1992年12月25日
初海外旅行(9) |
12月25日
今日から27日まではここアーバインから空路サンフランシスコへ移動す
る。朝一の飛行機で行くのでなんと5:30起床であった。眠い目をこすり
ながら、サンフランシスコで不要な荷物をホテルに預け、リムジンでオレン
ジカウンティ空港へ送ってもらう。リムジンではやっぱり寝ていた。
搭乗手続きを軽く済ませ、ボーイング737のそれほど大きくない飛行機
で7:25離陸する。飛行機が小さいせいか良く揺れた。またエンジンのそ
ばのせいもあり、やかましかった。そのおかげで寝るに寝られず、しかたな
く起きてやや大声で話をする。
ロスとサンフランシスコは近そうに見えて実は遠い。700キロくらいあ
る。東京?岡山間に相当する。飛行機は速いもので、1時間一寸でサンフラ
ンシスコ国際空港へ着陸した。ロスと違い、ここは寒い。さすがにクリスマ
スである。気温は華氏40度。ジャンパー、コートがないと辛い。
空港からはホテルのリムジン2台に分乗してパウエルホテルへ向かう。空
港からは以外に距離があった。フリーウェイをすっ飛ばしても20分ほどか
かったように記憶している。このホテルは日本人が経営しているらしい。
オーナーと先生は知り合いらしかったが、オーナーは出張中ということであっ
た。とりあえずチェックインする。318号室。天井が高いが、ベッドはと
ても小さいシングルベッドとダブルベッドの中間くらいの幅しかない。これ
に2人で寝るのか・・・。信じられなかった。
...日記はここまでとなっています。
以下感想
西海岸旅行において日本と違うと感じたところ
(交通)
・右側通行である、右折左折は注意を要する
・信号が赤でも右折は基本的にしてもよい
・スピードはMPHでマイルが基本である
・4WAYストップという交差点があり、先に入った車に優先権がある。
・歩行者は常に保護され、保護しなくてはならない
・駐車場では前向きに停める車が多い
・大きな店の駐車場や大学などの敷地内には所々に道路が盛り上がっており、スピードが出せないようにしてある
・フリーウェイには○○レーンというのがあり、何人か乗せている車しか通れない
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投稿者 onsenfan [ ] : 23:02 | コメント (0) | トラックバック
1992年12月24日
初海外旅行(8) |
12月24日
昨日の楽しい旅から一夜明けて、今朝はゆっくりと10時までフリーであっ
た。私は9時まで寝ていた(^^)。今日も買い物の一日であった。ほんと
はASTコンピュータへ行く予定だったのに、年末で既に休みに入っていた。
11時ごろから、5枚で10ドルのTシャツ専門店へ行き、10枚ほど買
う。半数はアメリカ製だが、残りは他国である。ホンジュラス、ドミニカ共
和国、バングラデシュなどふだん耳慣れない国名が並ぶ。日本製はなかった。
そのあと近くのimported market,Trader Joeという輸入雑貨店へ行った。
菓子や酒をはじめ様々な商品が陳列されていた。ここでは日本への土産用に
お菓子を大きな袋いっぱいにたっぷり買い込んだ。それでも15ドルとしなかっ
た。安いものである。
お昼となったので、ニューポートビーチのリド・マリーナにあるギリシャ
軽食店(名前は忘れた)でGreek burgerを食べる。昨日のバーがーとは違い、
チーズなどでこってりとしていた。でも日本のファーストフードのそれに比
べたら、全然うまい。
この店のすぐ外は海である。真っ白なヨットがたくさん浮かんでいた。そ
れらをバックに12月だというのに半袖を着た姿で写真を撮った。今日も
20度はあるのではないかと思うほどの暖かさである。
昼食を食べおえ、これからの予定を決める。買い物、ドライブなどいろい
ろ案が出たが、女の子がビーチで遊びたいというので2手に分かれることに
なった。2人を砂浜へ置いて、我々は先日も行ったTARGETというスーパーで
買い物をした。ここでは、車に付ける半円のミラーと小さい鞄、不器用なア
メリカンのために豊富にあったcan opener、ステーショナリー、日本では出
たばっかりのCDとカセットを買い込んでしまった。しかし、CDを買ったもの
の日本に帰らないと聞けないのであった。
夕方になって砂浜へ女の子を迎えにいき、一旦ホテルへ戻り、空が暗くな
るのを待って再びホテルを離れ、近くの静かな住宅街へ車を走らせた。今日
はクリスマスイブである。ほとんどの家では窓を開け、部屋のなかに派手に
飾っている電飾をつけ、また外の壁やルーフには家を囲むように並べられた
これまたカラフルな電球を点灯または点滅させて、聖夜を祝っている。日本
では見たことのない光景である。それらをながめ、1時間ほどで再びホテル
へ戻った。
そのあと、夜にホテルのすぐ隣にある中国料理店「梅園」で、こちらに在
住で先生の知り合いである方々と会食した。日本人だけでなく、ボリビアか
ら来ている青年もいた。日本語がとてもうまい。日本にとても行きたがって
いたので、じゃあ一緒に帰ろうと誘ったがさすがに乗ってこなかった。
ボリビアはスペイン語の国ということで、大学1年のときに履修した片言
のスペイン語で自己紹介したら大変喜んでくれた。その他ここや故郷の話を
たっぷりとしてあっという間に時間が立ち、お別れとなった。日本での再会
を約束して握手して分かれた。ナイスなクリスマスイブだった。
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1992年12月23日
初海外旅行(7) |
12月23日 今日もいい天気
今日は遠出するのでなんと6時に起床した。朝食を食べないといけないが
ホテルのバイキングは普段はまだオープンしない。しかし特別に我々のため
にオープンしてくれた。嬉しいことである。その後の打合せやらなんやらで
8時にホテルを出発。
フリーウェイを405号線?5号線と走っていくことになっていた。今日
は調子が悪かったので、私は2代のうちの先生車の助手席に座って今日は楽
させてもらった。
南カリフォルニアの地名にはスペイン語のものが特に多い。san...やel...
