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2005年12月31日
大晦日
今年の大晦日は例年になく「大晦日らしくない」1日を過ごしています。
3が日を含めて普段通り仕事だからかも知れません。勿論、大掃除も
せず終い(これは私が多忙だからではなく、ただズボラなだけです)。
しかし以前もちょっとお話しましたが私自身、盆正月・GWなど普段の
街・人々の生活パターンがコロッと変わるのを見ると何故か精神的に
「しんどくなる」ものがあり、この暮れ〜正月に仕事を入れたのも
「年末年始ブルー」を乗り切るためだったりします。
そういえば私の尊敬する一休さん(一休宗純禅師)が元旦早々、髑髏
を付けた杖を持って「ご用心!」と街を歩いたのはどういう意味だった
のでしょうか・・・。
私だけでなく、正月休みに入った途端、体調を崩してしまったという方も
おられるようで、帰省ラッシュも始まり、そしてインフルエンザも流行が始
まっていますので皆様、お身体に気をつけてよいお年をお迎え下さい。
では今から仕事に行ってきます(年内には帰宅予定^^;;)。
投稿者 road88 : 2005年12月31日 15:47
コメント
あけましておめでとうこざいます。
元旦に一休禅師がドクロを杖に載せて歩いたというのは、自分の一生が死へ一年近づいたというのに、何をめでたく喜ぶのだという、戒めだったと覚えております。
確かに、人の一生という物は、一つのみであり、二生では無いというのが、私の持論でもあります。
一才の子は1/1の一生、百歳の年寄りは100/100の一生。どうあがいても、通分すると1/1になるという観念です。
さて、私(36/36)の今年相当分は36/1です。さてどうなるやら、楽しみでもあり、不安でもあります。
追伸:そう考えると子供の一年は長いはずだなあ。ガキンチョの頃、遊んでも遊んでも、日が暮れなかった気がする。
では、良いお年をお迎えくださいませ。
敬具
投稿者 MO太 : 2006年01月01日 00:15
MO太さま。
こちらこそ今年も宜しくお願い申し上げます。
時間って確かに1秒、1分、1時間、1日、そして1年と規則正しく
刻まれていきますが、人間の観念的(といったら良いのでしょうか)
な時間は歳を取るごとに短くなっていくような気がします。
子供の頃の「1年」は確かに長かったなぁ、そして最近は「1年」が
短く感じるなぁ、と私も最近強く感じている次第(^^;
一休さんの「髑髏(されこうべ)を付けた杖」のお話、「正月は自らの
死が一歩近付いた事を意味するのだ」の他、仏教界の重鎮である
松原泰道先生の本によると髑髏は皮や肉を全て取り払った姿、
皆この髑髏になれ。すなわち外見や執着を捨てて般若心経でいう
「空」になれ、と一休さん訴えたかったのではないかと書かれてい
ました(参考:一休さんの幸福論 講談社)
年始からちょっと固い話で申し訳ないです(^^;
投稿者 たぐちひろき : 2006年01月02日 00:20
こんばんは。
今日は通常通りの公休日でしたので、切れてしまったプリンターインクを買いがてら、梅田まで出かけてまいりました。
ついでにハービスホールでやっている「南極展」入り口脇の箱に年賀葉書を出してきました。しらせで運んで昭和基地の郵便局の消印を打って配達してくれるそうですが、配達が来年の4月頃・・・。
冗談のきく友達しか出せんなぁ。一応、今年の暑中見舞いと来年の新年の挨拶も書いときましたが・・・。
一応正月の雰囲気のカケラだけでも頂いてまいりました。
追伸:なるほど一休禅師の髑髏の杖には、見栄や虚栄心を捨て、素の心にて生きよとの教えもあるのですね。勉強になりました。
敬具
投稿者 MO太 : 2006年01月02日 22:10
いちおう書いておきます。
正月や
冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
投稿者 うえの : 2006年01月03日 09:51