくなるような塗色にして欲しいものです。
では、新聞社による報道を2本、時系列で抄録しておきます。まず、21日付けのカナロコ(神奈川新聞)から。

☆ミカン色の「湘南電車」が来春にも引退へ☆

湘南電車」と呼ばれ半世紀以上、東海道線を走り続けたミカン色の電車が来春にも引退する。相模湾に沿った早川−根府川駅間の山肌はミカンが実り、旧型車両との”色の競演”が見られるのは今年が最後だ。
(以下略)

25日付けの毎日新聞オンライン版から。

展示会:引退予定の車両、JRが展示 国府津で500人が参加 /神奈川

JR東日本国府津車両センターで23日、東京駅発着の東海道線から06年3月に姿を消す「湘南電車」などの列車の展示会があった。快晴の空の下、鉄道ファンや家族連れはカメラの放列を作り、運転台見学を楽しんだ。
展示会には約3000人が殺到、抽選で選ばれた500人が国府津駅に集合。次世代の主力電車、E231系の特別列車に乗って同センターに運ばれた。
同センターには、緑とオレンジの「湘南電車」と呼ばれる113系、国鉄末期に登場したステンレス製の211系、オール2階建て編成の215系などJR東日本を代表する近郊型電車5形式がそろい踏み。撮影会のほか、車両メカニズムの解説も行われた。
(後略)
【大西康裕、広瀬登】
11月25日朝刊
(毎日新聞) − 11月25日16時31分更新

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2005年11月26日

【岐阜】名鉄岐阜市内線・揖斐線忠節駅時刻表

先日、要らないものを整理していたら名鉄岐阜市内線・揖斐線忠節駅の発車時刻表が出てきました。
これといって史料価値があるものでもないでしょうけれど、画像化して登録しておきます。何か必要がある方のお役に立てれば幸いです。
1999年(平成11年)5月10日改正のダイヤです。

忠節駅平日ダイヤ
平日ダイヤです。

忠節駅休日ダイヤ
休日ダイヤです。

岐阜市内線
在りし日の岐阜市内線。新岐阜駅前付近にて。

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2005年11月25日

【長野】コーラス列車/小海線全線開通70周年

小海線といえば、当ブログにて先日ハイブリッド気動車が運行される話題をお伝えしましたが、来週の29日は全線開通70周年を祝ってコーラス列車が運転されるのだそうです。小諸から小淵沢を往復運転して、時間はたっぷり5時間余りだそうな。歌声を聞きながら美味しいワインやビールも楽しめれば最高ですね。
毎日新聞の記事から抄録。

コーラス列車:小海線全線開通70周年を記念、小諸発〜小淵沢往復−−29日 /長野

◇全31駅紹介曲など24曲を合唱
小海線(小諸駅—山梨県・小淵沢駅)全線開通70周年を記念してJR東日本は29日に、開通日に合わせ午前11時29分小諸駅発—小淵沢駅往復の「コーラス列車」を運行する。歌われるのは全31駅を紹介した「小海線に歌う」など計24曲。5時間余の高原列車の旅を合唱とともに楽しむ。
コーラス列車は貸し切り2両編成で、それぞれに指揮者、キーボードの伴奏が付き、一般参加者のほか佐久市内の「童謡唱歌を歌う会」や合唱グループも参加して歌の旅を盛り上げる。選曲は同市岩村田の楜沢(くるみさわ)仁さんが担当。「汽車ポッポ」「線路は続くよどこまでも」など鉄道に関係した唱歌、「高原列車はゆく」「千曲川」、南牧村出身の、いではくさん作詞の「北国の春」や「牧場の朝」など沿線の風景にマッチした曲を歌いつなぐ。
小諸駅で出発式を行い、コーラスを指揮する佐久市根々井の合唱講師、武井宣子さんが「1日駅長」になる。参加費は小諸駅発着で、大人5000円(昼食、記念入場券など含む)。問い合わせ、申し込みは「びゅうぷらざ中込」(電話0267・62・0203)へ。
11月25日朝刊
(毎日新聞) − 11月25日16時46分更新

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2005年11月21日

【京都】陸軍専用鉄道の鉄橋跡を残せ

何らかの理由で廃止となった鉄道の軌道跡を探訪する人が結構いらっしゃいます。故・宮脇俊三氏など鉄道が中心の紀行作家の中にはこうした「廃線跡」を巡る本を書いている人も多いです。
通常、廃線跡というと赤字がかさんで廃止となってしまった国鉄のローカル線や中小私鉄の路線が思い浮かびますが、今日付け(11/21)の京都新聞オンライン版にはちょっと珍しい廃線跡(正確には遺構ですが)の話題が掲載されています。それは軍用線の廃線跡でちょっと危機的状況にあるようです。
以下に抄録しますので、それがどのような廃線跡かご覧になってみて下さい。

鉄橋跡をできるだけ現地保存で
市民団体が精華町に要望書提出

京都府精華町の菱田−下狛間にかかる旧陸軍専用鉄道の鉄橋跡を「できるだけ現地保存してほしい」と、市民団体「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」などが21日、同町に要望書を提出した。鉄橋下を流れる煤谷(すすたに)川の河川改修工事に伴い、撤去の可能性が高いためで、同会は「郷土の歴史を認識してもらえる貴重な資料」としている。
この鉄道は、現在の片町線から同町西部に広がる旧陸軍の祝園(ほうその)弾薬庫(現在の陸上自衛隊祝園弾薬支処)への引き込み線で、1940年に完成。鉄道で運ばれた火薬は弾薬庫で弾筒に詰められたり、できあがった弾薬が戦地に送られた。
鉄道の名残として残る鉄橋跡は長さ約16メートル、幅1メートル。上部には数本の枕木が残っている。英国製とみられる橋げたには「明治43年12月製造」との銘板が残り、別の場所で使われていたものが移設された、とされる。
同会の足立恭子代表らメンバー5人はこの日、現地で鉄橋跡を視察後、町役場で青木透総務部長に要望書を手渡した。
河川改修工事はの事業で、同会は22日にも府教委に保存の要望書を提出する予定。

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2005年11月20日

【京都】福知山駅の名物おばちゃん引退

汽車の乗り場から駅弁売りが消え、長く続いた売店も消えていく。後には無機的な24時間営業の自動販売機が残るだけなのでしょうか。自販機だと人件費がかからず労使間の人間関係にも苦しまずに済んで合理的ではあるのでしょうが、旅の道中で人の手によって食べ物や飲み物を受け渡しすることって、ちょっと大事なことだと思うんです。
京都新聞オンライン版の記事を眺めていると、またひとつ寂しい話題が載っていました。福知山駅には何度も乗り降りしている割に食べた記憶がないので偉そうな面は出来ないのですが、以下に抄録します。

駅の味売り 半世紀
JR福知山駅の名物おばちゃん、引退

JR福知山駅構内で半世紀以上にわたり、名物「鬼そば」や駅弁を販売してきた女性が、26日の新駅高架開業に伴う店舗の閉鎖とともに引退する。木造の旧駅舎時代から駅内を売り歩き、構内のそば屋に移った後も、気さくな人柄と笑顔に、通勤客や観光客が立ち寄った。女性は「この味に親しんでくれた人たちに、最後にもう一度食べてほしい」と話す。
女性は京都府福知山市岡ノ上町の川戸光枝さん(71)。1952年、18歳で駅の売り子に。首からつり下げた箱に弁当を積んで駅を歩いた。「最初は声を出すのが恥ずかしくてホームの端に立ったままだった」という。(略)
60年代半ば、立ち売り仲間も姿を消し、2番ホームにあったそば屋を1人で切り盛りした。83年からは構内の新しいそば屋に移った。地元の大江山にあやかった「鬼そば」は、昆布をふんだんに使うだしと素朴な味で評判に。60歳で定年、夫と老後を楽しもうとした矢先、先立たれた。半年後、再び駅に戻った。
(略)駅の外からも常連がやって来る。病院帰りのお年寄りやタクシー運転手、駅で働く人々が声をかけ、そばを食べていく。「あの味が忘れられない」と来る観光客もいる。
そば店は新駅のテナントに入らず、閉店が決まった。川戸さんは11月25日の営業を最後に半世紀の駅人生に幕を下ろす。閉店を聞き、懐かしい味を惜しむ客が次々と訪れている。「お客さんとのふれあいが財産。寂しくなります」と川戸さんは話す。

■この話題に関連した記事
▼西日本旅客鉄道福知山支社
▼両丹日日新聞『愛されて半世紀 駅のそば屋さん高架開業で閉店 販売員の川戸さんも引退』
▼両丹日日新聞『JR福知山駅高架開業でイベント 市が見学や記念乗車など』
▼両丹日日新聞『JR高架開業と商業活性化 起死回生のチャンスとの期待 既存商店街には不安の声も』