が目立った。もっともSan FranciscoもLos Angelesもスペイン語である。
海沿いを走るこの5号線は太平洋の眺めが抜群だ。この海の向こうにはる
か日本があると思うと感動してしまう。海岸沿いにはカリフォルニアらしい
椰子の樹のようなそういう1々が立ち並んでいた。うっとり。といっても寝
ているわけではありません。
車は70マイル前後でサクサク走っていく。オートクルーズ機能のおかげ
で運転は楽だという。日本ではあまりない機能だが、だだっ広いアメリカの
道を何時間も定速で走るには便利だと思う。日本のように一定の速度で走る
機会が少ないと宝の持ち腐れかもしれない。
フリーウェイには日本の高速道路と同様にいろいろな車が走っている。ビュ
ンビュンかっ飛ばすスポーツカーもあれば、60マイル前後で走るコンボイ
(トレーラー)もいる。私が興味を持ったのは後者のほうで、ばかでかい車
をアメリカンなおやじがサングラスをかけ、窓から腕を出し、煙草をくわえ
ながら運転している。TVなどで見てこれぞアメリカと思っていたがこんな
に身近で見ることが出来るとは思わなかった。丁度それを追い抜くところだっ
たのでおやじと目があったときに「いよ!」と手を挙げてあげたらうれしそ
うに応えてくれた。最後にはヤンキーホーン(あちらでは何というか知らな
い)も鳴らしてくれた。日本でよくある「パーン」というやかましいやつで
はなくて、ブブーっと軽快なものであった。
回りに何もない地域で中央分離帯に日本では見られない警戒標識があった。
横長の黄色い長方形に親子3人が走り去るシルエットが描いてあり、上には
「CAUTION」と書いてある。ドライバーの先生にこれは何かと尋ねる
と、何でもこの幅100mはあろうかというフリーウェイを横切ろうとする
人が後を絶たないのだという。死亡事故も年に何件か起きているそうだ。う?
んワイルドである。
わーわーと景色を見ていくうちにサンディエゴ市内に入ったようだ。右か
ら左からフリーウェイが合流してくる。交通量も多くなってきた。といって
も東京の首都高速のように渋滞するわけではない。
フリーウェイを降りて、サンディエゴ市中心部へ向かう。町の中心部に車
を駐車し、近くのバスターミナルへ歩いていく。8:40ということもあり、
街は静かだ。やがてSanta feと書かれた教会のような建物のターミナルへ着く。
ここからバスでメキシコとの国境の街、サンイシドロへ向かう予定だった
が、バスは11:00までなく、代替として、トロリー(路面電車)で、い
くことにした。トロリーは3両連接で、予め自動券売機で切符を買って乗車
する。改札はない。
車外にあるボタンを押して、アメリカンの体格には少々小さめの車内に入
り、空いていた席に一同固まって座る。
トロリーははじめのうち黒人の多い何やら怪しげな町のなかを走っていく。
途中駅からは黒いサングラスをかけた黒人が乗ってきてちょっとこわかった。
しかし車内にはなぜかポリス(らしき人)も乗っており、少し安心した。
郊外へ出るとトロリーは速度を上げていく。隣にはフリーウェイが並走し
ている。数10分でサンイシドロへ到着。駅についても集札はなかった。乗
り放題ではないか。
歩道橋でフリーウェイを横切る。南側に国境の検問所が見える。アメリカ→
メキシコはスムーズに通過しているが、メキシコ→アメリカは大渋滞である。
駐車場といっても過言ではないだろう。メキシコ側のはるか遠くまで車の長
い列が延びている。最後尾はここからは確認できない。
国境を目前にしてパスポートの確認をして、檻のような国境の回転扉を抜
け、歩いてメキシコに入った。入国審査というものは一切ない。誰でも簡単
にメキシコへいくことできる。しかし、逆は厳しい審査が必要なのだそうで
ある。もしパスポートを忘れてメキシコにうっかり入った日には・・・。
ここへ来る前、「メキシコでは一切飲み食いしてはならない」ときつく言
われていた。なんでも水事情が大変悪いそうである。ネイティブは平気でも、
ビジターは一発で腹をこわすらしい。せっかく本場メキシコのタコスを食べ
たかったのに残念である。
国境からティファナの町まではわりと距離があるので、ここからバスで移
動することになっていた。しかし、バス乗り場へ行ったものの、次の便まで
は1時間以上あるという。メキシカン曰くタクシーで行くよろし。運賃も安
かったので、そうすることにした。
5人ずつ2台のキャブに分乗してティファナへ向かう。このキャブはぼろ
く、あらゆるメーターが機能していなかった。ラジオではスパニッシュが流
れつづけている。さっぱりわからん。街へ近づくにつれ、悪臭が漂ってきた。
排気ガスの匂いである。かなりきつい。ごほごほ・・・。なんでもメキシコ
には排ガス規制がないそうで、有鉛ガソリンのガスで覆われていた。メキシ
コは世界一空気の汚れた国だという。こりゃたまらん。
15分ほどでティファナの街へ到着。息苦しい外へ出る。割りと広い通り
の左右に商店街が続いている。メキシコは革製品、銀、オパールが主力商品
である。我々は端からゆっくりと歩いていく。
我々が日本人とわかるのか、日本語で、「安い」「見てって」「見るだけ
タダ」などなかなかうまい。まぁスペイン語と日本語は発音が似ているから
当然ではあるが。店だけでなく、通りに座ってあるいは立っている俄商人か
らも呼び声がかかる。しかし、こちらに意思がなければ一切無視せよという
先生の助言を守っていたので問題はなかった。
途中にあった革製品の店に立ち寄って、かばん、ジャンパー、ジャケット
などを見ていった。ここでは値切るのが当然だという。向こうがうんと言う
までとにかく粘る。私はこの店では買わなかったが、Rさんは$400と書かれ
たレザーのバッグを粘った末$100で買っていた。最初の値段はいったい何な
のだろう。
革製品と並んで、腕時計も数多くあった。ロレックスなどのブランド品が
並んでいるがこれらはすべてコピーだという。偽物である。それにしては高
かった。しかしというか案の定というか、値切るとぐんと安くなった。$200
と表示のあるものを指して、「How mach? 」と聞くといきなり$80 になった。
買うつもりはなかったのだが、粘ってみたら、$45 まで下がった。結局買わ
ずに「No thank you. 」と店を出たが、店員は店を出た私を追うように、
$40,$35 と買ってくれと催促。面白いようなこわいような・・・そそくさと
店から離れていった。
やばい街の通りの中央に位置する日本人の経営するみやげ屋(名前は忘れ
た)へ入り、ややリラックスしてショッピングを楽しむ。オパールのネック
レスやタイピンなどが豊富に揃っていた。ただここはあまり値切れないよう
だった。日本語が通じるので値切りやすい(にくい)が、2割程度しか引い
