2006年10月05日

【列車】419系(食パン)

クモハ419@近江塩津

滋賀県内の交流区間が直流化され、やがて新しい電車へ置き換えとなる419系、通称食パン電車です。
国鉄時代末期に寝台特急電車の581系から改造された近郊型車両です。
(2000年12月)

ベッド

まだ車内には使用不可ではあるもののベッドの設備が残っています。
(2000年12月)

栓抜き

瓶ジュースや瓶ビールのための栓抜きも残っていました。
(2000年12月)

クモハ419@近江塩津

直流化間近な頃の近江塩津駅に入線する食パン電車です。
いつもは閑散とした駅なのにお名残乗車の人たちでいっぱいでした。
(2006年9月)

419系@米原

直流化間近の今年9/23、米原駅にて。
(2006年9月)

419系の運転台419系の運転席です。中身は雑然としています。現代の車は機器類が綺麗にまとめられてるため、そうした運転台を見慣れた目にはやはり時代を感じます。
(2006年9月)

419系は元々は特急車両であったがために近郊型としての座席定員がありません。年に数回北陸方面へ青春18きっぷでのんびり旅をする時には旅行気分に浸れる電車でしたが、毎日通勤で使用する人にとっては楽しくない車両だったことでしょう。出入り口は狭くて乗り降りには時間がかかります。長所が少ない近郊型電車だと思いますが空いてさえいればゆったりした座席は比較的快適です。

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2006年10月02日

【列車】続・急行くずりゅう

くずりゅう

銀塩で撮った「くずりゅう」の写真が仕上がりました。
そのうちの二枚を掲載致します。まずはクハ455−18。

くずりゅうのサボ

サボ。

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2006年09月23日

【列車】急行くずりゅう

急行くずりゅうA16編成今夜遅くから明日未明にかけて北陸本線敦賀〜長浜間と湖西線の近江塩津〜永原間が直流化されます。それに因んで往年の急行「くずりゅう」が1往復臨時で運転されました。米原駅まで11:10着の上り「くずりゅう」を見に行ってきました。
強烈な人出というほどではありませんが、それでも結構な賑わいです。
この写真は米原方A16編成クハ455−18で小型のヘッドマーク仕様となっています。

急行くずりゅうA19編成そしてこちらは金沢方でヘッドマークは大型のものが付いています(A19編成クモハ475−46)。
乗り場から落ちんばかりに撮影している人もいてやはり少々危ない。ロケーションの選定に自信がある人なら沿線から撮影した方が(場所にもよりますが)安全です。
列車が車庫に引き上げたあとも乗り場はたくさん人が残っています。12:06発の下りまで粘るのでしょう。

子供の頃、東海道本線以外にはあまり縁がなかったわしにとって米原駅でたまに見かける急行「くずりゅう」はなんとなく乗ってみたい列車でした。見慣れた湘南色の急行とは違う交直急行色の電車は、色あいだけで特別な存在でした。ゆえに当時まだ走っていた博多〜熊本間の急行「玄海」に京都から大垣という短区間でも乗れたときはとても嬉しかったです。
直流化が終わるとこの色の475系は敦賀以北での運用となるのでしょう。車自体、結構なお歳ですし、乗れるうちにというわけで今度の冬は18きっぷで北陸の普通電車でも巡ってみますか・・・。

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2006年03月16日

【愛知】名古屋鉄道瀬戸線

お堀電車

某月某日。といっても正確には昭和51年2月15日のこと。
名鉄瀬戸線堀川駅にて土居下−堀川間廃止に因むお別れ電車を撮影しました。

前身が瀬戸電気鉄道という会社であることから瀬戸電とも呼ばれます。名古屋城の外堀を走る面白い路線です。本町というところには狭い橋の下を抜けるために複線の線路を互い違いに敷いて幅を縮めるガントレットという軌道も珍しい特徴の一つでした。最期の日は天気にあまり恵まれませんでしたが、それでもたくさんの人が乗り納めに来ていました。当時、お別れの記録といえば写真と音声だけの録音が主流です。大きいオープンリールのデッキをかついで走行音を録音している人も何人かいました。今はDVDなどが普及して絵も音も出ますが、音だけの記録も想像力や旅情が掻きたてられてなかなか良いものです。

