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1992年12月23日
初海外旅行(7) |
12月23日 今日もいい天気
今日は遠出するのでなんと6時に起床した。朝食を食べないといけないが
ホテルのバイキングは普段はまだオープンしない。しかし特別に我々のため
にオープンしてくれた。嬉しいことである。その後の打合せやらなんやらで
8時にホテルを出発。
フリーウェイを405号線?5号線と走っていくことになっていた。今日
は調子が悪かったので、私は2代のうちの先生車の助手席に座って今日は楽
させてもらった。
南カリフォルニアの地名にはスペイン語のものが特に多い。san...やel...
が目立った。もっともSan FranciscoもLos Angelesもスペイン語である。
海沿いを走るこの5号線は太平洋の眺めが抜群だ。この海の向こうにはる
か日本があると思うと感動してしまう。海岸沿いにはカリフォルニアらしい
椰子の樹のようなそういう1々が立ち並んでいた。うっとり。といっても寝
ているわけではありません。
車は70マイル前後でサクサク走っていく。オートクルーズ機能のおかげ
で運転は楽だという。日本ではあまりない機能だが、だだっ広いアメリカの
道を何時間も定速で走るには便利だと思う。日本のように一定の速度で走る
機会が少ないと宝の持ち腐れかもしれない。
フリーウェイには日本の高速道路と同様にいろいろな車が走っている。ビュ
ンビュンかっ飛ばすスポーツカーもあれば、60マイル前後で走るコンボイ
(トレーラー)もいる。私が興味を持ったのは後者のほうで、ばかでかい車
をアメリカンなおやじがサングラスをかけ、窓から腕を出し、煙草をくわえ
ながら運転している。TVなどで見てこれぞアメリカと思っていたがこんな
に身近で見ることが出来るとは思わなかった。丁度それを追い抜くところだっ
たのでおやじと目があったときに「いよ!」と手を挙げてあげたらうれしそ
うに応えてくれた。最後にはヤンキーホーン(あちらでは何というか知らな
い)も鳴らしてくれた。日本でよくある「パーン」というやかましいやつで
はなくて、ブブーっと軽快なものであった。
回りに何もない地域で中央分離帯に日本では見られない警戒標識があった。
横長の黄色い長方形に親子3人が走り去るシルエットが描いてあり、上には
「CAUTION」と書いてある。ドライバーの先生にこれは何かと尋ねる
と、何でもこの幅100mはあろうかというフリーウェイを横切ろうとする
人が後を絶たないのだという。死亡事故も年に何件か起きているそうだ。う?
んワイルドである。
わーわーと景色を見ていくうちにサンディエゴ市内に入ったようだ。右か
ら左からフリーウェイが合流してくる。交通量も多くなってきた。といって
も東京の首都高速のように渋滞するわけではない。
フリーウェイを降りて、サンディエゴ市中心部へ向かう。町の中心部に車
を駐車し、近くのバスターミナルへ歩いていく。8:40ということもあり、
街は静かだ。やがてSanta feと書かれた教会のような建物のターミナルへ着く。
ここからバスでメキシコとの国境の街、サンイシドロへ向かう予定だった
が、バスは11:00までなく、代替として、トロリー(路面電車)で、い
くことにした。トロリーは3両連接で、予め自動券売機で切符を買って乗車
する。改札はない。
車外にあるボタンを押して、アメリカンの体格には少々小さめの車内に入
り、空いていた席に一同固まって座る。
トロリーははじめのうち黒人の多い何やら怪しげな町のなかを走っていく。
途中駅からは黒いサングラスをかけた黒人が乗ってきてちょっとこわかった。
しかし車内にはなぜかポリス(らしき人)も乗っており、少し安心した。
郊外へ出るとトロリーは速度を上げていく。隣にはフリーウェイが並走し
ている。数10分でサンイシドロへ到着。駅についても集札はなかった。乗
り放題ではないか。
歩道橋でフリーウェイを横切る。南側に国境の検問所が見える。アメリカ→
メキシコはスムーズに通過しているが、メキシコ→アメリカは大渋滞である。
駐車場といっても過言ではないだろう。メキシコ側のはるか遠くまで車の長
い列が延びている。最後尾はここからは確認できない。
国境を目前にしてパスポートの確認をして、檻のような国境の回転扉を抜