てもらえなかったようだ。
店を出るとまた排ガスの匂いが・・・く、苦しい! さらに数件回ったあ
と、キャブを呼んでアメリカ国境へ戻る。街の中心部らしいところを通った
が、交通量が多い交差点なのになんと信号がない!クラクションの嵐である。
訳がわからん。やっとこさジャムをこえて、国境へ。検問所へは相変わらず
長い車の列がある。それらの車につけこんで、少年が車に近づいていっては
お金や食べ物ををねだったり、手作りの編み物などを売りつけたりしている。
2人や3人ではなく、100人くらいいる。そして彼らのほとんどは裸足で
ある。メキシコの貧しさを物語っているようだ。
我々はキャブからおりて、アメリカへの検問所までの通路を歩いていった
が、この狭い通路にも幼い子が紙コップを持ってこちらへ近づき、何事か言
いながらお金や食料を求めていた。一度上げると癖になり、また他の子も寄
ってくるので可哀相だけど一切物を上げてはいけないことにしていた。ほん
とにやせ細っていてかわいそうである。裸足が泣けてくる。
アメリカへの国境検問所へ到着。パスポートをチェックされただけであっ
さり通し。メキシコのスタンプが押されなかったのは残念だったが。やや空
腹を我慢していたのと喉が乾いていたので、トロリーのサンイシドロ駅そば
にあるマックでテイクアウトして駅で食べた。あっという間に喰ってしまっ
た。
ここから再びトロリーでサンディエゴへ戻り、駐車場から車を出して(6
時間で3ドル。安い)、観光することもなくサンディエゴ市街を後にした。
何でも最近はこのサンディエゴの街も危険になってきたそうだ。
車を走らせ、郊外にあるアミューズメントパーク「マリブGP」へ行った。
ここは、500cc程度の排気量の全長2mくらいの本物の車を運転して
1周1キロくらいのコースを走り、タイムを競うものである。運転するには
ライセンスが必要で、日本から来た我々は国際免許証を提示すれば取得でき
る。免許のない人や子供のために、スケールの小さい車も用意されている。
我々のなかでは先生を始め、K君、M君、N君がライセンスをとり、コー
スへ向かった。私はコンディションがよくなかったので、観戦(ビデオ撮影
係)することにした。
結構スピードが出るようで、コーナーでは良くアウト側の車輪が浮いてい
た。感じるGも結構なものだろう。ドリフトもするらしい。走り終えたK君
に感想を聞いてみた。
「いや? おもしろかった! 今までの日本の遊園地のゴーカートとは訳が
違う。日本で5・600円払って遊園地でやるよりここで15ドルくらい出
して遊んだ方が全然おもしろい!」
マリブでのナイスランのあと、再びフリーウェイ5号線を北上していく。
もう17時を過ぎ、だんだん暗くなってゆく。東に見える太平洋の夕日がき
れいである。
夜になるとフリーウェイの車線の境に設置してあるリフレクターが輝いて
きれいである。帰宅の足と重なり、片側4?5車線のフリーウェイは上下線
とも車の量が多い。回りに民家などは少ないので、はるか遠く先まで車のテー
ルが続いているのが見える。壮観だ。
渋滞もなく数時間でコスタメサ市内へ戻ってきた。もうとっくに日は暮れ
ている。夕食をとるため、ホテルに戻ってメキシコへ同行しなかった先生の
子らと合流し、ニューポートビーチのピア(埠頭)にあるRuby'sというハン
バーガーレストランへ出掛けた。海の上に位置するこの付近では夜釣りを楽
しんでいる人もいた。いまはほとんど暗闇状態なので、海の向こうは見えな
いが、昼間、特に夕暮れ時はきれいなのだという。サンセットビーチとも言
えるだろう。
店は50'S?60'Sを模した作りになっている。店員のねぇちゃんも当時の流
行りのコスチュームである。当然BGMも当時の流行曲である(らしい)。
私はその時は生まれてなかったのでよくわからないが、現在とは一風変わっ
た雰囲気である。店の一角に日本人13人が固まり、食事をしているのはどこ
かこの店の雰囲気を乱しているような気もした・・・ま、いいか。
先生の勧めによると何でも美味いそうだが、ハンバーガーが特に美味いと
いっていた。それを鵜呑みにして、適当なボリュームがあってこってりして
そうな物を選んでオーダーした。ほどなくそれらが運ばれてきた。某M社の
とは全く違い、パンも肉もボリュームがあり、中身も豊富である。見ただけ
でよだれがほとばしってきた。早速一緒に頼んだチョコバナナシェイク
(すっごい甘かった)とともにかぶりつく。
一口噛んだ途端ジューシーで濃厚なビーフの肉汁が口のなか一杯に広がっ
てソースとの組み合わせも絶妙である。肉はステーキで言うレア?ミディア
ムの状態で、どこぞのハンバーガーのようにパサパサしてなくてほんとに美
味しい。こんなハンバーガーを食べれるなんて幸せである。
サイドディッシュとしてFRENCH FLIESを頼んだが、これはちょっと期待外
れであった。日本にも多数支店のある某社のと変わらなかった。まぁメイン
が美味すぎた分期待も大きかったのでそのせいもあるだろう。しめて8ドル
足らずである。安い美味い。
食後に港をいろいろなキャラクターで電飾した船のパレード(とは言わな
いが)を見た。実にきれいである。日本じゃこんなことしないだろうなと思った。
今日はいい夢が見れそうだ。
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投稿者 onsenfan [ ] : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
1992年12月22日
初海外旅行(6) |
12月22日
今朝になってUniversal studio行きは延期になった。日々予定が崩れてい
く。協調性がないゼミなのだろうか。今日はディズニーランドへ行く人と、
買い物する人とに分かれた。私は遊園地の類はそれほど好きではないし昨日
もKnott's berry farmへ行ったので買い物グループへついた。
Marshalls というスーパーマーケットみたいなデパートへ行った。実は何
を買ったかはあまり覚えていない。とりあえずシャツを買ったと思った。帰
りに、ホテルの近くにあるバーガー屋(名前は忘れた)でチーズバーガー等
を買ってホテルで食べたが、結構うまかった。日本のファーストフードなん
かよりよっぽど美味くそれでいて安かった。確か$2しなかったと思った。
ディズニーランドからのメンバーが帰ってきたあと、今日の夕食は先生が
「うまいぞ」と自信を持って薦めるトニーノーマン というステーキ屋(世界中に支
店がある。もちろん日本にも)へ行き、NY STRIP(と思った)とい
うステーキ(1/2ポンド)を焼き方rearでオーダーしたのだが、散々待た
されて運ばれてきたそれは切らずしてウェルダンとわかる焼上がりであった。