当初の画像は左右が逆になっていました。お詫びして訂正いたします。(2006年3月31日訂正)

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2006年03月07日

【列車】100系X編成

100系X編成某月某日。新しく製造された100系新幹線が営業運転を前にお披露目の試乗会が行なわれた日、新聞に載っていた大まかな運転ダイヤをヒントに単車を飛ばして撮影に出かけました。写真はもちろんX0編成(当時)です。0系の丸っこい顔つきに慣れていたので尖った顔つきは斬新であると同時に少し違和感もありました。座席は普通車といえどもこれまでの一等車並みの広さを持ち、新幹線としては初めてとなる二階建ての車両を連結。他にグリーン車には個室を備えるという豪華さでした。

X編成食堂車食堂車の168−9001です。高速化の波に乗れずに廃車となったX編成ですが、この車は浜松工場に保存されているそうです。車体横にはNew Shinkansenの頭文字NとSを図案化したロゴがあります。二階建て車両についたこのロゴは階段状に見えるため一般には「二階建て」を表すとされていたようです。100系のG編成は一部短編成化されて山陽区間の「こだま」で今も活躍中です。

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2006年03月01日

【福井】京福電鉄福井駅

京福電鉄福井駅

某月某日。京福電鉄福井駅にて。
車両は元・阪神3301形から作った2204。
方向幕に見える「東古市」とは今の「永平寺口」のことです。

京福電鉄は2000年から2001年にかけてのほぼ半年間に2度も正面衝突事故を起こして事業停止となりました。2003年に第三セクターえちぜん鉄道としてからくも復活となりましたが永平寺線は廃止されました。
なお写真の2204と同じ系列の2201が2001年の正面衝突事故に遭い廃車となっています。

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2006年02月28日

【長野】信越本線軽井沢駅

軽井沢駅

某月某日。信越本線軽井沢駅にてEF63を連結する特急「あさま」上野行き。

信越本線の軽井沢〜横川間には碓氷峠という在来線区間では最も急な66.7‰の勾配がありました。列車が安全に峠を上下するには強力な装備を持つ電気機関車EF63の力を借りなければなりません。機関車の連結・切り離しの作業のため忙しい現代にあっても軽井沢、横川では特急電車といえども何分か停車していました。横川ではおぎのやの「峠の釜めし」がよく売れました。
1997年にの急勾配区間は廃止され、代わりに北陸新幹線が輸送の任についています。

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2006年02月27日

【岐阜】名古屋鉄道美濃町線新関駅

名鉄新関駅某月某日。名鉄美濃町線新関駅にて。
美濃町線は昨年の春に廃止された名鉄の軽便な線区のひとつです。写真の新関駅と美濃駅間はそれより前、1999年に廃止されています。
小さな駅で小さな電車が来るのを楽しみに待つこの子の胸に名鉄の赤い電車が楽しい思い出となって残っていますように。

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2006年02月17日

【青森】下北交通大畑線

下北交通大畑線田名部駅にて

某月某日。下北交通大畑線田名部駅にて。

元・国鉄大畑線。国鉄民営化に際して下北交通が引き取って運転を続ける。写真のキハ85−2は国鉄のキハ22−150を手直ししたものだそうです。2001年3月31日を持って運転終了、廃止。
日本エアシステム(当時)の機長さんらが中心となって出来たNPO法人が大畑線キハ85動態保存会を主催して気動車、列車施設の保存に努めていらっしゃいます。

【1990年3月10日改正の列車時刻(日本交通公社版時刻表1990年3月号参照)】
1D 下北 642 → 田名部 649 → 大畑 712
0D 大畑 610 → 田名部 634 → 下北 640
19D 下北 2030 → 田名部 2037 → 大畑 2100
18D 大畑 1955 → 田名部 2019 → 下北 2025
下北〜大畑 営業キロ 18.0km 運賃 350円(同キロ程の地方交通線運賃は当時310円)
2001年廃止

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2006年02月16日

【京都】京都駅山陰のりば

急行丹後

某月某日。京都駅山陰本線の乗り場から発車する急行丹後。

民営化後間もない頃、駅ビルが出来る前の時代です。山陰のりばは国鉄の頃と比べて機関車の機回し線が撤去され、乗り場にはアスファルトが敷かれるなど少し改装されています。関空特急はるかもまだない頃でした。
京都駅では比較的遅くまでグリーン車を組み込んだ国鉄色のキハ28・58系急行編成を見ることが出来ました。