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2005年11月19日

【東京】湘南新宿ラインの謎

列車の運賃体系は、はっきり言ってよく分からないものです。旅客鉄道各社の場合、国鉄から民営化されて以降、自由に運賃や料金を決めていますので違う会社の線区に乗るといつも乗車している線区のそれとはちょっと違っている場合があります。もっとも国鉄の頃でも運賃を他線区や競合他社と調整するために営業キロ数を割増したり、あるいは逆に減らしたりして目に見えない「違った運賃」を徴収していました。
今の「見える」運賃体系を大まかに二つに分けると「幹線」と「地方交通線」となりますが、既成の営業路線を走らない定期列車が増えてくるとわずか20円をめぐって以下の新聞記事みたいな現象が起こってきます。貨物線を走る列車の存在です。「旅客路線ではない」区間を旅客列車が走る場合、運賃はどういう考え方で徴収するのでしょうか。
関西の定期列車では空港特急「はるか」がちょっと「複雑に」貨物線を通りますが、果たして「はるか」の運賃体系はいかに。興味のある方は調べてみて下さい。
毎日新聞オンライン版の記事を抄録してみましょう。

湘南新宿ライン:20円高い「幽霊線路」の訳

神奈川県の小田原などから山手線を経由して埼玉県の大宮駅などを結ぶJR東日本の「湘南新宿ライン」で、品川区内の西大井−大崎間は、運転距離が運賃130円なのに150円に設定されている。同ラインが両駅間の貨物線を走るのに、品川駅経由の旅客線の距離で計算しているためだ。時刻表の路線図にも掲載されていない「幽霊線路」となっている。
(中略)ラインが走る西大井−大崎間の貨物線を経由した距離は約2キロ。運賃は130円(営業キロが1〜3キロ)の範囲内にある。しかし、実際の運賃は横須賀線の西大井駅と山手線の大崎駅を品川駅経由で結ぶ5.6キロとして、150円(同4〜6キロ)となっている。
ラインが走る線路は1934年に、品川を経由するロスを少なくするため貨物用の短絡線として整備された。JRは「貨物線なので、旅客運賃としては品川経由で計算している。今のところ、運賃を変更する予定はない」としている。【曽田拓】
毎日新聞 2005年11月19日 15時00分

余禄:日本で一番需要がある鉄道路線の一つ、東海道・山陽新幹線の運賃も実は目に見えない「割増」路線の仲間です。東海道区間だけを考えても、新幹線は東京−新大阪間の実キロ数は約516km(運賃は7980円)。並行して走る在来線の同じ区間は553km(運賃は8510円)です。米原−岐阜羽島−名古屋の区間のように一部別線とする場合もありますが、在来線も新幹線も並行して走る以上は各駅相互間は「同じ」運賃で計算されてしまいます。他に在来線と新幹線が並行して走る東北や上越、九州の各新幹線も運賃算出の考え方は東海道・山陽区間と同様です。

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2005年11月18日

【京都】福知山でラッセル車試運転

京都もすっかり寒くなりました。遅れている紅葉も一気に色付きが進みそうです。
寒い地方からはすでにラッセル車の話題が届いていますが、京都でも比較的雪が多く降る福知山の方で試運転が行なわれました。
京都新聞がこのニュースを伝えています。オンライン版の記事から抄録です。

雪シーズンに向け発進
JR西・福知山 ラッセル車を試運転

JR西日本福知山支社は18日早朝、京都府福知山市半田の福知山運転所電車センターでラッセル車の試運転を行った。この日、同市内の最低気温は2.3度で、この冬一番の冷え込み。
先端部に除雪するウイングを取り付けたディーゼル機関車は、全長約30メートル。積雪が30センチを超えると、時速約30キロで、左右に雪をはねのけて走行する。昨冬は同支社管内で2回、出動した。
午前6時半、運転士と保線係員が、複線両頭式ラッセル車のウイングの角度を変えるなどして点検。山陰線を豊岡に向けて発進した。

【複線両頭式】・・・機関車の前部と後部(=両頭)に除雪設備を持ち、複線の軌道で雪を取り除く方式。

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2005年11月17日

【西日本】J−WESTカード

JR-WEST Card西日本旅客鉄道が新しいクレジットカードを発行します。以前、関連会社のJR−WESTカードというのがあってわしも持っていた(VISA)のですが、いつしか廃止となって三井住友VISAカードに移行となりました。
今のところ新幹線や特急列車にそれほど乗る立場ではないのでこうしたカードは不要ですが、乗る機会が多い人には料金が割引になったりポイントがつくなどするためお得なのかも知れません。
しかし、こうした「お得」なことがクレジットカード利用が前提になるというのはちょっとどうかと思います。審査が必要な手間もさることながら、クレジットカードが欲しくない人もいるでしょう。クレジットカードに頼らず誰でもが利用可能な制度が作れないものでしょうか。作れるけれど下々の者には分からない、あるいは分からなくてよい複雑な事情があるのでしょう(笑)。
日刊工業新聞オンライン版からこのニュースを抄録します。

JR西日本、ネット予約できるクレジットカードを発行

JR西日本は16日、インターネットによる列車予約特典などを盛り込んだ「J—WESTカード」を、06年2月1日に発行すると発表した。JCBUFJニコスとの業務提携で実施する。
カードは06年夏にサービスを始める予定で、東海道・山陽新幹線全線の予約サービス機能を持つ「エクスプレス」と、同機能のない「ベーシック」の2種類。会員は山陽新幹線やJR西日本管内の主要特急列車の予約がパソコン・携帯電話で行える。また手数料なしで何回でも予約変更できる。
会員にはICOCA(イコカ)の新タイプ「SMART ICOCA(スマート イコカ)」も同日に発行。現金を使わなくてもイコカにチャージできる。さらにポイントサービスを活用、利用合計ポイントに応じて「スマート イコカ」のチャージなどに還元できるサービスも展開していく。

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2005年11月16日

【長崎】路面電車90周年

長崎の路面電車が90周年を迎えました。路面電車が見直されようとしている昨今なのに、なぜかあまり話題にならなかった感じがします。
しみったれた世の中にあって、運賃は長らく100円均一のままです。よくぞこの値段で頑張っています。わしが住んでいる京都など、地下鉄の初乗りが200円。しばらくすると10円〜20円の値上げが実施されることになっていて、埼玉高速鉄道と並び日本一高い運賃の地下鉄となる予定です。観光でお越しになる方は回るところの計画をしっかり立ててその範囲で使える割引乗車券を調べておくことですね。
長年、値上げをせずに走らせる努力は並大抵ではないと思います。長崎電気軌道さんにはこれからもしっかり走り続けて頂きたいものです。毎日新聞から抄録します。

路面電車:きょう90周年−−長崎 /長崎

長崎市で路面電車が走り始めて、16日で90年。電車を運行する長崎電気軌道は90周年を記念して同日から、同市川口町の長崎西洋館で「90周年電車展」を開く。20日まで。また、20日は同市の浦上車庫で恒例の「路面電車まつり」を開催する。
同社は1915年11月16日、路面電車の運行を開始した。電車展では年代別に路面電車が走る風景写真約50点を展示。ミニチュアの模型電車も走らせる。一方、路面電車まつりでは、電車の操作体験や本物の車体を使ったお絵描き体験も。絵が描かれた車体は後日、実際に市内を運行する。
(後略)【長澤潤一郎】
11月16日朝刊
(毎日新聞) − 11月16日17時40分更新

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【青森】津軽鉄道のストーブ列車

津軽鉄道のストーブ列車。わしにとってはまだ写真でしか見たことがない列車です。
毎年『運行が始まりました』という便りを聞くたびに本格的に冬になったのだなと思います。乗ってもいないのにそう思えるのであれば、乗ればもっと思えるものかしら。
今時、大変珍しいのんびりした雰囲気が味わえそうな列車です。ぜひとも乗りたいです。
このニュースを共同通信がさっそく伝えています。オンライン版から抄録します。

ストーブ列車が運行開始

青森県津軽地方を縦断する津軽鉄道冬の風物詩「ストーブ列車」が16日、運行を始める。午前11時35分に2両編成の一番列車が津軽五所川原駅を出発。1両に2台ずつ備えられた石炭ストーブで暖まった車内では、乗客にするめやしじみ汁などが特別に振る舞われる。
[共同通信社:2005年11月16日 08時30分]