ステーキはレアで食べてこそ美味いのに・・・ブーブー言いながら食べてい
た。それでいて美味くないのだから、やってられない。$9.95 なり。
なんか喰った気がしないので、コンビニで適当に買って帰った。明日はい
よいよメキシコのティファナへ行けることになった。
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1992年12月21日
初海外旅行(5) |
12月21日
今日は、ロスアンゼルス近郊にあるテーマパーク「knotts berry farm 」
へ行くことにした。今日も朝からいい天気である。車を飛ばすこと2時間ほ
どでやってきた。
ここは、もともとはその名の通り、Knott氏のイチゴ農園だったものだが、
事業の拡大によって遊園地を造ってしまったものである。100年前の西部
開拓時代をそのまま再現したゴーストタウンの他、もちろん遊園地に付き物
のスリルな乗り物もある。園内はさほど広くもない。
私たちはまずは、腹ごしらえということで入り口からさほど遠くないステー
ジのある広場にある長いテーブルに座ってめいめいリブローストなどの肉を
買って食べた。私も食べたが脂っこくて後味はいただけなかった。この頃、
子ども達による歌と踊りのショーが開催されていた。われわれは舞台の後ろ
から食べながら見ていたのでよくわからなかった。
食後、早速数グループに分かれて パーク内を歩きだした。私はKさんと
ともに、乗り物にはほとんど乗らずに、買い物に専念した。古き良き時代を
思わせる通りにあるいろいろなお店に入っては見て回った。日本にはないよ
うな店が多々あってなかなか興味深かった。特に珍しい石(化石を含め)を
専門に扱う店では買わずに見ているだけでも面白く、店内で石のショーケー
スをバックに記念写真を撮ってしまったほどである。
店ではなかったが、「INVENTION...」という発明に関する科学館のような
ところでは実験がいろいろできておもしろかった。あまり覚えていない・・・。
唯一乗ったものは、東京ドーム(後楽園遊園地)にもあるスカイジャンプと
いうパラシュートであった。私は高いところが苦手なのだが、Kさんの「大
丈夫大丈夫。すぐ終わるから」と言われて「しゃあないな」と乗ってみた。
上昇下降の加速度が大きいので結構効いた・・・もう乗りたくないものだ。
それでも高いところに登れるわけだから、最高点で停止中のわずかなあいだ
に写真をしっかり撮った。下界に下りたとき、足がすくんで震えていたのは
恥ずかしかった。
日も暮れてきたころ、全員がエントランスに集まって楽しかったパークと
もお別れ。また来てやるぜ! 帰りはヤオハンという日本系のスーパーで軽
く食事&買い物をすることにしていた。
このKnott's berry farmからそこまではフリーウェイを通っていくのだが、
そこのインターまでの途中で2 台でつるんで走っていた私の運転する後車が
信号で引っ掛かってしまった。先行する先生車は停車せずにサクサク走って
いってしまった。この車は学生しか乗っておらず、ヤオハンやホテルへの道
は誰もわからない。出発前に405 号線を南進することだけ聞いていた。あと
はトランシーバーで連絡がとれるがさすがに2・300m先の相手には電波が届か
なくなってきたようだ。ピーンチ!!
そのうち先生とは全く連絡がとれなくなってしまった。こちらから何度も
呼び出しても返事がない。一瞬だけ「今どこにいますか」というひどく焦っ
た様子の先生の声が聞こえてきた。方向的にはあっているようでとりあえず
安心である。我々も405号線へ乗る。本線と合流してもっとも右側の車線
を繰り返し繰り返し送信しながら走行する。しばらくしてかすかに反応があっ
た。前方右にハザードを点滅させている先生車らしき車を発見。その旨連絡
して先生車の左を通過して右に停車する。もちろん日本で言う高速道路に当
たるわけであるから停車は禁止されている。しかしこの場合は止むを得ない
であっただろう。ほっと安堵の息がこだまする。
少し乗員を入れ換えて、再び出発。100キロ近い速度ですぐ左を走る車
の流れに乗るとき少し緊張したが何とか成功。買い物などを済ませてホテル
へ戻った。明日はUniversal studioへ行くという。
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1992年12月20日
初海外旅行(4) |
12月20日
昨晩はよく眠ったつもりだったのにどうも寝足りない。まだ時差ぼけがあ
るのだろうか? ここでの朝8時は日本での午後12時(24時)になる。
つまり寝るころに起きるのだ。今日もきれいなカリフォルニアの青い空が広
がっている。
今日は日曜日ということもあって、10時から近くのスワップミートで買
い物をすることにしていた。スワップミートというのは・・・日本で言う青
空市場にあたる。2・300m四方の広大な駐車場に数ブロックに分かれて
様々は店が並んで商売している。ほとんどがどこかの店から出張してきたよ
うだ。
50セントの入場料を払い、中に入る。今日も快晴で午前中から半袖でい
る。入場口に後刻集合ということにして一行は散っていった。ここでは噂に
聞いていた4枚で10$ほどのTシャツを仕入れることが第一の目的だった。
最初はジーンズの店に入った。リーバイスが30$前後と日本に比べてかな
り安いが、アメリカ人の体型に合わせてあるので、29インチのサイズはこ
こにはなかった。
やや歩き回ってTシャツの店を複数見つけ、いちばん安い店に入る。5枚
で12$という。柄は数10種類あったので気に入ったものを選んで東洋人
系の店主らしい人に渡した。
ここでほとんど一日歩き回った。スワップミートだけあってどれも非常に
安いものばかりだった。
15:30まで買い物を続け、ホテルに戻る。ずぅっと歩き回ったのでく
たくたである。18:00までは思い思いにテレビを見たりして休憩した。
もっともテレビといっても当然全部英語なので、放映している内容は3割く
らいしか理解できなかった。バラエティ番組で司会がしゃべった軽いジョー
クに観客が笑っていても私には笑えなかった。もっとゆっくりしゃべってよぉ。
しかし、英会話が不得手な私にも楽しめる番組があった! アニメーショ
ンである。これなら動きだけでも笑える。ここには子供向け(だと思う)の
チャネルがあって昼間から夕方にかけては頻繁に放送されていた。しかし、
アニメといっても「バックスバニー、Tom&Jerry,Popeye,Batman,」など古典的な
ものばかりである。それでも私は十分楽しめた。
アニメ以外では以前放送されていた「白バイ野郎(Chips)」などそれなり
にたのしいテレフィーチャーも結構あった。とにかくチャネル数が多い!
