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2006年03月31日

【京都】向日町運転所

向日町運転所にて(1)京阪神には京都の向日町と大阪の宮原に比較的大きい車両基地があります。
向日町の運転所は子供の頃、足繁く通いました。当時は車両基地は開放的で立ち入り禁止の柵などは設けられていません。もちろん勝手に立ち入ることはしてはいけませんがガキの鉄道ファンはこっそり入り込んでお目当ての特急列車などをよく撮影していたものです。
事務所へ構内立ち入りの許可をもらいに毎回出向いても「危ないから」という理由で断られました。それでも子供ゆえ列車の誘惑には勝てずに入り込んで撮影してしまいます。職員に見つかっても特にとがめられるわけでもなく、今では考えられないほどのんびりしたものでした。苦々しくは思われていたのでしょうけれど・・・。

向日町運転所にて(2)いずれも古い写真なので色が変なのはご容赦ください。
夜を徹して山陽路を上ってきた581系の寝台特急(たぶん明星号です)や、当時新鋭車両だった24系寝台客車、そして485系がいずれもぴかぴかの車体で休んでいます。

向日町運転所にて(3)581系の揃い踏み。その横には中間車が留置されています。

向日町運転所にて(4)どこへ移動しても581系がいます。当時は大きい勢力を持っていたことがよく分かります。
隣の郵便車はスユ37。

向日町運転所にて(5)今はなき485系の食堂車。整備のため事業用車に牽かれてゆっくり移動しています。右端はタイフォンがスカートについている初期型のクハ481。

向日町運転所にて(6)こげ茶色の国電型事業用車。型式はよく分かりません。旧型客車も当たり前に存在しています。幹線ではさすがに12系などが主力でしたが急行列車の一部や地方路線ではまだたくさん見られました。
今から30年以上も前のお話です。

投稿者 うえの : 21:15 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月24日

【車両】旧型客車

和田岬支線の旧型客車写真は山陽本線の枝線、和田岬支線のオハ64という客車です。兵庫から和田岬までの短い区間をDE10型というディーゼル機関車に前後を挟まれて朝夕の通勤ラッシュ時に運転されていました。通勤客を可能な限り多く詰め込むべく座席はほとんど取り払われています。はっきりいってただの箱だけになっている珍しい作りの客車です。こういう路線で走っていたからこのような客車でも珍重されましたが、座席収納型の山手線電車のごとく仮に首都圏で走らせたらどのような批判が寄せられることやら。のちに気動車に置き換えられ、今は電車が後を継いでいます。
昭和時代の後半に入っても長めとなる区間にはこのような客車が走っていました。茶色や青色の車体が多く、青い車体色の新しい客車と対比して旧型客車と呼ばれています。最高速度は時速90キロ程度と大して出ない。木で出来た内装が多く、暖か味があります。どんな形式かはよく知りませんが、たまたま入ったトイレはタイルが貼られていて家庭の延長みたいな居住空間を持つ車もありました。
新幹線が勢力を拡大する前は東海道本線や山陽本線でさえ客車急行が多く、とりわけ夜行列車はほとんどが客車でした。さすがに昭和の後半に入ると旧型客車の急行はなくなりましたが、それでも14系などの客車列車はいくらか残っていたものです。
子供の頃はEF58かDD51が旧型客車を牽引するのは当たり前の風景で、むしろ颯爽な姿で目に飛び込んでくる「こだま型」の特急や交直両用のクリーム+桃色の電車ばかり追いかけていたものです。おっさんになってみればそんな新型電車よりも平凡で取り立てて特徴もないようなおんぼろの客車のほうがなんとなく懐かしくなってどことなく妙な気分です。当時格好良かった特急電車は今でもどこかで見ることが出来るからでしょうか。毛嫌いせずにもっと旧型客車の写真を撮っておけば良かった。
急行とはいえ速度が遅い旧型客車の列車には何度も乗りましたが、のんびり走るぶん「まったり」した汽車旅でした。足が遅くとも停車駅は少なかったので時間がかかりすぎるというものでもなし。空調機器やエンジン、モーターを積んでいないから車内は静かです。
以下、蛇足ながら五月蝿い音が少ない旅は今は貴重ですね。などと書くと旧型客車の旅は良いことが多かった気になりますが、昔は車内に残されたゴミが今と比べ物にならないほど多かったように思います。長距離急行の車内には弁当の食べがらやみかんの皮がいくつも落ちていたものです。全ての列車がそうだったとは申しませんが、ゴミに関しては今の列車のほうが大変清潔で快適です。