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2005年11月14日

【京都】奈良線石垣踏切で遮断機が動作不良

車に乗っていると踏切での一旦停止はかなり面倒くさいものです。世界的に見てもここまで厳密に一旦停止させているのは日本くらいだ。こんな交通法規は廃止しても支障はなかろう。一旦停止しないことによって交通の流れもよくなる。
そんな意見もよく耳にします。が、以下のような事件を目にすると一旦停止の廃止云々ではなく、踏み切りそのものを出来るだけ少なくする=出来れば無くす=ことを考えるべきだと真剣に思わざるを得ません。遮断機が下りないまま電車が通過する事例は少なからずあり、実際に事故も起きています。列車を相手に衝突すればたとえダンプカーといえどもあっけなく跳ね飛ばされてお陀仏です。
車を運転する際には、特に見通しが悪い踏み切りでは一旦停止するのみならず左右をよく見て通過したいものです。
以下、時事通信の記事から抄録します。

遮断機下りず、電車が通過=ケーブル絶縁不良が原因−JR西日本

JR西日本は14日、京都府井手町のJR奈良線玉水〜棚倉間の石垣踏切で、12日にケーブルの絶縁不良が原因で遮断機が下りないまま、電車2本が通常のスピードで通過していたと発表した。通行人のけがなどはなかった。
絶縁材として使う樹脂の代わりに絶縁テープで済ませていたのが原因。(後略)
(時事通信) − 11月14日13時0分更新

JR西日本の発表
▼ 奈良線石垣踏切の遮断機動作不良について

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2005年11月13日

【京阪】8000系義経号

京阪特急「義経」

日本放送協会のドラマ『義経』に合わせて京阪8000系にラッピングを施した編成があります。これはそのうちの「義経」です。ほかに「弁慶」と「静」の2編成が活躍中。「義経」のほうは11/16をもって運転終了だそうです。撮影はお早めに。「弁慶」と「静」は12月中旬までの運転です。

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2005年11月12日

【京阪】ひらかた大菊人形のヘッドマーク

ひらかた大菊人形ヘッドマーク@1552

100年近く続いたひらかた大菊人形が今年をもって終了します。後継者不足や入場者数の減少などが理由です。枚方市も支援に取り組んでいたようですが、残念ながら12/4を最後に見納めとなります。今年のテーマは義経です。
京阪電車に取り付けられる菊人形のヘッドマークも今年が最後ですね。記念に一枚収めてきました。さりげなくフィナーレと書かれているところが泣かせます。

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2005年11月11日

【関西】来年1月、イコカとピタパが相互利用可能に

来年早々、西日本旅客鉄道ICOCA京阪阪急などが導入しているPiTaPaとが互いに使えるようになるそうです。
とはいっても、全ての機能が相互に使える訳ではなく、今の時点では『どちらのカードでも列車に乗れます』という程度です。決済に関して、PiTaPaは後払いでOKなのに対して予め一定の金額を入れておかなくてはならないICOCAとでは大きい違いがあるため慣れないうちは戸惑う人も出てくるでしょう。
いずれは東日本のSuicaを含めたこれら3つのICカードが相互に使えるようにするらしいです。便利になりそうな反面、使い方が複雑になりそうな気もしますね。カードの性格を全国的に使えるように変えていくのと、互換性の面で不便ではあっても地域ごとの特性に合わせたカードとして発展させていくのとでは、どちらが利用者にとって有難いでしょうか。
共同通信がこのニュースを伝えています。以下に抄録しておきます。

来年1月に相互利用を開始 近畿圏のイコカとピタパ

JR西日本と「スルッとKANSAI協議会」は10日、JR西ICOCA」と阪急電鉄など関西私鉄の「PiTaPa」の2つのIC内蔵カードの相互利用を来年1月21日から始める、と発表した。
これにより1枚のICカードでJR西の近畿圏の路線、阪急のほか能勢電鉄京阪電気鉄道に乗車できるようになる。
イコカが料金先払いなのに対し、ピタパは料金が翌々月に口座から引き落とされるため、ピタパJR西に乗る場合は券売機などでカードに入金することが必要だ。イコカで私鉄を利用する場合は、カードから運賃が差し引かれる。
ただ、飲食や買い物の支払いについては相互利用はできない。
(共同通信) − 11月10日17時27分更新

■各社の発表
「PiTaPa」・「ICOCA」の相互利用を実施します(PDF)
「ICOCA」「PiTaPa」の相互利用を実施します(西日本旅客鉄道)

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ICOCA@Wikipedia
PiTaPa@Wikipedia
Suica@Wikipedia

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2005年11月10日

【東京】東急に玉電カラー復活

東急世田谷線
昔の色が復活したというと国鉄車両というのが相場ですが、私鉄でも記念として旧塗装で走らせる場合はいくらだってあります。東急ではこの8日から世田谷線で玉電カラーを復活させているそうです。毎日新聞オンライン版から抄録します。
※画像は本エントリーに出てくる車両とは関係ありません。

東急世田谷線:帰ってきた「玉電カラー」 三軒茶屋〜下高井戸、1日20往復 /東京

◇懐かしの緑とクリーム色
東急世田谷線に8日、東急が1969年まで運行した玉川線の緑色とクリーム色の「玉電カラー」をあしらった電車がお目見えした。「ペコちゃん」「いもむし」などの愛称で親しまれた玉川線200形車両の登場50周年を記念した塗装だ。住宅街が続く沿線に、昭和レトロ風の懐かしいムードを漂わせている。
200形車両は55年にデビューし、丸みを帯びた愛くるしい車体デザインが人気に。地面から床までの高さが59センチと現代の低床車両の先駆けとなるなど、技術的にも優れた車両だった。新玉川線(現田園都市線)が建設され、玉川線の渋谷—二子玉川園間の廃止とともに姿を消した。
「玉電カラー」にお色直しされたのは、世田谷線を走る300系車両10編成のうちの1編成。側面に東急電鉄のローマ字の略称「T.K.K」との表示を入れ、正面下部には200形車両の特徴で、線路上の障害物を取り除く「排障器」をかたどったステッカーを張り付けた。(後略)【木村健二】
毎日新聞 2005年11月9日

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2005年11月09日

【長野】世界初のハイブリッド列車/小海線

ハイブリッドという言葉を聞くと自動車のエンジンを思い浮かべる人が多いかもしれません。ガソリンや軽油で動かすエンジンと電気モーターとを組み合わせるなどして、排気ガスの量、燃料消費率を減らして環境へのダメージを少なくしようとするものです。
このハイブリッドの考え方を東日本旅客鉄道が列車に採用し、試運転を重ねた結果2007年度に長野県の高原線、小海線でハイブリッド列車を本格的に走らせることにしたようです。これまで電気を動力とするのは電車、ディーゼルエンジンで動くものは気動車とかディーゼル動車などと呼ばれてきましたが、ハイブリッド列車はどんな俗称が与えられるのでしょうか(試作段階ではNEトレインだそうです)。
以下、ヤフー配信分の共同通信社記事から抄録しました。

ハイブリッド列車初運行へ 07年に小海線、JR東日本

JR東日本は8日、環境に優しい低公害のハイブリッド列車を開発し、2007年から小海線(小淵沢−小諸)で世界初の営業運転を開始すると発表した。
同社は03年から2年かけて、八戸(青森)、釜石(岩手)、烏山(栃木)の各線などで試作車を走らせデータを集積し、実用性と省エネ効果を確認したという。
約5億7000万円を投入して3両編成を07年に完成させる。
ハイブリッド列車は、発車する際には屋根に設置した蓄電池の電力だけでモーターを回転させ、加速の際は、床下の発電機付きディーゼルエンジンと蓄電池を組み合わせてモーターを動かす仕組み。
(共同通信) − 11月8日19時43分更新

■東日本発表のプレスリリース
▼営業車として世界初のハイブリッド鉄道車両の導入(PDF/40KB)

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2005年11月08日

【宮崎】高千穂鉄道:鉄橋は20億円規模

宮崎県を走るローカル線、高千穂鉄道が先の台風14号で不通となる被害を受けました。復旧にあたってどれだけの負担が必要なのかが取締役会で発表されたもようです。
元・国鉄日之影線→高千穂線から民営化後に第三セクター高千穂鉄道となり、もう20年近く前になりますが、早速乗りに行きました。水面からの高さが105mの、日本一高いとされる高千穂鉄橋は噂通りなかなかのものです。観光の際にはぜひ組み入れたいルートなので、金銭面で苦しいのはよく分かりますが出来るだけ早い復旧を望んでおります。
↓応援ブログも出来ているみたいですね。
▼ がんばれ! 高千穂鉄道!と沿線の町! さんのブログ。
では取締役会の概要を毎日新聞の記事(ヤフーへ配信)から抄録してみます。

