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2006年08月31日

【東海】来夏、東海道区間から500系が引退

いつかは引退の時が来るとは思っていましたが、こんなに早いとは残念です。もっとも山陽区間では走りつづけるので、全く姿が見られなくなる訳ではありません。引退というより登場当時の原点に戻ったというべきか。
穏やかな顔つきの0系から100系、300系と進化して、まさに超特急に相応しい容姿と実力を持って生まれた500系は見ても乗っても楽しい列車のひとつです。
下の読売新聞オンライン版の記事には窓際席の居住性云々とありますが、品川、新横浜とうじゃうじゃ乗ってずらりと立っている乗客の居住性はいかがなのでしょうなどと小言の一つも言いたくなりますな。

読売新聞オンライン版の記事から。

世界最速は居住性不評、500系「東海道」から引退へ


世界最速300キロを誇る東海道・山陽新幹線の500系が、来夏の新型車両N700系の投入を境に東海道区間から引退する。
1997年のデビュー以来、「高速化追求のあまり、居住性を犠牲にした」と批判され続けてきた。今、新幹線には快適性も強く求められ、技術の粋を集めた名車も、時代に逆らえなくなった。
15メートルもある飛行機のような先頭形状、ウナギのようなかつてない斬新な車体が話題になった。97年8月、「世界最速の列車」としてギネスブックに載った。
スマートな先頭の形を維持するため、最前、最後部の乗降扉を犠牲にした。丸い断面の車体は「窓際席で圧迫感を感じる」と、不評を買った。
N700系の車体傾斜システムで可能になる東海道区間の曲線270キロ通過に対応できないのも、引退を強いられる理由の一つだ。
JR西日本は07年度末までにN700系を8編成製造し、順次、9編成保有する500系と交代させる。
JR西日本が用意する「第二の人生」は、「300キロひかり」構想で、8両編成の「ひかりレールスター」並みに短くして使う案が浮上している。
(2006年8月31日14時51分  読売新聞)

以下はわしの寝言です。
山陽区間で「ひかり」運用に就くのであれば、いっそのこと新大阪と小倉または博多の間を無停車で走り切るダイヤを組んでみてはどうでしょう。走る時間帯にもよりますが、もし新大阪と博多をノンストップで走れば1時間55分〜2時間丁度くらいで結べるでしょう。ならば航空機を利用する乗客を奪える可能性が大きいです。あちこちに急行よろしく停車する名ばかりの「のぞみ」が増え、同時に区間急行と化した「東海道ひかり」などとは一味違った「山陽ひかり」として再起して欲しいです。
グリーン車は編成組替えの際に外されるのでしょうか。半室開放席、半室個室という改造でもして1両くらいは残して欲しいところ。「のぞみ」から締め出されているジャパンレールパスジパング倶楽部、フルムーン夫婦グリーンパス、ナイスミディパスなど割引運賃でお得という売り言葉に釣られた乗客救済のためにも。