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2006年03月20日

【静岡】出雲で窃盗犯

静岡新聞オンライン版から抄録。

引退「出雲」のプレート外す 男を厳重注意 静岡駅


惜しまれつつ引退した東京と山陰を結ぶブルートレイン「出雲」の号車番号のプレートを鉄道マニアの30代の男が最終運行日の17日、停車した静岡駅で持ち去ろうとしていたことが18日までに分かった。県警鉄道警察隊は男を事情聴取し、厳重注意した。
同隊やJR東海静岡支社などによると、「出雲」が17日午後11時40分すぎに静岡駅を出発する直前、4号車付近で男が号車番号の記されたプレートを取り外した後、持ち去ろうとしたという。男は取り押さえられ、同隊に引き渡された。
(中略)
17日には静岡駅でも50人以上のファンが集まり、写真を撮るなどしていたという。惜別のムードを壊す男の行為にファンから憤りの声も上がった。

こういう馬鹿は時代を超えて必ず現れる。30代にもなってやることですかね。プレートをすでに外して持ち去ろうとしていたのですから窃盗の罪は成立しているのではないのでしょうか。列車の遅れにもつながりかねない事件ですし、しばらくは然るべきところにお泊りいただいたほうがよいと思います。コンビニで仮にガム一個でも盗んだらただでは済まないでしょう。厳重注意だけでお解き放ちとはちょっと釈然としない警察の対応です。ひょっとしたら名前を出すのもマズいお偉い方だったのかな。

投稿者 うえの : 21:25 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月19日

【北海道】函館本線張碓駅

昨日からダイヤが改正されています。これに伴う寝台特急「出雲」の廃止や東京駅口からの113系引退などのニュースが多く伝えられましたが、そのかげでひっそりと消えていった駅がいくつかあるようです。そのうちの一つ、函館本線の張碓駅のことが北海道新聞でとりあげられていました。何度か乗ったことがある区間なのに冬に旅することが多かったせいかこの駅に止まる列車には一度も乗ったことがありません。
海に近い駅といえば同じ北海道では釧網本線の北浜駅、他に信越本線青海川駅、鶴見線海芝浦駅などが有名です。しかしいずれも海と断崖に挟まれるような場所ではなく、この張碓駅はその点では変り種だったようです。
北海道のローカル駅には車掌車を流用した駅舎(といえるかどうか)が多く、一方で大きい駅は近代的なコンクリートで出来たものが主流の今、木造の駅舎というだけで人の手の温かさを感じます。
以下、北海道新聞オンライン版の記事からの抄録です。

消える「秘境」張碓駅 ダイヤ改正で廃止、ファンから惜しむ声も

2006/03/18 09:09


函館線の朝里−銭函間にある張碓駅が、十八日のダイヤ改正に合わせて廃止され、百一年の歴史に幕を下ろした。列車が止まらないうえ、日本海と断崖に挟まれている駅周辺の地形から「秘境駅」として知られただけに、鉄道ファンから廃止を惜しむ声も聞こえる。
JR北海道が十八日の改正で廃止した駅は、張碓と学園都市線の中富徳(空知管内新十津川町)、室蘭線の旭浜(渡島管内長万部町)など七駅。張碓駅は一九○五年(明治三十八年)、道内初の鉄道の手宮(小樽)−札幌間に、海岸沿いの新駅として誕生した。同社は「鉱石採掘の目的でつくったようだが、経緯はよくわかっていない」と説明する。
(中略)
JR北海道は、解体作業用の道路を整え、駅舎を覆う雪が解ける春以降、取り壊す予定だ。