高千穂鉄道:鉄橋は20億円規模 取締会で見積説明、県などに復旧支援要請へ /宮崎

台風14号災害で大きな被害を受け、全線不通になっている第三セクター高千穂鉄道(社長・黒木睦郎高千穂町長)の取締役会が7日、延岡市であり、復旧費の見積額の概要が示された。流された2本の鉄橋分だけで復旧費は20億円規模とみられ「会社だけでは財源を確保できない」と、厳しい見通しが示された。同鉄道は今後、県や沿線市町村に財政支援を要請する方針。
取締役会は非公開で開催。同鉄道によると、鉄道存続が可能かどうか判断するためにJR九州コンサルタンツ社に依頼していた見積書の内容が説明された。見積書は、11日の臨時株主総会で報告され、公表されるという。
関係者によると、全線復旧する場合、工事は約2年間かかるという。その間、被害が少なかった高千穂—日之影温泉間(12・5キロ)を部分運行するかどうかを、11日の総会直後の取締役会で提案する予定。(後略)
【甲斐喜雄】
11月8日朝刊
(毎日新聞) − 11月8日17時50分更新

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2005年11月07日

【岐阜】除雪車試運転(米原〜大垣)

今日は立冬。暦の上では冬本番・・・らしいですが、暖かい日が続いています。
それでも冬の準備は怠りなく進んでいて、新幹線にとっては冬の関所となる関ヶ原がある米原〜大垣間の在来線で除雪車の試運転がありました。
わしの田舎は岐阜県大垣市にあります。四半世紀前のことになりますが、冬に大垣へ行くと駅構内にはキ100という黒いラッセル車がいつも止まっていました。幼い頃の思い出です。

ヤフーニュース配信の共同通信社の記事から抄録。

東海道線で除雪車試運転 冬に備え、大垣−米原間

本格的な雪のシーズンの到来を間近に控え、JR東海は7日、線路の除雪を行うラッセル車の試運転を、東海道線の大垣駅と米原駅の間で行った。
出発を前に大垣駅構内では作業員らが各種機器を点検。朝の冷たい空気が立ち込める中、線路上の雪をそぎ落とす「フランジャ」や、落とした雪を線路外に押し出す「ウイング」などが正常に作動するかを念入りに確認した。
試運転は9日までの同区間のほか、15、16日は高山線の飛騨小坂−角川間でも実施する予定。
(共同通信) − 11月7日11時0分更新

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2005年11月06日

【滋賀】SL北びわこ号が走る

今年春に福知山線で快速電車が脱線した事故を受けて娯楽性が高い観光列車の運行が自粛されていました。そのうちの一つ、SL北びわこ号も夏は運転自粛の措置が取られていたのですが、この秋はなんとか運転されました。
脱線事故に関しては然るべき償いをするのは当たり前ですが、何でもかんでも自粛すれば反省の姿を見せることになるとでも思っているのでしょうか。かに料理ツアーの宣伝自粛 JRが遺族配慮(神戸新聞)なんてこともやっているみたいですが・・・。なにをしてもどうせマスコミなどに叩かれるなら最初から批判されそうなネタは無しにしてしまおうという考えならば、いつまで経っても誠意ある対応は出来ないように思います。

以下、京都読売オンライン版の記事から抄録します。

秋の湖北路 雄姿駆ける
「SL北びわこ号」出発進行

滋賀県の北陸線米原−木ノ本間(22・4キロ)で6日、観光イベントの季節列車「SL北びわこ号」の運行が始まった。雨模様の中、大勢の親子連れや鉄道ファンを乗せた蒸気機関車が秋の湖北路を駆け抜けた。
SL北びわこ号は、湖北の観光振興を目指し、JR西日本が1995年から春夏など毎年運行している。今年は尼崎市での快速電車脱線事故で、夏の運行が取りやめになったが、半年ぶりに雄姿をみせた。
やや小型で「ポニー」の愛称をもつC56形。米原、木ノ本両駅ではSLをバックに記念写真を撮る親子連れでにぎわい、湖北町の高時川付近の撮影ポイントでも大勢のファンが三脚を構え、煙をはきながら進む蒸気機関車をカメラに納めていた。
13、20の両日にも1日2便が運行されるが、客車はいずれも予約で満席という。

投稿者 うえの : 23:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月02日

【九州】特急の窓ガラスが割れた原因

九州読売オンライン版に載っていた、走行中に列車のガラスが割れる原因の記事。ガラスの破損は投石による被害だけではないことが分かります。

JR九州の特急窓ガラス破損、異物混入などが原因

JR九州1日、走行中の特急電車で相次いだ窓ガラス破損問題で、原因と再発防止策を発表した。
JR長崎線の特急「かもめ32号」(9月20日)の場合は、もともとあった小さな亀裂が風圧などで破損を引き起こし、日豊線の特急「ソニック8号」(同22日)のケースは、窓ガラスに混入していた球状の硫化ニッケル(直径約0.2ミリ)が、日差しなどを受けて結晶構造が変化し、破損を起こしたと断定した。(後略)

わずか直径0.2ミリの異物といえども油断ならないですね。まさに蟻の一穴という言葉がぴったりです。

投稿者 うえの : 18:39 | コメント (0) | トラックバック

【京阪】マイナスイオンを発生する車両

京都新聞オンライン版の記事に面白い電車の話題が出ていました。京阪電鉄大津鉄道事業部がマイナスイオンを発生する車両の開発を進めているのだそうです。記事ではすでに試作車両が走っているとのことですが、はたしてどのような車なのでしょうか。記事から抄録してみます。

マイナスイオン車両 導入計画
京阪電鉄、森林浴と同じ効果

満員電車も癒やしの空間に−。京阪電鉄大津鉄道事業部は、心身にリラックス効果があるとされる「マイナスイオン」を発生する車両の開発を進めている。マイナスイオンの発生機能が付いた車や空気清浄機などは登場しているが、車両では世界で初めての試み。森林浴と同様の効果が期待できるといい、「女性車両や特急車両などから導入を始め、全国の鉄道にも広めたい」としている。
計画では、マイナスイオンを発生させる塗料を塗布したアルミ板を、電車の内壁や天井に使う。現在の特急車両のマイナスイオンは1cc当たり200−300個だが、この塗料を塗ると約1500個が発生し、噴水のある森林公園に居るのと同じ効果があるという。
同社は昨年9月、大阪市の鋼板メーカーと協力して開発に乗り出した。関東の私鉄にも協力を呼び掛け、今年3月から7両編成の「マイナスイオン車両」を実際に走らせて、アルミ板の耐久性などを確認する実験に取り組んでいる。
11月にも、車両メーカーに売り込むことにしており、大津鉄道事業部の岡秀敏技術課長は「車両という密閉された空間の中で、何とかリラックスしてもらえる方法はないか、と考えた。消臭効果もあるので、ラッシュ時の通勤通学がかなり快適になるのでは」と話している。
(後略)。

京阪電車は一番長い本線を端から端まで特急走って約50分。長過ぎるとも短すぎるともいえない時間ですが、同じ時間であるなら少しでも快適に過ごせる空間が良いですね。実用化されて運用に就く日を楽しみにしています。

投稿者 うえの : 18:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月31日

【九州】阿蘇に観光特急

九州読売オンライン版をぼーっと眺めていると、豊肥本線に観光特急が走るというニュースが載っていました。
列車ははやとの風と同様の特急気動車になるそうな。
木目調を活かした内装を整えた特急車両とはいえ、元はといえば汎用の気動車です。急行か快速での運行はできないものですかね。九州は特急料金が安いので銭の問題で言っているのではありませぬ。特急とは特別な急行というおっさんにありがちな先入観がその理由です。
でも、走り始めたらぜひ乗ってみたい。

「阿蘇に観光特急」JR九州社長〜新幹線、全線開業時

JR九州の石原進社長は熊本市で講演し、2011年春に予定される九州新幹線鹿児島ルートの全線開業時に、豊肥線熊本〜宮地駅間に、観光特急を走らせる考えを明らかにした。(中略)
石原社長は、熊本の観光戦略での阿蘇の重要性を指摘したうえで、「『はやとの風』が好評。阿蘇にも観光特急を走らせたい」とし、日豊線、肥薩線の鹿児島中央〜吉松駅間で運行する観光特急「はやとの風」と同様の列車を運行する意向を示した。本数などについては今後検討するとしている。(後略)

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2005年10月24日

【福井】福井鉄道低床車試運転

中日新聞のコラム記事

22日付けの中日新聞朝刊社会面にあった記事から。
美濃町線などの廃止によって名鉄から福井鉄道に譲渡された低床車が試運転を行なったそうです。
万葉線の新しい電車といい、ここの低床車導入といい、北陸の地方鉄道が段々おしゃれになってきました。古い電車の旅も面白いけれど、このような新型車で田舎の風景を楽しむのも楽しそうです。ぜひ乗りたいです。