け、歩いてメキシコに入った。入国審査というものは一切ない。誰でも簡単
にメキシコへいくことできる。しかし、逆は厳しい審査が必要なのだそうで
ある。もしパスポートを忘れてメキシコにうっかり入った日には・・・。
ここへ来る前、「メキシコでは一切飲み食いしてはならない」ときつく言
われていた。なんでも水事情が大変悪いそうである。ネイティブは平気でも、
ビジターは一発で腹をこわすらしい。せっかく本場メキシコのタコスを食べ
たかったのに残念である。
国境からティファナの町まではわりと距離があるので、ここからバスで移
動することになっていた。しかし、バス乗り場へ行ったものの、次の便まで
は1時間以上あるという。メキシカン曰くタクシーで行くよろし。運賃も安
かったので、そうすることにした。
5人ずつ2台のキャブに分乗してティファナへ向かう。このキャブはぼろ
く、あらゆるメーターが機能していなかった。ラジオではスパニッシュが流
れつづけている。さっぱりわからん。街へ近づくにつれ、悪臭が漂ってきた。
排気ガスの匂いである。かなりきつい。ごほごほ・・・。なんでもメキシコ
には排ガス規制がないそうで、有鉛ガソリンのガスで覆われていた。メキシ
コは世界一空気の汚れた国だという。こりゃたまらん。
15分ほどでティファナの街へ到着。息苦しい外へ出る。割りと広い通り
の左右に商店街が続いている。メキシコは革製品、銀、オパールが主力商品
である。我々は端からゆっくりと歩いていく。
我々が日本人とわかるのか、日本語で、「安い」「見てって」「見るだけ
タダ」などなかなかうまい。まぁスペイン語と日本語は発音が似ているから
当然ではあるが。店だけでなく、通りに座ってあるいは立っている俄商人か
らも呼び声がかかる。しかし、こちらに意思がなければ一切無視せよという
先生の助言を守っていたので問題はなかった。
途中にあった革製品の店に立ち寄って、かばん、ジャンパー、ジャケット
などを見ていった。ここでは値切るのが当然だという。向こうがうんと言う
までとにかく粘る。私はこの店では買わなかったが、Rさんは$400と書かれ
たレザーのバッグを粘った末$100で買っていた。最初の値段はいったい何な
のだろう。
革製品と並んで、腕時計も数多くあった。ロレックスなどのブランド品が
並んでいるがこれらはすべてコピーだという。偽物である。それにしては高
かった。しかしというか案の定というか、値切るとぐんと安くなった。$200
と表示のあるものを指して、「How mach? 」と聞くといきなり$80 になった。
買うつもりはなかったのだが、粘ってみたら、$45 まで下がった。結局買わ
ずに「No thank you. 」と店を出たが、店員は店を出た私を追うように、
$40,$35 と買ってくれと催促。面白いようなこわいような・・・そそくさと
店から離れていった。
やばい街の通りの中央に位置する日本人の経営するみやげ屋(名前は忘れ
た)へ入り、ややリラックスしてショッピングを楽しむ。オパールのネック
レスやタイピンなどが豊富に揃っていた。ただここはあまり値切れないよう
だった。日本語が通じるので値切りやすい(にくい)が、2割程度しか引い
てもらえなかったようだ。
店を出るとまた排ガスの匂いが・・・く、苦しい! さらに数件回ったあ
と、キャブを呼んでアメリカ国境へ戻る。街の中心部らしいところを通った
が、交通量が多い交差点なのになんと信号がない!クラクションの嵐である。
訳がわからん。やっとこさジャムをこえて、国境へ。検問所へは相変わらず
長い車の列がある。それらの車につけこんで、少年が車に近づいていっては
お金や食べ物ををねだったり、手作りの編み物などを売りつけたりしている。
2人や3人ではなく、100人くらいいる。そして彼らのほとんどは裸足で
ある。メキシコの貧しさを物語っているようだ。
我々はキャブからおりて、アメリカへの検問所までの通路を歩いていった
が、この狭い通路にも幼い子が紙コップを持ってこちらへ近づき、何事か言
いながらお金や食料を求めていた。一度上げると癖になり、また他の子も寄
ってくるので可哀相だけど一切物を上げてはいけないことにしていた。ほん
とにやせ細っていてかわいそうである。裸足が泣けてくる。
アメリカへの国境検問所へ到着。パスポートをチェックされただけであっ