30以上はあったのではないだろうか。東京ではせいぜい10局なのに。古
いロータリー式のチャネル切り替えなのだが、チャネルを1つシフトさせれ
ば必ずといっていいほど他の放映中のチャネルがあるのだ。いろいろ面白半
分にチャネルチェックしてみたが、CNN,NBSなどの報道専門のチャネ
ルもあれば、一日中テレビショッピングをやっているチャネルもあった。こ
のテレビショッピングでは、商品を宣伝中にリアルタイムで売上数
(quantity) がアップしていくので売れる品がすぐ判る。
テレビの話はここらへんにしておいて、18:00になったので買い物へ
出掛けることにした。私の運転で10分ほどでTARGETという百貨店のよ
うなスーパーへ到着。ここでまたCDなどを買う。この店のシンボルマーク
は日本の宝くじ売り場によくあるような的(TARGET)の中央に屋が刺
さっている。はじめはロト(宝くじ)売り場かと思った。中は大変広く、主
に日用品が多く売られている。食料品はほとんど見当たらない。
TARGETでの買い物を終えてこんどは食料品・酒を仕入れるため、こ
の近くにあるLUCKYという店でビールなどを大量に仕入れた。このカリ
フォルニアでは未成年への酒の販売は法律で禁止されている。我々学生のほ
とんどは既に成人しているので問題はないが、買うときにパスポートなどの
身分証明書の提示を求められた。
ビールも安い。ここではミラー、バドワイザーが主流だが、確か6本で6
ドル足らずだったと思う。日本の缶ジュースより安いことになる。ちなみに
そのジュース類は2リットル(1/2ガロンかも)で約1ドルだった。ウー
ロン茶を捜したが、さすがになかった。
買い物はおしまい。後は飯を食ってホテルに戻るだけである。夕食は途中
の中国料理店「Chinese Chicken 」で食べることにした。ここは中国人のオー
ナーが経営しているようで、我々のメンバーの台湾からの留学生のRさんは
何やら親密に話していた。オーナーも思わぬ客の来店に喜んでいたようである。
ここはカフェテリア風のスタイルで、何品か頼んで食べたが、思いっきり
脂っこくて後味が悪かったがそれを除いてはおいしくいただけた。
そしてホテルへ戻った。今日は歩き回ったのでゆっくり寝れた。
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1992年12月19日
初海外旅行(3) |
12/19(土)
今日は午前中は洗濯三昧だった。洗濯はセルフサービスで、別館2階にあ
るコーナーの洗濯機・乾燥機を使うのだった。その洗濯機は先生夫婦いわく、
「30年前と変わらない」のだそうだ。確かに古めかしいデザインである。
マイコンとかいうものとは無縁のようだった。
ともかく、洗い物をどばどばと入れる。容量はかなりあり、5キロくらい
洗えそうである。さすがアメリカ、スケールが違う。洗剤をこれでもかとい
うほど入れ、25セント貨3枚を並べて押し込み、ほいでもってスイッチを
カチッと押すとゴゴッという音とともに動きだした。全自動なので後は終わ
るのを待つだけである。
40分位して再び戻ると終わっているようだった。今度は乾燥機に移す。
水を吸っているので重たい。それでもバンバン入れて50セントを入れて作
動させた。乾燥にはおよそ1時間もかかった。なんて時間のかかる乾燥機だ。
こんな調子で13人分の洗濯を終え、一段落したところで午後からコスタ
メサ市にある日本のららぽ?とのような、South Coast Plaza (以下SCP)
へ買い物へ出かけることにする。レンタカーで行ってもよかったが、駐車場
がいっぱいになるそうで、CSI のリムジンで送ってもらうことにした。ここ
ではSCPまでの送迎サービスも定期的にしているそうだ。
恰好の良いクラークに送ってもらい、リムジンから降りたところを集合場
所にして分かれていった。
このSCPは、複数のデパート・専門店街が集結したショッピングセンター
である。日本でたとえるならば千葉県船橋にあるららぽ?とのようなもので
あろう。もっともその規模はそれよりはるかに大きい。中央にある2000
もの専門店の集結したplaza のまわりに、6つのデパートが配置され、その
回りには、restaurants,town center,banks and savingsがある。このareaを
一回りするにも数時間かかりそうである。
あまりに広いのでリムジンとの待ち合わせ場所に迷わないかどうか心配で
ある。Nordstromというデパート前ということを確認して、plaza内に散って
いく。
plaza 内に置いてあるマップを片手に歩いて回っているがほんとに広い。
しかし店のどこかにaddress (2240とか)が書いてあるので、現在地の
把握は容易だ。世界中の有名なブランドはほとんど出店している。おかげで
楽してwindow shopping できたのである。
某ブランド店へ入って、気に入ったものを試着するが、やはりこちらでは
サイズがでかい。小柄な私ではSサイズでも少し大きいと感じたのであった。
clerk に「Do you have children's cloths?」と聞いて子供服売り場に案内
してもらう。
ここでは、S,M・・・サイズではなく、12号、14号・・・というサ
イズになっていた。16号サイズを手にとって、「Can this fit me?」とた
ずね、サイズを確認する。どうやらいいようだ。さすがに子供服だけあって
おとなのより安かった(^^)。店員との会話も楽しいものだ。
次にこれまた有名なブランド店へ口紅を買いにゆく。家族への土産という
か頼まれていたのだ。赤系と頼まれていたものの、非常に種類があって迷っ
た。下手なものを買うとあとでブーブー言われてしまう。そこで、
「I'd like to present this for my mother. What is better?」
と聞いてみた。通じたようで、あれこれ候補を選んでくれた。やさしい店
員である。
そんなこんなで楽しく またどきどきしながらの買い物も無事終わり、何
とか迷うことなく集合場所へたどり着きみんなと合流して、再びホテルへ戻っ
た。今日は散々歩き回ったのでへとへとである。ぐう。
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投稿者 onsenfan [ ] : 23:54 | コメント (0) | トラックバック
1992年12月18日
初海外旅行(2) |
12月18日
7時半ころ起きてホテルのモーニングを食べにいく。中庭を通ってラウン
ジへ行くのだが、外へ出ても寒く感じない。長袖1枚なのに。何て暖かい朝
なのだろう。気温は体感で17度くらい。東京では考えられない。隣のベッ
ドではK君がまだ寝ていたので起こすが、どうも具合が悪いようである。早
速先生の奥さんを呼んで熱を測ってもらうと38度程あった。どうも風邪の
ようである。K君には申し訳ないが今日はここで休んでもらうことにして私
は朝食を取るため1階のラウンジへ向かった。
ラウンジでは多くのアメリカンが朝食を取っていた。我々の仲間もいた。