中日新聞オンライン版の記事は以下の通り(抄録)。

低床電車が運行開始
福鉄・福武線の路面区間、まず期間限定で

福井鉄道福武線に導入された低床電車(LRV)が21日、福井市の路面区間で運行を始めた。「国民文化祭・ふくい2005」が開かれる11月3日までの期間限定で走り、来年3月から本格運行する。
低床電車は(中略)福井駅前−田原町間(1.8キロ)を1日12往復する。
出発式があり、福武線沿線にある昭和幼稚園の園児約20人が八幡聡運転士らに記念の花束を手渡した。園児たちは高さ約40センチと低い乗降口から一般の乗客とともに乗車。一往復して「楽しかった」「車内の様子がほかの電車と違った」などと感想を話していた。
低床電車は福井鉄道が名古屋鉄道から譲り受けた。運行期間中の低床電車の運賃は大人100円、小人50円。

▼福井鉄道からのお知らせ(jpg形式)はこちらです。

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2005年09月17日

【北海道】キハ40健在(千歳−追分2631D)

千歳駅久しぶりの北海道です。
今回の行程はほぼ全てがレンタカーになりますが、宿泊した千歳のホテルから南千歳のレンタカー営業所までわずか一駅とはいえ列車のお世話になります。束の間の汽車旅を楽しみましょう。
千歳駅に停まっていたのは9:03発の追分行き気動車です。隣の南千歳駅までしか乗らないので、続々やって来る快速エアポートライナーが便利です。が、気動車に乗れる機会が身近では少なくなってきたので敢えて発車まで20分以上も待ってこの2631Dに乗ることにしました。

キハ40前面国鉄東海型電車の流れを汲む面構え。

キハ40後面進行方向に対する後姿。この面には銘板や形式表記がないのですっきりして見えます。北海道など寒冷地仕様の小さな窓が特徴的です。

サボ行き先表示は昔ながらのサボ。

キハ40客室内ワンマン化改造が施されているほか客室内は両端部が一部ロングシートになっていて通勤時、乗降時の混雑に対応しています。
シート地は国鉄標準色の青のままです。このようなボックスタイプの座席は、俗に直角シートと呼ばれることもありますが、下手なロマンスシートより足が伸ばしやすくて疲れない場合があり、わしは好きです。

キハ40運転席運転席はごちゃごちゃしていて視界も悪そう。
操縦する立場としては現代の列車に見られる機器配置のほうが疲れないでしょうね。
扇風機を始め何箇所かにJNRのマークがあって、時代を感じます。このような気動車もやがて姿を消して行くのでしょう。乗れるうちに乗っておきたいものです。
乗り心地は軌道が良いのに対して速度が遅いので文句ないものでした。

投稿者 うえの : 09:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月30日

【18きっぷ】井原鉄道を訪ねて

8月30日(火)、晴れ〜雨

今日は岡山の井原鉄道井原線に乗ろうと思う。
井原線は昭和41年(1966年)に国鉄井原線として工事が始まりました。後に国鉄が民営化となってからは井原鉄道株式会社として再度出発し、平成11年(1999年)に開通して現在に至ります。
<開通は『平成11年1月11日午前11時11分11秒』と1づくしという気合の入ったものだったようです。>
路線は総社(伯備線と連絡)〜神辺(福塩線と連絡)まで、総延長は41.7kmです。ほとんどが立派な高架軌道で踏み切りは井原駅の前後などごくわずかしかありません。

フリー切符イラスト面の画像 伯備線の普通電車を総社で降り、跨線橋を渡って井原線に乗り換えます。改札口で女性係員からほのぼのフリー切符(1200円)を買い求めます。片道運賃は1070円ですが、普通の切符は卓上電算機みたいな機械から打ち出すレシート様のものです。少々高くなるのは承知で記念に残るフリー切符の方を買いました。

フリー切符日付面の画像これは日付が入った面です。どちらが表面で裏面かは分かりません。広告の紙みたいな手触りなのとぺらぺらなのでなくしてしまわないかと気を使いました。

総社駅にて乗り場に出るとすでに単行の気動車が入線しています。車内へ入るにはボタンを押してドアを開けます。
荷物を座席に置きコーヒーでも買おうと乗り場を見回しますが、自販機はないようです。なくて困るものではありませんが始発駅として改札内に一台は欲しいところです。

車内の画像気動車は定刻に発車しました。乗客はわしを含めて3人。ゆっくり加速して伯備線に入り、次の清音(きよね)までのんびり走ります。清音駅の乗り場は伯備線乗り場の倉敷側の端を乗降階段で区切る形で使用しています。見た目は一つの駅ようです。
清音駅を出ると伯備線の上下線に挟まれて走り、すぐに高架となって右に曲がり高梁川を渡ります。高梁川は岡山県西部を流れる大きな川で、沿岸でよく知られた見所に井倉洞がありますが、変わったものとして今でも渡船があるのだそうです。水江の渡し舟として大正時代から続いているとのこと。40mほどの川幅を3分程度で渡る。これは機会があればぜひ乗ってみたい。

さて、気動車の乗り心地です。高規格の軌道を走る割にあまりよくありません。
まずエンジン音が非常に大きい。先日乗った三木鉄道の気動車に比べると小川のせせらぎと瀑布くらいの違いがあります。クロスシートはやや小ぶりで座面は硬く、シートピッチはやや狭い。1時間乗り通すのは少し疲れます。或る程度まとまった時間を乗車するならロングシート部の方が乗り心地は良いと思いました。
トイレは狭いものの、鏡が取り付けられているのは好感が持てました。

軌道の画像列車は写真のような立派な軌道敷をぐんぐん走ります。時速は最高で110キロ出せるそうですが、加速・力行時の音が五月蝿いので速度で時間を稼ぐよりも快速か急行運転で小駅を通過するようなダイヤも一考の価値がありそうです。

矢掛(やかげ)駅にてすっきりした雰囲気の矢掛(やかげ)駅。すでに廃止された井笠鉄道矢掛線の発着駅として栄えたところです。井原線は一部区間をこの井笠鉄道の廃線跡を使って建設されたと聞きます。高架で一気に駆け抜けていく今、当時ののんびりとした雰囲気は果たしてどこかに残っているのでしょうか。

神辺駅の駅名標 井原線の駅名標はイラスト付きです。これは終着駅神辺駅のもので、その駅周辺の見所、歴史などに因んだ絵柄となっているようです。

神辺駅にて折り返し清音行きおよそ1時間で終点の神辺に到着します。井原線は滞りなくすいすい進んでいく点では優れた路線といえますが、どういうわけか退屈で汽車旅大好きのわしでもさすがに何度か眠気に襲われてしまいました。風景が田園や宅地ばかりという単調なものという理由ばかりではなく、路線全体が新幹線の設備みたいに綺麗にまとまりすぎていているせいもあるのではないか。
あとで調べてみると井原線沿線には歴史的な見所が多いようです。乗って楽しむというより、そうした遺物などと「見て」楽しむ路線のような気がします。

投稿者 うえの : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月25日

【18きっぷ】福井鉄道を訪ねて<補遺>

乗り潰しも楽しいけれど、移動の列車内や駅で何かを食べるのも楽しいものです。この夏は北陸中心の旅になりましたが、今回の北陸鉄道と福井鉄道を巡る旅で食べたのは以下の通りです。

ますの寿司の画像

昔亭のますの寿司と食べ比べで味よし食品の鱒の寿司を買ってみました。後者のほうが少しコクがないように思います。しかし旅の途上のおつまみは何を食べても美味い。ヱビスビールも冷たく冷えていて美味しく食べられました。

福井駅今庄そばの画像

福井駅西口改札付近で久しぶりに食べた「今庄そば」です。日本全国どこへ行っても駅そばは「玉子そば」と決めています。そうする理由は特にないのですが、とにかく玉子そばなのです。
もっさい駅そばですと、麺は細くて出汁が妙に薄くて不味い場合があります。ところが福井駅の駅そばは真面目な太さ(←これはそばの条件として大事なことだと思う)と美味しい出汁が大変良い具合です。ぜひ一度食べてみてください。玉子そばの値段は310円です。

焼き鯖寿司とキリン一番搾り福井から乗った敦賀行き普通電車は敦賀からそのまま米原行きとして運転されます。ただし、米原行きとして発車するまで1時間以上も停車します。乗り換えしなくて済むのは気楽ですが、今時こんなのんびりした列車も数少なくなりました。この1時間を無駄に過ごすのは勿体ない。さっそく敦賀名産の買出しです。
乗った先頭車が止まった少し先に売店があり、そこで手に入れたのが塩荘(しおそう)荘兵衛さんの焼きさばずしです。大と小とがありましたが、財布と相談のうえ小の方を買いました(税込み800円)。内容量としてはこれで正解でした。少々辛めの味もわし好みです。隠し味(?)の生姜がこれまた美味しい。たれが付いてきますが、つけなくても十分食べられる味です。そのままで一度お試しください。これでビールがヱビスなら最高でしたのに・・・。
富山のますの寿司、福井の焼きさばずしと「寿司」盡くしの北陸一人旅でした。