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2006年02月15日

【京都】京阪電鉄京津線

京津電車80系(95)某月某日。京阪京津線の80系電車。三条駅にて。
京都市営地下鉄東西線開通に伴い、1997年に三条〜御陵間の併用軌道部分などは廃止となりました。

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2006年02月14日

【福岡】筑豊本線/桂川−原田

筑豊本線・桂川−原田

某月某日。筑豊本線桂川〜原田間にて。
現在、客車列車による運転は行なわれていない。

【1990年3月10日改正の列車時刻(日本交通公社版時刻表1990年3月号参照)】
2837レ(直方から2839レ) 門司港 1413 → 直方 1537 → 桂川 1618 → 原田 1647
若松〜原田 営業キロ 66.1km 運賃 1260円(同キロ程の九州内地方交通線運賃は現在1430円)
桂川〜原田 営業キロ 20.8km 運賃 390円(同キロ程の九州内地方交通線運賃は現在450円)

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2006年02月11日

【兵庫】鍛冶屋線鍛冶屋駅

鍛冶屋線鍛冶屋駅

某月某日。鍛冶屋線鍛冶屋駅にて。

【1972年3月15日改正の列車時刻(日本交通公社版時刻表1972年4月号参照)】
721D 西脇 551 → 鍛冶屋 613
758D 鍛冶屋 2156 → 西脇 2217
野村〜鍛冶屋 営業キロ 13.2km 運賃 60円
1990年廃止

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2006年02月08日

【岡山】同和鉱業片上鉄道片上駅

同和鉱業片上鉄道片上駅構内

某月某日。同和鉱業片上鉄道片上駅構内にて。

【1977年6月2日現在の列車時刻(日本交通公社版時刻表1977年7月号参照)】
片上 600 → 柵原 728  柵原 1634 → 片上 1757
片上〜柵原 営業キロ 33.8km 運賃 350円(同キロ程の国鉄運賃は当時270円)
1991年廃止

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2005年12月06日

【車両】117系近郊型電車

JNR117系100番台

117系近郊型電車(写真は窓が広い100番台の車です)。
昭和54年に登場以来、長らく新快速電車として東海道・山陽区間や東海地区を疾駆しました。
登場当初は全席転換式クロスシート(一部固定)で、それまで新快速用として使われていた153系や165系の直角シートよりも豪華ないでたちでした。今でこそ普通の電車でさえ特急並の座席がついていますが、1等車やグリーン車ならともかく特別料金が不要な快速や普通の電車(三等車)が進行方向にあわせて座席の転換を可能にするとは昔の国鉄では考えられなかったことです。しかし京阪間では、京阪電車阪急電車がさらに豪華な無料特急をとっくの昔から走らせていた訳で、遅すぎた改善でした。所要時間では国鉄が圧倒的に短かったのですが、運賃はほぼ2倍だったので京阪阪急で用事が済むのならなるべく乗らないようにしていた人が多かったです。現在は滋賀県内沿線の人口が増えたこともあって新快速は大盛況となっています。国鉄の頃に比べると隔世の感があります。

JRW117系 JRW117系100番台

民営化後の117系です。オリジナルの色で残っている編成もあれば、すっかり塗り替えられてしまったものもあります。上の2枚の写真はいずれも登場当時のままの色です。左側は初期型で、窓が二段になっています。右側はこの撮影位置からは判然としませんが、一段下降式窓に変更された100番台(クハ116−101)の先頭車です。

JRC117系 JRW117系8連

写真左は東海旅客鉄道の117系電車です。当初は関西圏と同じ色でしたが、民営化して後にこのような色に変更されました。写真右は福知山線用に色が変更された西日本旅客鉄道の117系電車です。ラッシュ時の乗り降りを考え、乗降扉付近はロングシート化されています。一部編成の組替えが行なわれていて、この列車はクハ116−304以下8連の固定編成です。