アメリカンを見るとみなスーツなどきちんとした恰好をしている。私はパジャ
マ姿で来てしまい、とても恥ずかしかった。日本流は通用しないようである。
それでも戻らずに今日だけはこのまま朝食を取った。朝食はいわゆるバイ
キング形式で取るようになっている。フレンチトーストとスクランブルエッ
グ、ポテトフライなどが取り放題である。これらのなかで私が気に入ったの
はコーンフレーク(シリアル)である。いろんなトッピングが楽しめ、それ
でいておいしい。あと、牛乳は3種類もあった。ノーマルとローファット、
ノンファットである。日を変えてそれぞれ試飲してみたが、どれもおいしかっ
た。特にノーマルは濃厚でこってりしていた。しかし後味はすっきりしてい
た。最後にホストがコーヒーを注いでくれて準備完了。食後にチップを置い
て帰った。
一段落したところで部屋へ集まり、今日の予定を打合せする。実は今日は
ASTコンピュータへ見学へ行く予定であったのだが、A社の都合により中
止になってしまっていたのである。そこで、ここから少し南にあるラグナ・
ビーチへ行ったあと、近くにある世界の名ホテルリッツ・カールトン・ホテ
ルで昼食を取ることにした。
早速2台の車に分乗し、ビーチへ向かう。今日も私が運転する。30分ほ
どでラグナ・ビーチに面した通りに着き、路上に駐車してパーキングメーター
を作動させた。15分か20分で25セントで、停めたい時間分だけ25セ
ント貨を投入する仕組みらしい。
ここは太平洋に面したとてもきれいなビーチである。天気もよく、海が遠
くまできれいに見える。今いる場所は高台(崖)であるが、遊歩道には鳥の
ような形をした花が咲き誇り、気持ちがよい。
海をバックに写真を撮って、浜辺へ歩いていく。日本と似たような風景だ
が、周りの様子が全然違う。浜辺にはバスケットコートがあり、ヤングアメ
リカンがプレーしていた。何だかテレビで見たような光景である。思わず写
真を撮ってしまった。
そうこうしているうちに時間が立ち、車へ戻るが、12月だというのに浜
辺の隅で若い女の子が水着で日光浴していた。湘南では絶対に考えられない
ことだが、ここでの気温は約25度。我々の半分は半袖で過ごしている。全
く信じられない暖かさだ。
そして車へ戻り、一路リッツカールトンホテルへ車を走らす。途中渋滞し
たが、お昼頃には到着できた。玄関からして大変高級なホテルのようだ。我々
はがやがやと入っていき、ラウンジの一角へ案内してもらって腰を下ろした。
窓の向こうに青い太平洋が見える。いいところである。
メニューが配られ、検討する。当然料理は英語で書いてあるので若干勘を
働かせながらどれにしようかと迷う。結局無難なバーガー類にして注文が上
がるまでしばしくつろぐ。
我々の周りにはたくさんのアメリカンがいるが、みなスーツなどの正装で
ある。それに引き換え私たちは私を含めて殆どがいかにも大学生というよう
なカジュアルな恰好でいた。なんか恥ずかしくなってきた。
やがて料理が運ばれてきた。テーブルへ置かれるとそのボリュームに驚い
てしまった。日本での量の2倍は軽くあるのではなかろうか。パンもハンバー
グもでかい。
腹が減っていたので早速食らいついた。できたてなので、パンはあったか
ハンバーグもアツアツ。一口かじると口のなかいっぱいにジューシーで濃厚
な肉汁に包まれたハンバーグの味が広がってゆく。ほっぺも落ちそうである。
美味いことこのうえなし。
さて、食事を終え、ホテルを後にする。このあとは特に予定もなかったの
で、アーバイン市にあるスーパー「Marshells 」で買い物することにした。
スーパーといっても衣類と小物しかない店だった。海外での買い物は初めて
なのでいささか緊張して見て回る。万引き犯に間違えられそうにドキドキし
ていた。
ここでLakersのCAP を$8で買えた。日本なら3000円はする品である。安い
安い。他にもシャツを$12 で買った。靴とかも驚くほど安い。ディスカウン
トストアでもないのに。やはり日本の物価は高すぎるのだなとしみじみと思っ
た。
ここでの買い物を終え、一旦CSI に戻って休憩。多少は慣れたものの、や
はり不慣れな地では運転は大変である。
夕方になって夕食を食べるため車で10分ほどのところにある日本料理店へ
行った。ここは日本人が経営している店である。規模は小さく、居酒屋風の
作りである。20人も入れば一杯になってしまう。
日英両方で書かれたメニューを見て、私はてりやきステーキ+天ぷらのセッ
トを注文した。他にも丼物や○○定食などがあった。
注文から20分以上もたってようやく運ばれてきた。遅い遅い。せっかち
な先生が催促したほどだ。サービスもあまりよくない。「前はこんなんじゃ
なかったのに」と先生がこぼす。味のほうはさして美味いとも思わなかった。
うまい/まずいどちらかと問われればまずいほうになるだろう。
そのあと買い物ということで大小いろいろな店の集まるショッピングセン
ターへ出掛けたが、ここではCDのお店へ入った。最近洋楽ばかり聞くよう
になったので、入ってみたわけである。ここは特にディスカウントしていな
い店なのだが、最新盤でも$17と、驚くほど安い!2枚ほど買って再び
CSIへもどって休む。
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投稿者 onsenfan [ ] : 23:52 | コメント (0) | トラックバック
1992年12月17日
初海外旅行(1) |
92年12月17日から2週間余り大学のゼミでの研修旅行という名目でアメリカ西海岸各地を!旅!してきました。私としては初めての海外旅行だったのでいろいろ不安もありましたが、先生がついているから大丈夫と思い込んで、ともかく行ってきました。なお、今回は13人での旅行でした。学生の時に書いたので少々雑な旅日記となっています。
12/17 1日目?1
いよいよ本日出発である。12:50に新宿駅西口地下改札口に集合。成田エク
スプレスは13:42発、しかし.乗車したのは発車3分前のことであった。
この成田エクスプレスはなかなか快適でそれでいてまったりしているのに
後味さわやかという乗り心地であった。車内で駅弁(それも大月駅の)を食
べていると、旅情にひたれる。
1時間あまりで成田第2ターミナル駅に到着。新しいターミナルで広い!
そして荷物のチェックインにはまだ多少時間があったので、ABCで荷物を
送ってもらった人はそれを受け取りにいった。私は自分で持ってきた。また、
そういう人の方が多かった。
さて、いよいよ荷物を預けるが、13人だと随分時間がかかる。カウンター
横のステップがはかりになっていて、荷物の重さを計るのだが、そこに受け
付けの女性が乗って、メーターが動くのだが、安定しないので、何人かで体
重を推理してしばし楽しむ。「荷物込みで60キロだから、45キロだな」
などと。
やっと終わって搭乗するが、まだ余裕で時間があるので、出国口前でいっ
たん集まって、またあとで集合することにした。先生の奥さんが「今から行
くって電話できる人はした方がいいわよ」と言っていたので、何人かがそう
したようである。私の家は昼間は不在なので...