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2005年08月23日

【18きっぷ】福井鉄道を訪ねて

8月23日(火)、雷雨〜曇り

北陸鉄道浅野川線についで福井鉄道にも乗ってきました。福井駅前〜武生新までは乗っているのですが、市役所前〜田原町までの約1.5キロが未乗でした。この際ここも片付けておきます。
高架化された北陸本線福井駅を出ると、古い駅ビルを取り壊している最中です。粉塵が飛ばないよう水を撒きながらの工事が行なわれています。まさか今問題になっている石綿の心配はないでしょうけれど、あまり息をしないようにして足早に通り抜けます。
次にやってくる田原町行きの電車まで時間があるため、公園口電停まで歩きそこから田原町へ向かうことにします。

細長い安全地帯の上で、すれすれに走ってくる(ように見える)車に脅えながら待つことしばし。遠いカーヴの向こうからモハ300形がやってきます(写真は公園口電停に入線する田原町行きです)。手元にたまたまあった「世界の鉄道’76」(朝日新聞社)という本によれば、これは元・静岡鉄道のクモハ300(実際にはクハ300+モハ300の2両1編成)だそうです。静岡鉄道が車体、部品などすべて新品で作ったものということです。
安全地帯で乗降するので扉が開くとステップが出てきます。クロスシートが並ぶ車内に入ると中学生らしき生徒たちで満席です。ならば運転席の後ろに立ってかぶりつきと行きたいところですが、眺望が良い場所はおばあさんと女子中学生らに占領されており、前を見るのはほぼ不可能です。

なんとか運転士の後ろに空間を見つけて撮ったのが上の一枚です(裁判所前付近)。デジカメを持ってあれやこれやと思案している姿はきっと怪しいおっさんだったことでしょう。
#盗撮犯扱いされなくて良かった・・・・。

田原町に着くと、若干遅れているのかすぐに折り返しで発車します。田原町はえちぜん鉄道とつながっている木造駅舎で時代を感じさせる味わいがあります。えちぜん鉄道側には改札があり、事務所にはおばさんの駅員(委託でしょうか)が2人いらっしゃいました。改札といっても開け放たれているようなものですが、それでも中学生らはいちいちおばさんを呼び止めて定期券をきちんと見せて入場するのには驚きました。そうするのが普通で驚くのはおかしい。もちろんそうなのですが、わしなら駅員が何か用事をしていてあさっての方を向いていたら声をかけずに入ってしまいそうです。意外なところでマナーの良さを見せていただきました。

駅名標は板に手書きらしい文字。今ではあまり見られないタイプのものです。

駅舎の片隅で見つけた昔の時刻表。文字は消えているのか消されたのかは分かりませんが、ほぼ毎時7分、37分に発車していたらしいのが分かります。
田原町からはえちぜん鉄道に乗り換えて福井駅に戻ります。福井鉄道が市内区間180円なのに対し、えちぜん鉄道の方は田原町から福井まで150円と少し安いです。

福井鉄道自社発注のモハ200形は今なお健在です。正面二枚窓っぽいデザインは1950年代を思わせます。前面に貼られたお隣り石川県が生んだ大リーガー松井選手の顔写真が唯一現代的・・・?

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【18きっぷ】北陸鉄道を訪ねて

8月23日(火)、雷雨〜曇り

2週間ぶりに休みを得て、今日は北陸鉄道浅野川線に乗ってみます。
先日乗る機会はあったのですが、台風の影響で乗らず仕舞いだったのです。

この10年ほどで金沢駅のおもむきはすっかり変わってしまい、北陸本線は高架に、北陸鉄道は地下にそれぞれ乗り場が移動してしまいました。

電車は2両編成で、京王帝都からやってきたステンレス車です。
折り返しの電車から降りたお客さんが出てしまうまで改札は行なわれません。

京王帝都時代のものと思われる銘板。

車内スピーカーには「KTR」の文字が見えます。関東の私鉄も結構芸が細かいところがあるのですね。

さて、電車は定刻に北鉄金沢駅を出るとすぐ地上に顔を出し、七ツ屋駅に停車します。
線路は民家の間をすり抜けるように敷かれていて、曲線だらけです。速度も大して出ていないようで、雰囲気としては専用軌道を走る路面電車です。速度の割には横揺れや上下動の絶え間がなく、逆にこれで駅間距離があればちょっと疲れる路線かも知れません。車両自体に問題はないと思いますので軌道をもっとがっしりすれば揺れは少なくなることでしょう。と、外野が言うのは簡単ですが、地方私鉄にはなかなか厳しいところかも知れません。
途中、三ツ屋駅で対向電車とすれ違います。単線の浅野川線唯一の交換設備がある駅です。やがて大野川鉄橋を微妙に揺れながら最徐行で渡ります。どのような理由で速度制限がかかっているのか分かりませんが、橋の老朽化が理由ならちょっと怖いです。

hok_050823_005.jpg

内灘駅の全景。駅自体は小さいですが、駅前は少々広く作ってあり、路線バスが時をおかずに発着しています。

hok_050823_006.jpg

内灘駅の駅名標。なかなか立派です。

今乗ってきた電車で折り返します。
帰りは何と急行。わずか7kmほどの路線で急行運転とはこれまたなかなかのものです。
上下左右に揺れはしましたが、帰りも短い旅が楽しめました。

投稿者 うえの : 21:29 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月09日

【18きっぷ】三木鉄道を訪ねて

8月9日(火)、晴れ

三木鉄道に乗ってみようと思う。
兵庫県三木市は京都から比較的近いところにある。ローカル線とはいえ、時刻表で調べてみると三木鉄道は意外に本数が多い。よって朝早く目が覚めていたのに家を出たのはお昼近くになってからでした。
新快速電車で一気に加古川に到着。しばらく来ないうちに加古川駅は高架の立派な駅になっていて吃驚しました。ここから三木鉄道の乗り換え駅となる厄神まで加古川線に乗ります。いったん地上に降りて加古川線乗り場へ行く際、再び改札があります。無人駅で乗った人から運賃を取りはぐれないようにしたのでしょうか。真面目に乗車券を持っている者には煩雑ではあります。
高架の加古川線乗り場へ上がると真新しいクモハ125という電車が一両で発車を待っています。日本海側の小浜線で走っているのと同じ型です。単車ゆえか車内はすでに満席で、車内は窮屈です。客室内に機器を詰め込んでいるためか、明り取りがうまくないようで、暗い車内という印象です。厄神まで立って行き、いよいよ三木鉄道に乗ります。

適当な接続時間が取ってあり、少々体が弱い人でも跨線橋をゆっくり渡って乗り換えが出来ます。静かなエンジンの音がころころと聞こえます。車内は地元客ばかり10人程度がすでに着席して発車を待っています。冷房も良く効いていて快適です。車内も日がよく入って明るい。
切符は発行されません。乗った駅から降りる駅までの運賃を現金で支払います。厄神〜三木間は片道250円です。
発車時刻が来て、気動車は振動もなくゆっくり動き始めます。車そのものと運転士さんの腕が良いのか、加速も滑らかで乗り心地が良いです。エンジン音も低く抑えられており、幹線でも十分に使える優秀な気動車です。

車内を見ると、天井からは風鈴が吊り下げられたり、壁面に手作りの造花が貼ってあったりします。さらになぜかマンガ雑誌が座席の横に置かれています。営業キロが7kmに満たない日本でも屈指の短い鉄道路線であっても道中退屈しないようにとの配慮なのでしょう。
田園風景の中を恙無く走って終点の三木に到着しました。

三木駅の駅名標です。単純明快な表示ですね。

国鉄時代からある駅にはこうした大きい駅名標が見られます。

駅舎内の出札窓口。昔懐かしい風景がまだここには残っています。

国鉄ローカル線の駅舎は大体このような造りです。今ではすっかり建て替えられて西欧的なしつらえになっているところが多いですが、こうした日本風民家的な駅舎は無駄に賑やかな飾りやいわゆる自称芸術作品みたいなものがなく、見ていて心が落ち着きます。
三木駅前をぶらぶら散歩し始めますが、なにしろ暑い。自動車は何台も通りますが、人はほとんど歩いていない。駅前通りを少し歩いたら郵便局がありました。旅行貯金をして時間を少し潰そうと企んだものの、手際よく事務処理が終わって再び炎天下へ逆戻りです。
三木は金物、刃物の町と聞いていましたが、それらしき宣伝の看板や案内などは目立つところにはありません。あとで地図を見てみると、三木駅はどうも賑やかな場所から外れているようです。歩いて10〜15分くらいで神戸電鉄の三木駅へ出られそうなので、炎天下でなければ試していたところです。せっかく来たのだから試すべきですが、熱中症なんかで死んでもつまらない。
同じ車で折り返し、長閑な田園風景をしばし楽しんで厄神に戻りました。所要時間は13分。国鉄時代に比べて駅が4つほど増えていますが、かかる時間は一緒です。本数も大幅に増えて乗りやすくなっています。京阪神からは午後から出かけても日帰り可能なローカル線ですので未乗の方はぜひ一度乗ってみてください。