投稿者 うえの : 11:42 | トラックバック

2006年03月18日

【列車】近鉄12200系

近鉄12200系某月某日。
近畿日本鉄道の特急用車両12200系。軽食設備を有する12000系スナックカーを継承する系列で新スナックカーとも称されました。運転席の後ろに大きい窓のスナックコーナーがあり、その窓の上にあるスナックカーの英文字ロゴが格好よく、子供の頃はよく雑記帳にこの電車を描いたものです。もっとも実生活で一番馴染みがあった特急列車は京阪1900系や3000系であり、新幹線0系でしたが。
合理化が進んだ昨今、軽食設備が廃止されて久しく、車内販売すら昔話となりました。車体も少々手直しされ、車体前面の羽が生えた特急マークと車体下部両裾にあるサボは共に撤去されました。特急マークに代わって列車種別と行き先を表示する電動幕が付いています。
(撮影:近鉄丹波橋−伏見)

投稿者 うえの : 05:00 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月17日

【列車】特急雷鳥

関西と北陸を結ぶ特急雷鳥。485系が引退して68x系に編成が統一されるとこの愛称は消滅するとされています。2006年をめどとするそうなので今年中にはなくなるのでしょう。かわりに使われるのがサンダーバードという名前です。
この愛称統一ははっきり言って馬鹿化た行為なのではないか。北陸または関西のどこにサンダーバードという名称の由来があるのでしょうか。まさか雷鳥=雷の鳥ということでサンダー+バードという安易な思い込みがあるのではなかろうか。横文字にすればどことなく格好良い感じもするし。
日本でサンダーバードといえば英国が1960年代に作った人形劇のドラマを思い浮かべる人が多い。国際救助隊という私的な組織が高度な航空機などを用いて救難活動に携わる物語です。そういえば北陸特急のサンダーバードが登場した時に宣伝の一環としてこの国際救助隊が使われたし宣伝のビラでは隊員のスコットが温泉につかっている写真も出ていました。悪乗りしすぎですって。ところでこのサンダーバードは欧米ではそれほど一般化した単語ではなく辞書の見出し語としては大きい辞書を引かないと載っていないことが多いくらいです。言葉の意味は『北米インディアンの神話に出てくる鳥で、大きい鷲に似ている。雷鳴や雨を呼ぶことが出来る(ランダムハウス大辞典)』らしい。つまりは実在しない鳥ですから立山連峰にいるライチョウとは全然関係がない。ライチョウは英語でptarmiganという。Thunderbirdとは言わない。
どうしても雷鳥の愛称をなくすのですかね。サンダーバードと比べてそんなに雷鳥という言葉は格好悪いですか。横文字偏重は怪しからんと思いますが、それに徹するならせめて西日本のお偉い方々は辞書くらい引いて下さい。思いつきで作った語呂合わせ的な和製英語名の列車が走るなんて、とても情けない。
以下、国鉄時代〜民営化初期に撮影した雷鳥六変化。

雷鳥号(1)スカートが交流60Hz区間用に塗り分けされているボンネット型の編成写真。以前のエントリーで既出。

雷鳥号(2)ボンネット型式の100番台。

雷鳥号(3)月光型同様の貫通扉を持つ200番台。

雷鳥号(4)貫通扉をなくした300番台。

雷鳥号(5)本州〜北海道〜本州へと転々とした1500番台。

雷鳥号(6)583系の雷鳥。民営化後もしばらく活躍。

投稿者 うえの : 10:32 | トラックバック

2006年03月16日

【愛知】名古屋鉄道瀬戸線

お堀電車

某月某日。といっても正確には昭和51年2月15日のこと。
名鉄瀬戸線堀川駅にて土居下−堀川間廃止に因むお別れ電車を撮影しました。

前身が瀬戸電気鉄道という会社であることから瀬戸電とも呼ばれます。名古屋城の外堀を走る面白い路線です。本町というところには狭い橋の下を抜けるために複線の線路を互い違いに敷いて幅を縮めるガントレットという軌道も珍しい特徴の一つでした。最期の日は天気にあまり恵まれませんでしたが、それでもたくさんの人が乗り納めに来ていました。当時、お別れの記録といえば写真と音声だけの録音が主流です。大きいオープンリールのデッキをかついで走行音を録音している人も何人かいました。今はDVDなどが普及して絵も音も出ますが、音だけの記録も想像力や旅情が掻きたてられてなかなか良いものです。