9時間のフライトで飛行機内では暇になるだろうと思い、すぐそばにあっ
た三省堂書店で、推理小説を2冊買ってきた。それ以外は集合場所で、ハイ
ビジョンによるバルセロナ五輪の日本選手の活躍がやっていたので、いた人
で見ていた。
時間になったところで、空港利用料の券を販売機で買って入る。日本円を
使うのはこのときが、92年最後であった。とことこ歩いて、出国審査のと
ころでパスポートを見せ、すぐ通過。「もうここは日本ではない」という先
生の言葉に、ちょっとときめいた。エスカレーターを下り、搭乗ゲートとを
結ぶシャトルに乗車。これがうわさのシャトルかと思いつつ、発車するとき
にメンバーの誰かが、左右前方を指差し確認して、「発車!」とやっていた。
シャトルが動き出して1分程度で終点に着く。そしてゲートでしばし待つ。
周りにはアメリカンがいっぱいいて、早くも異国の気分を味わう。
いよいよボーディング。ゲートから飛行機に直接乗れるので楽ちんだ。私
が90年に松山にいったときはゲートからリムジンバスにしばらく乗ってよう
やく飛行機に乗ったのでその楽さは比にならない。さて、自分達の席を見つ
けて一段落。外をみるとすでに日はとっぷりと暮れていた。
17:15、B747機 マレーシア航空92便はゆっくりと動きだした。
離陸までは随分かかった。何キロも走ったらしい。私の隣のNさんは何やら非
常に興奮しているようだ。「わ?動いた」「走ってる走ってる」「わ?飛んだ
飛んだ」などやかましい。
で、離陸は無事成功し、日本にお別れする。眼下に成田の夜景が流れてい
く。高度があがると、もっと広範囲に夜景が広がる。「わ?きれい」Nさん
はまだ興奮しているようだ。
機内はエンジンの音がやや大きく、やかましいなと感じていたが、やがて
慣れた。しばらくして機内アナウンスが英語と日本語であった。
機内食が出たが、なんかいまいちおいしくない。食後にお茶漬けが欲しかっ
たのは私だけではないはずだ。
途中映画を上映していた。バットマンリターンズとナントカだったと思う。
しかしどちらも英語版で、日本語字幕も吹き替えもなし。つまらんので寝て
しまった。(ナントカという映画の中で誰かが大受けしていたのだが、英語
のギャグがわからない私達はちょっと悔しかった。)
ぐうぐう・・・あまり寝過ぎると時差ボケ対策がくずれるそうなので、4
時間くらい寝て起きた。それからは、空港で買った推理小説を読みふけって
いた。しかしやがて飽きがくる。「あぁ、たいくつだよ? 早く着けぃ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というわけで、MH92便は無事にロサンゼルス空港上空まで来たのでし
た。窓側に座っていた学生から「おぉ、アメリカだ」と言う声が出たので、
右を見ると、広大なアメリカの地形が広がっている。「ついにきたか!!」
下の方にはきっちり碁盤目状に伸びた道路と建物が並んでいる。ハイウェ
イらしき道路もみえる。なんだか興奮してきた。
着陸の案内があり、高度が下がりはじめ、そしてあまりショックもなく、
滑走路に着地する。このときはいつも緊張するものだ。「もし 失敗したら
・・・」飛行機はどうも好きになれない。
着陸後10分以上ぐるぐるまわってようやくホーム(とは言わないな、と
にかくそういう所)に到着。扉が開き、続々と降りてゆく。我々もあとに続
けとばかりに急がず慌てず機内から出た。
通路を通っていると、聞こえてくるのはほとんど英語。空港のアナウンス
ももちろん英語、案内版も全て英語。う?む何を言っているのかさっぱりわ
からん。英語には結構自信があったのに・・・でも案内版はほとんどわかっ
た。まずはBAGGAGE ナントカへいくそうだ。しかしその前に関門があった。なに
やらパスポートを見せて一人づつ何か聞いている。我々13人もそのカウン
ターに並んだ。先生に聞くと、ここでは滞在期間と渡航目的を聞かれるそう
だ。えっと2週間ここにいるから、「two weeks 」。そして目的は観光だか
ら「sight seeing」この2つの単語でバッチグー!
いよいよ次が私の順番だ。どきどきしながら待っていると、「next」と言っ
てきたので、カウンターへ向かう。パスポートをだし、一応愛想笑いを浮か
べて尋問を待った。そして、「How long will you stay here?」と聞いてき
た。
how long....??? えっとつまり期間を聞いているのだな。2週間だ。
えっと「2 weeks」だっけ。と思いながら、「Two weeks.」と答えると、
「uh ha」などといって次に「What purpose did you come here?」と質問を
投げかけてきた。
purpose??? 何だっけ?目的だったような気がするが・・・するってぇと
きた目的だな。じゃあこれだ!と思って「Sight seeing. 」と勝ち誇ったよ
うに答え、難関をクリアしたのであった。あぁ疲れた。手には冷や汗をかい
ていた。
そして、目の前にある荷物引取場で我々の荷物が到着するのを待つ。次々
と大きな荷物がごろごろ運ばれてくる。一行の大部分の荷物は出たが、私の
スーツケースはかなり遅れてでてきた。でも無事だったので安心した。しか
しここはちょっと目を離した隙に荷物をとられても決しておかしくない場所
ではないだろうか。
さて、全員の荷物が戻ってきたところで、到着ロビーへと歩いていく。ロ
ビーに着くと、たくさんのアメリカンがそれぞれの待っている人の名前を記
したカードをこちらへ向けて人を待っていた。しかし我々はお呼びではない
ようだ。すたこらさっさと玄関へ向かう。そして今日から借りるレンタカー
屋へリムジンを手配してもらった。
空港の外へ出て、リムジンの到着を待つ。待っていると、次々にレンタカー
やホテルのリムジンが到着し、客を乗せていく。ほかのタクシー(キャブ)
や自家用車も何台も見たが、見たことのない車が多々あり、興味を持って見
物していた。しかし、こちらの車はリムジン(マイクロバスみたいだが)は
もちろん、バス、トラックまでほとんどオートマチックだ。マニュアル車な
んてほとんど無い。そしてどれも車がでかく、ごっつい。
また、かなりの日本車を見た。ホンダが多いようだ。やはり日本車はアメ
車に比べ、コンパクトだ。かなり年期の入った車も多く、日本なら間違いな
く車検に通らないようなポンコツ車も珍しくなかった。
ついに我々の待つリムジンが来たようだ。荷物を先に乗せ、逐次乗車する。
さすがに13人分の荷物となると乗せるのにも時間がかかる。運転手も手伝っ
てようやく乗車完了。そしてマイクロバスのようなリムジンは発車した。
しばらくは街中を走る。右を見ても左を見てもはじめてみる風景である。
さらに右側通行なので日本の生活からは考えられない。カルチャーショック
である。しかし本当にここの道路は京都の町の如く区画整理されている。し
かもそれぞれの道はかなり広い。さすがアメリカである。
そして、わずかな間にリムジンはダラーレンタカーの営業所へ到着した。