投稿者 うえの : 22:00 | コメント (0) | トラックバック

【18きっぷ】神岡鉄道を訪ねて<§4:補遺>

西ホーム@富山駅

高山本線の列車が発着する富山駅の3番線は、国鉄〜民営化直後の頃「西ホーム」と呼ばれていたようです。長い編成の気動車に対応出来るよう乗り場も長くなっています。

猪谷駅

猪谷駅はさほど雰囲気に変化はなさそうです。大きく変わったとすれば駅名標くらいのものでしょうか。

記念乗車券

神岡鉄道の記念乗車券。3種類ほどあるうちの一つで、右が表紙、左が裏表紙です。

硬券乗車券3葉

中面には、猪谷−神岡鉱山前往復分と神岡鉱山前−奥飛騨温泉口片道分あわせて3枚が収められています。値段は1200円です。

投稿者 うえの : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月08日

【18きっぷ】神岡鉄道を訪ねて<§3:神岡鉄道>

7月26日(火)、雨

目覚ましが鳴る。でも夜が明けた気配がない。変だなと思って窓の外を見ると隣の建物の壁がありました。部屋が暗いままなので目覚ましが鳴らなかったら危うく寝坊するところでした。
TVを見ながら着替えを済ませ、ホテルを出ると雨が降っています。傘をさすのも面倒なので小走りで駅に向かいます。今日はいよいよ神岡鉄道に乗ります。元は国鉄神岡線で昭和59年に第三セクター化されました。北陸中日新聞の特集記事によれば、その歴史は『明治末期の神岡鉱山の馬車軌道にまでさかのぼる。その後三井金属鉱業の軽便鉄道を経て、国鉄神岡線が開通』といい、意外に奥が深い路線です。そんな神岡鉄道も稼ぎ頭だった貨物輸送がトラックに置き換えられたことから来年度末に廃止されることになりました。乗っておくなら廃線を惜しむ人が大量に来る前の静かな今が狙い目です。どのような路線なのでしょうか。楽しみです。
されど腹が減っては戦が出来ぬ。まずは構内の便利雑貨ハート・インで朝の食べ物を買い、高山本線の気動車に乗り込みました。

844D@富山駅

2両編成の富山7:35発、844Dはですでにほぼ満席状態でした。ローカル線だから座れるだろう。のんびりボックスシートで飯にしようと考えていたのは甘かった。ロングシート部にようやく空きを見つけ、腰を下ろしたら間もなく発車しました。
外観に似合わず気動車は軽快に田園風景の中を走っていきます。晴れていれば頂上に雪を冠した山々が見える風光明媚な路線ですが、今日はあいにくの天気なのが残念です。
途中の速星から高校生らしき学生の集団が乗ってきます。短い車両はあっという間に通勤電車並みの混雑となりました。それでも2両でまかなえる乗客数ですから、混雑の度合いといってものんびりしたものではあります。
越中八尾では学生たちを含めて一般客がどっと降ります。これ幸いとボックス席に場所を移してゆっくり朝ご飯をいただきました。

朝飯@844D

北陸の汽車旅で食べるものといえば、まずは昔亭(せきてい)の「ますの寿司」です。今朝はこれに併せて「あなご寿司」も買ってみました。おにぎりタイプになっていて食べやすい。このおにぎりタイプの「ますの寿司」は近鉄京都駅構内のam/pm近鉄京都駅店にも置いてあり、小腹が空いた時はたまに買って食べています。

844D@猪谷駅

「あなご寿司」の意外な美味しさに舌鼓を打つうちに終点猪谷に到着。猪谷から飛騨古川までは台風被害により不通のため、この区間は代行バスが用意されています。途中、橋が流されていたりするため復旧にはしばし時間がかかりそうです。

猪谷駅舎

のどかな駅のたたずまいです。画像左側に見えているのは濃飛バスが運行する代行バスです。
乗り継ぎに少し時間があるので駅前をぶらついてみます。駅前から国道まではほんの100メートルほどしかなく、食料品店と酒屋が目に入るほかはこれといった商店はなく、朝が早いこともあってか人通りもほとんどありません。駅前に郵便局があり、旅行貯金の余裕はたっぷりありましたが、あいにくまだ営業開始前の時間帯でした。

おくひだ2号@猪谷駅

時が流れ、駅に戻るとすでに神岡鉄道の気動車が入線しています。単行の車はどこかで見たことがあるようでここだけにしかないような型をしています。車内は雪深い山間の土地を走るからなのでしょうか、冷房がついていません。

おくひだ2号@猪谷駅

座席は通常のボックスシートを改造して、テーブルをコの字型に囲む配置になっています。車端には囲炉裏を模した席もしつらえてあり、通勤客のためというより行楽の利用者のために楽しんで乗ってもらおうという考えのようです。しかし、テーブルと座席の間隔が狭いために小柄な方以外は窮屈に思えるかも知れません。

囲炉裏@おくひだ2号

気動車は定刻の8:53にゆっくりと動き出しました。発車時点の乗客は二人です。一人は記念乗車券の類を持っているので、地元の利用者ではないでしょう。もう一人はもちろん私です。
2つめの茂住駅から地元の方が5人ほど乗ってこられました。茂住駅から近いところに東大宇宙線研究所スーパーカミオカンデがあるそうです。ノーベル賞が取れるほどの研究施設ですが、門外漢には何がなにやらさっぱりです。なお神岡町のサイトによればニュートリノを始めて検出したのは昭和62年のことだそうです。

神岡鉄道はトンネルに始まり、トンネルに終わる路線です。猪谷駅を出るとすぐに県境を越えて富山県から岐阜県に入り、神通川と国道41号線に沿って進みます。トンネルに入ってしばらく走ると駅。駅を出るとトンネル。トンネルを出たところに駅。そのようなことの繰り返しで「奥飛騨の地下鉄」と異名を取るだけのことはあります。しかし窓から見る風景は神通川に姿を見せる奇岩などのおかげで楽しめるものです。また路線図を見て分かるように、駅によっては七福神がそれぞれ一体ずつ安置されています。神様を置く由来については分かりませんが、ふと目に付くと心が和みます。
そのほか、神岡鉱山前駅では今や珍しくなったタブレットの交換が行なわれ、飛騨神岡駅には床屋さんが営業中。

奥飛騨温泉口駅

そして神岡鉄道本社がある奥飛騨温泉口駅には国鉄時代の駅舎を改装した喫茶店「あすなろ」と囲炉裏を配した民家風待合所があるなど、面白い特徴を持った駅が揃っています。

奥飛騨温泉口駅前

駅前には引退した貨物用ディーゼル機関車が置かれ、どのような鉄道路線として歴史を歩んできたかが分かります。

あすなろの看板周辺を散歩してみましたが、砂防工事事務所や製材所みたいなものばかりです。どこへ行くあてもないので駅に戻り、前述した国鉄時代の駅舎を改装したという喫茶店に入ります。

あすなろ内部なるほど、「貨物取扱所」の看板が元国鉄の駅らしい雰囲気を伝えています。とかく無造作になりがちな雑誌類はきちんと整頓されていて好感が持てます。

アイスコーヒー@あすなろ

アイスコーヒーを注文すると、タイムサーヴィスでトーストがついてきました。コーヒーの味は文句なしです。旅先で飲むコーヒーや酒はなにしろうまい。しばしぼおっとさせていただきました。これでお値段は400円でした。
店にはかなりの台数が止められる駐車場があり、地元の人はもとより車旅の人も気軽に立ち寄れます。

あすなろ内部

落ち着いた店内の様子をもう一枚どうぞ。
10:45、奥飛騨温泉口発。この後は金沢へ向かい、北陸鉄道の未乗路線を征服しておこうと思います。淡々と富山まで戻り、北陸本線の各駅停車で金沢へ。ボロい昔の急行型電車ながらそこそこの速度で飛ばし定刻に金沢着。順調であればこれから北陸鉄道浅野川線と石川線の野町〜新西金沢間を楽しむはずでした。が、台風が接近しているとかで関西方面を結ぶ特急列車に遅れや運休が出ています。めったなことで普通列車が止まることはないと思いますが、明日は早朝から仕事があるために大事をとって帰ることにしました。悔しいですが、またにします。