当初の画像は左右が逆になっていました。お詫びして訂正いたします。(2006年3月31日訂正)

投稿者 うえの : 10:24 | トラックバック

2006年03月15日

【列車】夜行列車

夜行列車某月某日。深夜の京都駅にて。
左側にいるのは臨時快速ムーンライト山陽+高知+松山の三階建て編成で、右側は当時単独編成で運転されていた特急富士です。
間もなく客車の特急出雲が廃止となります。こうした夜行列車もいずれなくなる日が来るのでしょう。寂しい気持ちはありますが、設備が古いくせに割高な寝台料金では贅沢に慣れた現代人なら敬遠したくもなります。鉄道会社側の目が向いているのは新幹線であり、料金の見直しや新しい車を作る気配はなさそうです・・・。

投稿者 うえの : 04:34 | トラックバック

2006年03月14日

【列車】急行かすが

急行かすが某月某日。柘植駅にて行き違う202D急行かすが名古屋行き。257D加茂行きの車内から撮影。
今週末のダイヤ改正で消滅する昼行急行です。昼間に走る急行列車自体が珍しくなった昨今、またひとつ急行が消えていきます。もう乗れる機会がないし関西本線を優等列車で旅した経験もないので何度か乗りに行こうと思いましたが、惜別の感情がわくほど愛用していたわけではないし結局乗らないことにしました。乗りたい気持ちはあるのですがね。

投稿者 うえの : 05:00 | トラックバック

2006年03月13日

【山形】奥羽本線関根駅

奥羽本線関根駅某月某日。奥羽本線関根駅にて。
新在直通特急を通すための標準軌化工事が進み、客車列車が廃止される直前の頃の様子です。
客車列車は遅いと思いがちですがわずか2両や4両の編成ですと機関車にはかなり余力があるらしく、電車並みの俊敏な走りに驚きました。牽引機は板谷峠専従のEF71です。冷静に考えると3700psに近い高出力の普通列車が日常の足だったとは、運用の都合とはいえかなり贅沢なものですね。

投稿者 うえの : 04:24 | トラックバック

2006年03月12日

【新潟】北陸本線親不知駅

北陸本線親不知駅某月某日。
北陸本線親不知駅にて。今はなき北陸ワイド周遊券で訪れました。昔は波が荒いこのあたりの海岸を命がけで往来し、不運にも波に呑まれて亡くなる人が多かった。幼い頃にそんな話を聞いていて、どんなところかとふと降りてみたくなったのでした。
駅の近くには歌という集落があるそうな。次の電車まで時間があるので歩いてみても良かったけれどなんとなく駅でぼんやり過ごしました。線路の向こうには北陸道が視界の障碍となって聳え、荒々しいであろう海の姿はわずかしか望めません。そういえば今から10年ほど前に北陸道でこの線路際を通過したことがありました。夜中のドライヴだったので全然景色は覚えていません。ここはまたいつか普通列車で訪れてみたい駅のひとつです。

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2006年03月11日

【三重】名松線伊勢奥津駅

名松線伊勢奥津駅某月某日。名松線伊勢奥津駅にて。
民営化直後の頃に訪れました。当時は単行の気動車が一日八往復していました。ローカル線とはいえ営業キロはおよそ43kmあり、京都と大阪の間に相当します。蒸気機関車時代の給水塔が残る小さな駅です。
名松線はもともと松阪から名張までを結ぶつもりであったようですが事情により軌道は松阪から伊勢奥津までです。伊勢奥津から名張までは三重交通のバスが平日は一日3便あるようです。春には付近にある三多気の桜を見に来る人で賑わいます。