また、荷物をおろし、営業所に入る。駐車場にはきれいなアメ車が何台も並
んでいる。結構知らない車も多々あった。
カウンターで、先生が借りる手続きをしている。実は私も運転するので、
日本でつくってもらった国際免許証を提示してサインする。しかし、クラー
クの話では、レンタカーは2台を4人で借りて、1台につきファースト・セ
カンドドライバーが決められるのだが、万一のことがあった場合、ファース
トドライバーが運転した時のみ保障が受けられるらしい。これは日本から予
約した時は聞いていなかったそうで、何やら英語で交渉していたがターンオー
バーにはいたらなかった。
私はセカンドドライバーなのだが、事実上はファーストドライバーである。
というのも、2台を先生夫婦で借りるのだが、先生はともかく、奥さんはア
メリカでの運転経験はあるものの本人もあまり運転はしたくなかったそうだ。
これでは困った。奥さんが運転していないと事故が起きた時の保障がないで
はないか! くれぐれも無事故で行かなくては・・・・(ドキドキ)
ようやく手続きも終わっていよいよ車へ乗り込む。借りた車はクライスラー
のミニバン2台である。1台は先生が運転することになっていたが、もう1
台はなんと私が運転することになったらしい。私はてっきり奥さんが運転す
るものとばかり思っていたので、びっくりした。先生が言うには、「女房は
たしかにアメリカでの運転経験もあるが、ちょっと心配なので、似たような
1ボックス車に頻繁に乗っている埋橋君なら大丈夫」とのことだった。
「どうせいつか運転するんだし、やったろか」と言うわけでもないが、承
認してキーを受け取り、車へ向かう。左ハンドルなので、当然左のドアから
乗り込むのだが、間違えて右のドアを開けようとしてしまった。ドライバー
ズシートに座り、キーを回してエンジンオン。おぉ動いた。ハンドルの右に
ついているコラムシフトレバーを下げて、「D」の位置にしてブレーキペダ
ル左の足踏み式パーキングブレーキを解除しようとするが、踏み込むと余計
にブレーキが強まってしまった。おかしいなと試行錯誤しているうちにブレー
キが手前に戻ってきた。「なるほど、強く踏むとブレーキをかけるけど、
ちょっと踏むと戻るんだ。」ブレーキも解除になり、ミニバンは這うように
動きだした。とりあえずみんなの荷物を荷室に乗せるので、10m程動いて
停車する。
このミニバンは3列7人乗りで3列目のシートが前後に動いて荷室のスペー
スが調節できるのだが、いちばん前にスライドさせて荷室を最大にしても
13人分の荷物を2台に分けて積載するのは苦労を要した。さながらパズル
のようである。
荷物も何とか納まり、先生車の主導で我々のお世話になるアーバインにあ
るホテルへ向かう。今は駐車場に入るが、ひとたび公道へ出ればそこは右側
通行の社会である。駐車場からは左折して道路へ出るのだが、日本とは違い、
大周りしていく。日本流に小回りすれば対向車線に出てしまうのである。2
台は日本から持ってきた小電力トランシーバーで連絡が出来る。先生から
「私の走るとおりについてきてください」とアドバイスがあった。車内のギャ
ラリーからは「右だぞ、右!」と何度も私に言ってくれる。私も6人の命を
預かっているわけだから、それこそ慎重に免許を取ったばかりのころの胸中
でついていった。生まれて初めて運転するアメリカの道、緊張と興味が心の
なかで交錯していた。これから毎日のように走り通すわけだから、絶対に事
故など起こしてはならない。気合を入れてハンドルを握りしめた。
10分も走っているうちに右側通行の感覚もだいぶつかめてきた。要は右
折は小回りに左折は大回りし、曲がったら右側の車線に出るといった感じで
ある。
しばらく市街を走ってフリーウェイに乗るという。日本で言う高速道路で
ある。ただ、このカリフォルニアでは無料なのである。とあるインターチェ
ンジから入るが、入口付近にには信号があった。この信号は変わっていて、
青になったと思ったら2秒もしないうちに赤になるのだ。そしてまた3秒ほ
どして青が点灯する。なかなか考えてあると思った。こうすることによって
本線とのマージの際の事故を防止しているのだろう。
1台前の先生車が信号に従い、発車していった。私もその3・4秒後に続
いて出ていった。
「左に走っている車と同じ速度まで加速して左に車線変更してください」
との先生からのアドバイス通り、左から合流してくる車線に加速しながらレー
ンチェンジした。「やれやれ、うまくいったぞ」とひとつ緊張の場面をクリ
アしてほっとしていると、
「これから1/2マイルほど走って本線とマージします。今度は車の流れが
多いですから十分安全を確認してから車線を移ってください。」
という連絡があった。
「あれ?今のは違うのか。」 またまた緊張が高まる。
今、先生車の後ろにいる。車間は70mほど。いよいよ目の前が開けて左
に幾つもの車線が見えてくる。それぞれの車線に何台もの車が走っている。
反対車線も同様の規模であるが、いちばん向こうの車線はちょっと確認でき
なかった。先行する先生車が軽く車線変更を終え、続いて私のほうも左を走
る車と同じ速度を保って車間の空いているところにサクッと入ることに成功
した。先生車からは約150m間に2台ほどの車がある。
「ただいま無事移りました。」と報告し、一同ほっとする。
現在走行しているのは405号線というフリーウェイである。このままし
ばし、走りつづける。巡行速度は約60マイル(約100キロ)。今は片側
だけで5車線である。それでもどの車線にも多くの車が走っている。左側の
車線へ行くほど車の速度は高くなっているようだ。車線と車線とのあいだに
は日本のような白線ははく、キャッツアイのような金属の盛り上がりがあっ
てそこにタイヤが乗るとゴトゴトという音がする。
まわりにはアメ車はもちろん、日本車も結構多く走っている。全体として
はきれいな車が多いが、中には日本では絶対車検が通らないような状態のい
わゆるポンコツ車もあった。さすが車検制度のない国である。今私が運転し
ている車を含めて私が見たことのない車も結構あった。あまりわき見は出来
ないが、興味深く観察しながら運転していった。
このフリーウェイは制限速度が55mph(88km/h)であるが、ど
の車も60mph以上で走行している。こういうのはどこの国も同じようだ。
しかし、捕まらないというわけでもなく、所々でポリスカーに捕まった車が
見られた。
さて、なんだかんだで無事SANTANA のBRISTOL という街に入り、フリー
ウェイを降りて一般道を走り、数分後に無事我々がしばらく厄介になるホテ
ル:カントリーサイドイン(以下CSIという)に到着した。チェックイン
を時間をかけてすませ、キーが配られた。私はK君と2人で207号室に泊
まる。今日は初日ということもあって、一日荷物の整理やミーティングなど
をして過ごした(実は記憶がほとんどなかった)。
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