特急退避

金沢駅の売店でビールと「ますの寿司」などのつまみを揃えて14:03発の普通列車に乗ります。途中の美川駅で特急「雷鳥」を退避。この列車がすでに4分ほど遅れて運転しています。大丈夫でしょうか。福井へ向けて進むうち、沿線の木々や田んぼの稲が大きく揺れるのが見えます。割合強い風が吹いています。が、乗った列車は特急退避の際の遅れを引きずっただけで無事に福井着。

419系体質改善車

福井から先は遅れとはいえないくらいの遅れで順調に進みます。敦賀では電車の写真を撮れるほど余裕もあります。長浜、米原とうち過ぎて何事もなく京都駅に到着。そうすると欲が出てくるもので、これなら金沢で北陸鉄道に乗れていたな、などと過去を振り返ってしまいます。なに、まだ休みを取ろうと思えば取れる。次回に期待です。
(了)

投稿者 うえの : 20:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月06日

【大阪】赤川鉄橋を訪ねて

8月6日(土)、曇り〜雷雨

朋、横濱より來たり。大阪の友人とわしとで男三人が久しぶりに集まりました。
昔から女三人寄れば姦しいといわれます。男は三人寄れば汽車旅というわけで、鉄道に詳しい大阪の友人が城東貨物線赤川鉄橋へ連れていってくれました。

上の写真(東淀川区側)のように、赤川鉄橋は貨物列車と歩行者が並んで淀川を渡れる橋です。
本来は複線として貨物列車が走れるだけの用地があるのですが、今のところ単線で運転されています。予備の用地は将来の大阪外環状線完成までこの橋の部分に限って人も渡れます。

暫定的な人道橋という意味で「仮橋」となっているようです。

上空を横切る飛行機の機種を当てっこしつつぼんやり待つこと数十分。ようやくDD51が牽引するコンテナ貨物列車がやってきました。ディーゼル機関車が引っ張る列車だからのろいかと思いきや、意外に速いです。

素早く行き過ぎる貨物列車の後姿。

赤川鉄橋(都島区側)

見物が終わったあとは大阪市営バス、環状線と乗り継ぎ天満で降りてB級グルメ探索へ。大阪の友人が紹介してくれたのはキャベツ焼き。具らしい具は文字通りキャベツとちらほらエビが見える程度の簡単なおやつ。100円です。

しばらく喫茶店で歓談したあと、大阪の友人は仕事で中座。横濱人とわしはしつこく鉄旅を続け、横濱人が乗ったことのないという片町線を東西線経由で征服し、木津からは奈良線を使って京都駅で東海道本線と合流します。京都人のわしはここで打ち止めです。横濱人はこのあと伊丹空港から飛行機で帰る予定ですが、定石の新快速を使わずに特急「スーパーはくと」にて大阪方面へ向かいました。さすが、筋金入りの鉄人は視点が違う。
鉄に始まり、鉄に終わった清清しい土曜日でした。

投稿者 うえの : 20:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月29日

【18きっぷ】神岡鉄道を訪ねて<§2:富山地方鉄道>

7月25日(月)、夜・雨

宿に着いてくつろぐ暇もなく街へと出発します。蒸し暑いのでどこか居酒屋で生ビールでも・・・と行きたいところですが、ここはぐっとこらえて富山地方鉄道市内線の乗りつぶしに取り掛かります。

7016@富山駅前

宿から最寄の富山駅前電停です。南富山駅行きが来たのでこれに乗ることにします。全面広告の賑やかな電車です。

南富山駅前

電車に乗ったのは午後8時を過ぎた頃です。南富山までの沿線はすっかり灯が落ちていて、ところどころに居酒屋や飲食店の明かりが目立つくらい暗い街です。もっとも不夜城みたいにいつまでも夜遅くまで賑わっている、いわゆる都会といわれる地域がひょっとしたら変なのかもしれません。日が暮れたら寝るのが当たり前です。南富山駅の周辺もひっそりしています。

7020@南富山

満艦飾の路面電車。菅原文太さんのトラック野郎顔負けです。

8003@南富山

新しい型の電車。他の車はほとんどがくたびれていますが、それなりに味があります。こうした電車は快適ではありますが、味わいには欠けます。などというのはたまにしか来ない旅行者の戯言。地元の人は新型電車のほうが有難いでしょう。

不二越線南富山駅

電車・バス一日乗車券(600円)を買いましたので、不二越線も一部乗車できます。21:05発の電鉄富山行き普通電車に乗ってみます。いつしか雨が降り始めました。

モハ14721車内

モハ14721の車内。がらがらです。しかしシートは立派にロマンスシート。かなり色褪せているのがご愛嬌です。

元・京阪3000系と

電鉄富山駅にて、京阪特急3000系と横並び。京阪利用者としては懐かしい顔に出会えました。モハ14721は正面2枚窓のいわゆる湘南電車スタイル。他の鉄道会社でもこの型が活躍する姿は少なくなってきました。

大学前

再び富山駅前から路面電車に乗り換え、今度は大学前へ。暗い街中をのんびり揺られて終点に。写真は折り返しで発車を待つ電車。

ホテル近くの電停「新富町」まで戻り、今日の汽車旅は無事に終了しました。ローソンでヱビスビールを買い、ホテルでシャワーを浴びたあと一人祝宴。そのまま朝まで熟睡でした。

投稿者 うえの : 22:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月27日

【18きっぷ】神岡鉄道を訪ねて<§1:北陸本線>

7月25日(月)、くもり

青春18きっぷを使って富山へ出かけてきました。
主眼は廃止が決まった神岡鉄道です。米原から時系列で旅の様子を書いていきます。
早朝の仕事を終え、昼からのんびりと出かけます。東海道本線の各駅停車で京都を出発し、米原から北陸本線の各駅停車に乗り換えます。

419系@米原

米原15:02発の福井行きは、寝台特急として活躍した月光型の愛称を持つ583系を普通電車用に改造した419系電車(クハ419−5:3両編成)でした。国鉄末期に改造された車で、お仲間が東北と九州にもいたのですが両地区の改造車は淘汰されてしまいました。今は北陸本線のその形態から俗に「食パン電車」などと称されています。

419系車内

もともと特急電車として使われていたため、座席幅は余裕があり背ずりにはやや傾斜が持たせてあります。
座面、腰のあたりとも少々硬いので座り心地は見た目ほどよくありません。また、向かい合う座席間隔にも余裕があるため、短足人間は前席のざぶとんに足を載せて寛ぐのがややしんどいかもしれません。
ロングシート部を除いた客席上部には当時使われていたベッドが残されています。むろん固定されていて使用することはできません。

419系@敦賀敦賀駅で小休止。特別急行「サンダーバード」を先に通すのに10分以上も止まります。
売店でキリン一番搾りを買ってわしも休憩。とはいうもののすでに米原駅でヱビスビールを飲んでいます。旅に出るとつい飲んでしまうのは悪い癖です。が、台風7号の影響により飲まざるを得ないほど蒸し暑い。
敦賀は福井県の西の入り口となる駅です。平成18年秋に滋賀県内の湖西線・北陸本線の交流部分が敦賀駅まで直流化されることになっていて、京阪神方面からの新快速電車乗り入れに期待が寄せられています。

高架となった福井駅

終点の福井駅今年4月18日に高架開業したばかりです。上部が雪対策のためか屋根に覆われていますので、地平駅だった頃に比べて暗い感じがします。雰囲気としては先に高架化された金沢駅とよく似ています。違う駅同士だという明確な差別化があっても良いのではないでしょうか。

412系

福井から金沢までは急行電車を近郊区間用に改造した413系電車(クハ412−9:3両編成)に乗ります。
比較的車両の手入れがよく塗装が綺麗です。新しくなった福井駅から気持ちよく乗車できました。デッキがないわりに車内騒音が少なく、乗り心地も悪くありません。北陸本線の各駅停車は古い車ばかりかと思っていましたが、少し認識が改まりました。

455系@富山

金沢から富山までは475系電車(クハ455−18:6両編成)に乗ります。先頭の制御車は455系式です。
金沢まで乗ってきた413系電車とは違い、デッキがついています。客室の端はそれぞれ1区画がロングシート化されていますが、他は固定クロスシートのままで、ほぼ当時の急行電車の姿です。前照灯も大きな古い型です。
過去の思い出に浸りたいところですが、意外に車内の騒音が耳につきます。さきほどの電車が静かだったため余計にそう感じるのかも知れません。座席の座りごこちは413系、475系とも直角シートながら、やや傾斜がついた419系に比べて疲れにくいものでした。
19:32に富山駅着。今夜は駅前のホテルに泊まり明日の神岡鉄道に備えます。

投稿者 うえの : 20:14 | コメント (0) | トラックバック