さり通し。メキシコのスタンプが押されなかったのは残念だったが。やや空
腹を我慢していたのと喉が乾いていたので、トロリーのサンイシドロ駅そば
にあるマックでテイクアウトして駅で食べた。あっという間に喰ってしまっ
た。
ここから再びトロリーでサンディエゴへ戻り、駐車場から車を出して(6
時間で3ドル。安い)、観光することもなくサンディエゴ市街を後にした。
何でも最近はこのサンディエゴの街も危険になってきたそうだ。
車を走らせ、郊外にあるアミューズメントパーク「マリブGP」へ行った。
ここは、500cc程度の排気量の全長2mくらいの本物の車を運転して
1周1キロくらいのコースを走り、タイムを競うものである。運転するには
ライセンスが必要で、日本から来た我々は国際免許証を提示すれば取得でき
る。免許のない人や子供のために、スケールの小さい車も用意されている。
我々のなかでは先生を始め、K君、M君、N君がライセンスをとり、コー
スへ向かった。私はコンディションがよくなかったので、観戦(ビデオ撮影
係)することにした。
結構スピードが出るようで、コーナーでは良くアウト側の車輪が浮いてい
た。感じるGも結構なものだろう。ドリフトもするらしい。走り終えたK君
に感想を聞いてみた。
「いや? おもしろかった! 今までの日本の遊園地のゴーカートとは訳が
違う。日本で5・600円払って遊園地でやるよりここで15ドルくらい出
して遊んだ方が全然おもしろい!」
マリブでのナイスランのあと、再びフリーウェイ5号線を北上していく。
もう17時を過ぎ、だんだん暗くなってゆく。東に見える太平洋の夕日がき
れいである。
夜になるとフリーウェイの車線の境に設置してあるリフレクターが輝いて
きれいである。帰宅の足と重なり、片側4?5車線のフリーウェイは上下線
とも車の量が多い。回りに民家などは少ないので、はるか遠く先まで車のテー
ルが続いているのが見える。壮観だ。
渋滞もなく数時間でコスタメサ市内へ戻ってきた。もうとっくに日は暮れ
ている。夕食をとるため、ホテルに戻ってメキシコへ同行しなかった先生の
子らと合流し、ニューポートビーチのピア(埠頭)にあるRuby'sというハン
バーガーレストランへ出掛けた。海の上に位置するこの付近では夜釣りを楽
しんでいる人もいた。いまはほとんど暗闇状態なので、海の向こうは見えな
いが、昼間、特に夕暮れ時はきれいなのだという。サンセットビーチとも言
えるだろう。
店は50'S?60'Sを模した作りになっている。店員のねぇちゃんも当時の流
行りのコスチュームである。当然BGMも当時の流行曲である(らしい)。
私はその時は生まれてなかったのでよくわからないが、現在とは一風変わっ
た雰囲気である。店の一角に日本人13人が固まり、食事をしているのはどこ
かこの店の雰囲気を乱しているような気もした・・・ま、いいか。
先生の勧めによると何でも美味いそうだが、ハンバーガーが特に美味いと
いっていた。それを鵜呑みにして、適当なボリュームがあってこってりして
そうな物を選んでオーダーした。ほどなくそれらが運ばれてきた。某M社の
とは全く違い、パンも肉もボリュームがあり、中身も豊富である。見ただけ
でよだれがほとばしってきた。早速一緒に頼んだチョコバナナシェイク
(すっごい甘かった)とともにかぶりつく。
一口噛んだ途端ジューシーで濃厚なビーフの肉汁が口のなか一杯に広がっ
てソースとの組み合わせも絶妙である。肉はステーキで言うレア?ミディア
ムの状態で、どこぞのハンバーガーのようにパサパサしてなくてほんとに美
味しい。こんなハンバーガーを食べれるなんて幸せである。
サイドディッシュとしてFRENCH FLIESを頼んだが、これはちょっと期待外
れであった。日本にも多数支店のある某社のと変わらなかった。まぁメイン
が美味すぎた分期待も大きかったのでそのせいもあるだろう。しめて8ドル
足らずである。安い美味い。
食後に港をいろいろなキャラクターで電飾した船のパレード(とは言わな
いが)を見た。実にきれいである。日本じゃこんなことしないだろうなと思った。
今日はいい夢が見れそうだ。
2023:
投稿者 onsenfan [ ] : 1992年12月23日 23:59
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