JRW117系紀勢西線 115系3500番台

写真左は紀勢西線の117系です。165系が去った後にやってきました。写真右は115系となった117系です。117系に代わって221系が新快速として活躍を始めたあと、余剰となった117系車両は岡山へ転出する際115系3500番台として中間車化されました。色も湘南色となって山陽路で活躍しています。

国鉄165系新快速 221系新快速

ついでですので、過去の新快速電車を2枚。左が急行「鷲羽」廃止で新快速運用に就いた165系。低い窓の153系も現役でしたが、あまりカメラを持たない少年だったため残っているのは当時撮った新快速の写真はこれだけです。右の写真は登場後間もない221系。山科駅に入るところです。颯爽と登場した221系ですが、すぐに223系に主役の座を奪われ、急行に使われた経験さえあるのに今では快速・普通電車として長い余生を送っています。

投稿者 うえの : 20:25 | コメント (2) | トラックバック

2005年12月01日

【京都】京都市電1829号

廃止されて長年の月日が流れた京都市電。線路はなくなりましたが、今でも路面電車として走っている車両もあれば、施設として有効利用されているものもあります。せっかく解体を免れて保存はされたものの、管理上の事情からうち捨てられて朽ちていく哀れな車両もある中で、比較的良好に使われている市電の車体をご紹介します。
この京都市電1800形が置かれているのは京都市伏見区の柴田屋敷町にある公園内です(近鉄伏見駅下車すぐ)。同町自治会の集会所として使われていて、内外ともに程度は良好です。

京都市電1829(1) 京都市電1829(2)

車体前後の様子。西向き正面(画像左)は行き先表示の部分が埋められています。ヘッドライトに挟まれて残っている板は「ワンマンカー」表示のためのもの。東向き正面(画像右)はかなり原型に近い状態と思われます。

京都市電1829横顔 京都市電1829車体番号

横顔を一枚(画像左)。車体側面に残る市交通局の紋章と車体番号(画像右)。綺麗にペンキが塗られています。

京都市電1829台車 京都市電1829コントローラー

台車(画像左)の状態もなかなかのものです。車内には入れないため窓越しにコントローラー部分を撮りました(画像右)。木の内装がどこか温かみを感じさせます。

京都市電1829俯瞰

車体を俯瞰で見てみます。集電用のビューゲルは撤去されています。ヘッドライトの片目が外れてしまっているのが可哀想です。割れてはいないので修理は比較的容易と思われます。

■参考サイト
▼京都市電の廃線跡を探る

投稿者 うえの : 12:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月30日

【列車】特急「白鳥」

気の向くまま、思い出の列車を登場させていきます。始めは大阪と青森の間を走った特急白鳥号です。2001年3月2日を最後に廃止されました。いつも眺めるだけで結局一度も乗ることがなかった電車特急です。

国鉄時代の白鳥号 白鳥485系A02編成金沢寄り先頭車

写真左側は国鉄時代の白鳥号です。右側は廃止間近な頃のA02編成。いずれも非ボンネット型です。特急白鳥はボンネット型でなければという方が結構多いように思いますが、本来はこの型(月光型のタイプ)で走っていたと思います。両画像とも京都駅にて撮影。

白鳥485系A02編成大阪寄り先頭車 白鳥485系A04編成金沢寄り先頭車

写真左側はA02編成大阪側の先頭車で、貫通式扉がついています(撮影:山科駅)。右側はA04編成で、運転最終日に「さよなら」ヘッドマークを取り付けたボンネット車です(撮影:京都駅)。

白鳥485系A05編成大阪寄り先頭車 白鳥485系A07編成金沢寄り先頭車

左側はA05編成です。北陸と関西を往復する間に巻き上げた雪が解けきらないままボディにくっついています。右側はA07編成です。いずれもスカート部の大きい切り欠きが特徴です。共に撮影は京都駅です。

白鳥485系A09編成金沢寄り先頭車

このA09編成は白鳥号に用いられているボンネット型の車で、一番原型のボンネット車に近いのではないかと言われていました。確かにそんな感じもしますね。以下に不鮮明ながら国鉄時代の485系雷鳥号の画像をあげておきますので、比較してみてください。

国鉄時代の485系雷鳥号

赤いスカートにクリーム色の帯が入っていた頃の485系。1970年代中頃に向日町〜神足間で撮影しました。

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