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2006年03月10日

【山口】山陰本線長門古市駅

山陰本線長門古市駅

某月某日。山陰本線を下る旅にて。

今から15年ほど前、友人と二人で急行「ながと」に乗って下関へ。前夜泊まった長門市を出て次に停車したのがこの長門古市駅です。ふと駅名標を見るとどうしたわけか柱には「ながとふるいち」と書いた鉄板が上下逆に打ち付けてあります。よく確認しないで取り付けてしまったと思われます。今はもう直っているでしょうか。

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2006年03月09日

【青森】青森駅

青森駅

某月某日。青森駅にて。

青森駅は東北本線、奥羽本線、津軽線(海峡線)が集中するたいへん忙しい駅です。青函トンネルが開通するまでは青函連絡船との乗り継ぎの役目も果たしていました。また、雪混じりの風が吹き付ける中、乗り場で食べる立ち食いそばも美味しくて東北や北海道へ汽車で出かけると行き帰りに必ず食べたほどです。いつか時間を見つけてまた食べに行きたいです。
上の写真は分割民営化後間もない頃に撮りました。機関車が牽く普通列車が当たり前のように見られた時代です。
この列車は上野行きの寝台特急を見送り間もなく発車します。

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2006年03月08日

【滋賀】湖西線近江今津駅

湖西線近江今津駅

某月某日。湖西線近江今津駅にて。
写真は敦賀行きの普通気動車。

74年7月に湖西線が開通して間もない頃、母にせがんで乗りに行った時のスナップです。74年当時の時刻表によれば、京都を12:02に出る470Mに乗って近江今津には14:11着。写っているキハ55の2両編成は470Mの到着を受けて14:16に発車した敦賀行き8643Dと思われます。永原と近江塩津の間で直流と交流の切り替え区間があるため変電の手間がかからない気動車が短区間の連絡に使われました。ただし本数は極端に少なく、朝・午後・夜の3往復だけでした。
この日に乗った113系電車は冷房を備えていて、車内は寒いくらいだったのを覚えています。普通電車に冷房がないのは珍しくない時代だったこともあり湖西線の第一印象は良好でした。
なお優等列車は開通翌年の春まで米原経由で運転されており、速達列車は堅田または近江今津まで乗り入れる新快速だけでした。

■参考

113系700番台 113系0番台

写真左が登場当時の湖西線用113系。右が同じ時代に走っていた古式ゆかしき113系の初期車。冷房はついていません。写真では見づらいですが後ろから数えて4両目にグリーン車を連結しています。関西地区では1980年まで普通電車にもグリーン車が連結されていました。

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2006年03月07日

【列車】100系X編成

100系X編成某月某日。新しく製造された100系新幹線が営業運転を前にお披露目の試乗会が行なわれた日、新聞に載っていた大まかな運転ダイヤをヒントに単車を飛ばして撮影に出かけました。写真はもちろんX0編成(当時)です。0系の丸っこい顔つきに慣れていたので尖った顔つきは斬新であると同時に少し違和感もありました。座席は普通車といえどもこれまでの一等車並みの広さを持ち、新幹線としては初めてとなる二階建ての車両を連結。他にグリーン車には個室を備えるという豪華さでした。

X編成食堂車食堂車の168−9001です。高速化の波に乗れずに廃車となったX編成ですが、この車は浜松工場に保存されているそうです。車体横にはNew Shinkansenの頭文字NとSを図案化したロゴがあります。二階建て車両についたこのロゴは階段状に見えるため一般には「二階建て」を表すとされていたようです。100系のG編成は一部短編成化されて山陽区間の「こだま」で今も活躍中です。