投稿者 うえの : 17:41 | コメント (2) | トラックバック

2006年08月26日

【滋賀】湖西線〜北陸本線

滋賀県の琵琶湖北側を北陸本線と湖西線が弧を描くように走っています。この二つの幹線は近江塩津駅でつながっています。しかし線路はつながっていても両線は電気方式が直流と交流とに分かれており、直流の湖西線内の駅から交流の北陸本線近江塩津駅を経由して湖北地方の木ノ本や長浜方面へ直通電車を走らせるのは難しい状態でした。このため湖西線と北陸本線の交流部分を直流化して琵琶湖環状線を実現しようとの運動が続けられ、その結果ようやく永原〜近江塩津間(湖西線)と虎姫〜敦賀間(北陸本線)の直流化工事が完了するに至りました。この9月23〜24日の夜間に切替工事が行なわれます。
現在、交流から直流に変わる(またはその逆の)区間では電車が走りながら電流を切り替えています。この区間には電気が流れていないダミーの架線が張ってあり、その架線下で電車の機器を直流または交流仕様に切り替えるわけです。古い電車だと切り替え区間内を走行中は非常灯を除く車内の照明やエアコンは切れてしまい、夜間だと停電したようになります。この切り替え区間は交直セクションまたはデッドセクション(死電区間)と呼ばれ、その区間がこの狭い地域内で二箇所も集中しています。これほどの密度は日本国内では稀です。
うまい具合に日にわずか何本かの電車が湖西線の近江今津から北陸本線の長浜までこれらの区間を跨いで走っていますので一挙に二つの交直セクションを味わうことができます。今日は乗り納めとしてそのうちの一本、近江今津発14:47の電車に乗ってみました。
国鉄の581系という寝台昼行兼用特急電車を近郊用に改造した419系を期待して湖西線を北上しましたが、乗り継いだ近江今津で待っていたのは475系電車でした。419系は寝台車特有の高い丸屋根をそのまま残しているためその断面形状から食パン電車と呼ばれています。長距離を坐臥して過ごすための車ゆえ通勤用としては快適ではない居住性です。しかしながらまったりとした雰囲気は捨てがたい。特急用としては不評を買った向かい合わせのボックス席は登場した昭和40年代の水準で考えると破格のゆったり仕様であったと思います。
475系は元は急行に使われていた車で、普通電車用に格下げとなって車端部は通勤時間帯のことを考えてロングシート化されています。大部分のボックス席はそのまま残り、国鉄時代の汽車旅の姿を今に伝えています。一部の編成は国鉄時代のピンクとクリームのツートンカラーに戻って元気に働いています。419系、475系のどちらも交直両用なのでここでは便利に使われていますが、直流化後は別の系列の電車に役目を譲ることになっています。よって今日は交直セクションの見納めだけでなくこれら国鉄時代の遺産に乗り納めという小旅行にもなります。
この路線にしては少し多いかなという乗客数で近江今津を定刻に発車します。田園風景が広がる中、近江中庄、マキノと停まり、国道161号線を右手に見ながらトンネルを越えると永原駅です。駅を出てしばらくすると右側に琵琶湖が見えのどかな風景が広がります。よく晴れた空の下にぽっかりと浮かぶように見える琵琶湖の姿が小さな入り江の漁村のようで思わず降りて散歩したくなるような雰囲気です。電車はやがて小さな鉄橋を渡り最初の交直セクションに入ります。蛍光灯がぱらぱらと消え、エアコンが止まり、モーターの唸る音がやや小さくなります。ものの十数秒ていどで照明などが復活すると交流区間に入ったことがわかります。電車は徐々に速度を落とし、右側から北陸本線が寄り添ってくると近江塩津駅の構内です。
5分ほど停車して向きを変え、右へ別れ行く高架の湖西線を横目に交流の北陸本線にゆっくりポイントを踏んで分け入ります。
近江塩津を出るとしばらくは山肌を行くトンネル路線で、木々の間を走って平地に下り余呉湖を車窓右手にみると余呉に停車します。余呉を含めて長浜までの各駅は直流化工事に合わせて改修が進み、乗り場は雑然としています。いつぞやまではあった古い駅舎の面影は徐々に消えています。しかしこれら新しくなった駅も時を重ねてやがては良い味を出す日が来るのでしょう。
余呉から虎姫のあたりまでは車窓左手に田園が広がり、東北かどこかで見たような景色となります。遠くに見える伊吹山は山肌が少し削れているようで、この山は疵を隠してくれる雪が積もる冬に眺めるのが一番よいと思います。さすがは元急行用電車だけあってモーターの音も快調に飛ばして行きます。細かい部分を見ればさすがに約30年以上走りつづけた車齢相応の草臥れ具合ながら、さほど乗り心地は悪くなくこのままどこまでも乗っていきたい気分になってきます。
木ノ本あたりからはだんだんと乗客が増え、やはり駅舎や乗り場に手が加えられている高月、河毛と過ぎて虎姫に着きます。虎姫駅はプロ野球セ・リーグの阪神タイガースが優勝したおりには「虎」に因んだ入場券を売り出して好評を得ました。駅を発車すると線路に並行する住宅地を左手に眺めほどなく二つ目の交直セクションです。ここを過ぎると再び直流区間に入ります。二度目はそのままあっさりやり過ごしたという感じで、何のために乗ったのか分からない。間もなく乗り納めなのだから少しくらいは感動してもよさそうなものです。
車窓が雑然としてくるともう終点の長浜駅構内です。長浜駅も改修中です。これまで北陸本線の折り返し便は新快速が発着するのと同一の島式乗り場に新快速と隣り合わせで停まっていましたが、今は乗り場の北側に切り欠きが設けられて3番線となったところに北陸本線緩行が停まります。この位置には跨線橋の階段があり、時間帯によっては橋を渡る乗降客と列車の乗降客がぶつかり合って混雑します。乗り換えに余裕がない場合は要注意です。
長浜には着いたもののとくになにか当てがある訳でなし。商店街や観光に力を入れている黒壁などを適当に徘徊し、ふらりと入った店で不味いラーメンを食べて帰路に就きました。
帰りの新快速では京都までほとんど寝て過ごしました。

投稿者 うえの : 20:21 | コメント (0) | トラックバック