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2006年03月06日

【列車】急行立山

急行立山

某月某日。京都駅7番線に入る急行立山1号大阪行き。

471系という交直両用の急行用電車です。車体の裾に見えるクリーム色の帯は60Hz区間用であることを示しています。学校が終わると市バスや徒歩で家から京都駅まで出かけて飽きずに列車をよく眺めたものです。幼児が犠牲になる昨今を思えばよくぞ誘拐などされなかったものだと思います。
この系列の列車は博多発の急行玄海に京都から大垣まで乗ったことがあるだけで、京都駅に遊びに行くとよく見かけた「立山」には乗らずじまいでした。
年によってわずかに違いはありますが昭和50年頃の立山1号は京都駅には13:20前後の発着だったようです。写真右手に見えるのは入れ換え用として構内で活躍していたDD13。ブレてますが前照灯が一つの初期型です。

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2006年03月05日

【岐阜】東海道本線岐阜駅(地上時代)

地上時代の岐阜駅

某月某日。地上時代の東海道本線岐阜駅です。

高架となって久しい岐阜駅ですが、それまではもちろん地上にありました。奥に見えている汎用気動車は高山本線へ向け出発を待っています。
今となってはどうしてこのような写真を撮ったのか自分でも分かりませんが、急行列車で東海道を下るのが嬉しくて車窓から見るものをあれこれ撮影していたものと思います。他にもなにやら意味不明の写真が少し残っています。
乗っていた急行列車は午前10:00東京発西鹿児島行きの1101レ「桜島」で、日豊本線経由の「高千穂」を併結し丸一日以上かけて走破していました。
写真を撮った1974年頃の時刻表によれば1101レの岐阜発は15:49。高山本線の高山行き普通気動車731Dは岐阜駅発車が15:50とあります。この731Dがおそらく写真の気動車なのでしょう。

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2006年03月04日

【京都】叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅

叡山電鉄鞍馬駅

某月某日。叡山電鉄鞍馬駅にて。牛若丸で有名な鞍馬寺の最寄駅。

元々は京福電鉄の路線だったのですが経営上の理由から京福本体から切り離されて叡山電鉄となり、現在は京阪電鉄の子会社となっています。叡山電鉄の設立は1985年ですから路線自体は大正から昭和にかけての開業と古いですが会社としてはまだ若い。日頃はのんびりしていますが秋になると鞍馬線は紅葉見物で賑わいます。
写真のデナ21は平成の始めに引退し現在鞍馬駅に運転席部分が保存されています。

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2006年03月03日

【愛知】名古屋鉄道犬山線犬山橋

名鉄犬山橋

某月某日。名古屋鉄道犬山線犬山橋にて。
併用軌道橋を渡る高山本線乗り入れ用キハ8500(会津鉄道へ譲渡された)。

この橋は自動車と大型の電車列車が共同使用する全国でも珍しいものでした。大正14年に架けられ長年にわたって車と列車を安全に渡してきました。落ちた話は聞きませんので強度を偽装してまで銭儲けに走る現代とは違いこの時代は真面目に作られていたのでしょう。なお2000年3月の終わりに併用は解消されこの橋に並行して自動車用に新しい橋が架かっています。

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2006年03月02日

【長野】飯山線飯山駅

飯山線飯山駅

某月某日。飯山線飯山駅にて。
以前ご紹介した戸狩野沢温泉駅と同じ日の旅です。

普通気動車でゆっくり旅をしつつ暮れゆく窓外を眺めるのは楽しくもあり寂しくもある。少し複雑な気持ちですがこんな旅がいつまでも続けられたら良いなと写真を見て改めて思います。

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2006年03月01日

【福井】京福電鉄福井駅

京福電鉄福井駅

某月某日。京福電鉄福井駅にて。
車両は元・阪神3301形から作った2204。
方向幕に見える「東古市」とは今の「永平寺口」のことです。

京福電鉄は2000年から2001年にかけてのほぼ半年間に2度も正面衝突事故を起こして事業停止となりました。2003年に第三セクターえちぜん鉄道としてからくも復活となりましたが永平寺線は廃止されました。
なお写真の2204と同じ系列の2201が2001年の正面衝突事故に遭い廃車となっています。

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